ア・ラ・モード
並々ならぬ視線を感じてちら、と後ろを見るとソファーの上から表情をパァッと明るくさせて私を見下ろす犬、いや、栄純。

「終わりました!?」
「ごめん、まだ」

私に触れようと手を伸ばす栄純はぴたりと動きを止める。
テレワーク続きの毎日で、私はパソコンとひたすら睨めっこをしていた。できれば明日までに終わらせてほしい、本当に突然で申し訳ないと上司に夕方仕事を頼まれてしまったのだ。上司も悪くない案件だったので誰に文句を言うわけでもなく、わかりましたとチャットを返した。
一度夕ご飯を食べてから取りかかってるけれど、お風呂から上がってきた栄純は先に寝ずにずっとソファーを背もたれにしながらパソコンをカタカタ言わせている私を眺めているのだ。

「寝てていいよ?さっきも言ったけど」
「いーえ!待ってます!」
「……今日はしないよ?」
「わかってます!」

平日だし、通勤時間分はゆとりがあると言っても明日も早いし。
栄純は手を引っ込めて再び私を待つ態勢に入った。正直じっと見られていると少しやりにくさがあるから寝ててほしい。
一度ふう、と息を吐いてからパソコンに向き直った。
ソファーの軋む音が聞こえた後、トコトコとキッチンへ歩いていく姿が目に入る。お腹が空いたのかな。いやいや、だめだ。集中しよう。後一息で終わるのだ。
テーブルに肘をついて最後確認をしていると、テーブルにこと、と湯飲みが置かれた。蕎麦のいい香りが鼻を掠める。

「どうぞ!」
「……ありがとう」
「やる気でます?あ、でもそれなら栄養剤の方がよかったですかね!?」
「寝れなくなるよ」

しまった、と頭を抱える栄純。本当に天然。でも、そんなところが好き。
ありがたく蕎麦茶を一口飲むと、張り詰めていた頭の中が和らぐ気がした。

「捗りそうですか?」
「うん」

だから、私もあなたと一緒に寝たいと思っているからもう少しだけ待っててほしい。
栄純は頷いた私を見て誇らしげな顔を浮かべる。ちょいちょいと手招きをして栄純を隣へ座らせる。
少しだけ顎を持ち上げると栄純は察したように、頬を撫でるように触れてから私へ口付けた。

「こっちでも捗るよ」

優しく触れたそれが離れてから呟いた。栄純は瞬きを繰り返した後、わかりやすく嬉々とした表情を見せる。

「何回でもしやす!」
「いや、もう大丈夫」

私の肩をガッと掴んで今にも押し付けられそうになったけど、多分止まらなくなってしまうので胸板を押し返して顔を背けた。
不服そうにしながらも、じゃあまた栄養が欲しい時は言ってください、いつでもお力になります、なんて言いながらまたソファーに座って私が仕事を終わらせるのを待った。
褒められたい大きい子供だと思って口元が緩むのを抑えながら、ファイルに目を通す。
おかげさまで残りはスムーズに進んで、終わったよと振り返れば、私が予想していた表情はなかった。

「……」

大人しく待っているのかと思えばこの男、ソファーで寝落ちている。
栄純一人が横になるには長さが足りなくて、足ははみ出ている。
くかー、と気持ちよさそうに寝ているから居心地的には悪くなさそうだけど。このソファー、結構ふかふかだし。

「栄純、起きて」
「んあ……」

私が頬をぺちぺち叩いても、栄純はむにゃむにゃと口を動かすだけだった。
私と一緒に寝たいと思ってたんじゃないの、と少しだけ不満に思いながら、仕方なくその身にブランケットをかけた。風邪を引いてしまったら大変だ。
栄純は私を待っていてくれたけど、私も栄純をここにおいて一人で寝室で寝たくはなかった。
ソファーに私が横になれる場所はないので、頭だけソファーの端に預けてそのまま意識を手放した。

「……あれ」

ふと、ぼんやりと夢心地だった瞼を開けばいつの間にかにベッドに移動されていた。目の前には変わらず栄純がいる。
あの後目が覚めて、移動させてくれたのだろうか。体は十分、普通よりも体格がいいはずが寝ている時のあどけなさにいつもなんだかんだ癒される。
この表情を知ってる人は私しかいないと嬉しいけど、結構色んなところで昔から寝ているからそんなことはなさそうだ。

「んん、」

頬に手を伸ばすと睫毛がピクリと動く。起こしちゃうかな。そっと放して、栄純が私の腰に腕を回しているように私も背中へ回した。ぐい、と引き寄せられる。

「ねえ」
「…………」
「起きてるでしょ」
「ばれた……」

うっすらと栄純は瞼を上げて面白くなさそうな顔をした。

「今さんからしてくれそうだなーと思って」
「しません」
「なぜ」
「いいでしょ、栄純からしてくれるんだから」
「ええー」

小さくつまらなそうな声を上げる。自分が寝ている時でしか私がキスをしないから寝ているフリをしたと、そういうことだ。
でも頻繁に私からしたらちょっと有り難みがなくなるでしょう。だからたまにでいい。したい時はせがめば栄純はしてくれるし。

「俺もさんがしてくれたら、すげえ調子よくなりそうなんですけど」
「そんな魔法みたいなことできないよ」
「魔法です、魔法。愛と魔法のキス!」

だからほら、と栄純は私へすれすれのところまで顔を寄せた。唐突に迫られると驚くからやめてほしい。
腰に回されていた腕が、片手は頭に移動していて動けない。前にしか。

「明日投げないでしょ」
「投げるかもしれません。何があるかわかりやせんよ。準備は万全に!」
「それ、毎日しなきゃいけなくなるじゃん」
「その通りです!」

栄純からしてくれる分には私は構わないけど、そんなに自分からするのはちょっと、いや、だいぶ恥ずかしい。別に誰が見ているわけではないにしろ、心が落ち着かなくなる。

「今日だけね」

動けないし、どうしようもないのでもう一度眠りにつく為に、弧を描く栄純の唇へ軽く触れた。
私からしたら、こういう時いつも栄純から倍以上に返ってくるキスの方が、愛と魔法のキスなんだけど。
魔法