明日は早朝から探索で早いからとすでに一つ下の階で寝息を立てているクロムしか近くには誰もいない。
丁度一番星が見え始めるこの天文台、真っ暗というわけではないけれどそれっぽい薄暗さが雰囲気を形作る。
「千空あのね」
「…………」
「千空がそうしたいのなら、いいよ、私。次に進んでも……」
顔の横には両手。背中は冷たい床板。真上には人一人、逃げ場所はない。事故さながらなそんな状況で千空は眉間に皺を寄せながらじ、と私を見据え呟いた。
「次?」
「わかってるでしょ?千空だって。もうキスは沢山してくれてるけど、もっと、その……」
千空は馬鹿じゃない。天才だ。この状況で私が何を言いたいかなんて、千空の言葉を借りると100億%理解している簡単なことだと思う。それでもなお、一応聞いてくると言うことは、そういうことをしてもいいかの再確認だ。千空の胸板に手をあてとくとくと鳴る胸の音を確かめる。ギュッとそのまま服を握り締めると私の手首は千空に掴まれた。
骨張ってゴツゴツとした男の人の手にこれは、とほんの僅かな期待を持ったのも一瞬。
「寝言は寝て言え」
「……起きてます」
「ほーん起きてんのかそれは悪かったな。なら今すぐそこから退いてテメーの頭からぶっ飛んだネジを探しに行け」
大人の夜の雰囲気ぶち壊しだ。
目を細め心底面倒くさそうに話す千空に、はい退きますと素直に頷くわけがない。
押し倒しているのは、私の方だ。こうして故意に起こしたアクシデントにもならない限り、千空は先へは進んではくれないと思った次第だ。押し倒されたいとか、そんな願望なきにしもあらずだったけれどそうも言っていられない。千空から距離を縮めてくれないのならこうして私から押すしかないのである。文字通り。
「次のステップに進んでくれたらね」
「そもそもテメーの中の現在地が狂ってんだろうが」
「沢山してるじゃん、チュー。濃厚なやつ」
「一度たりともした覚えはねえ」
「……そっか」
「…………」
ぴしゃりと、冷たく言い放たれた言葉に心の中で寒風が吹く。あからさまに意気消沈する私に構わず、千空は何食わぬ顔を見せている。そういう人の感情に左右されないところとかも含めて、全部が大好きなのだけれど。
気を取り直し、ふう、と一つ息を吐いて赤い瞳を捉えた。
「それなら、もう一度したら思い出せるよ、きっと。だから千空、私と子孫を残そ「千空ちゃー……、」
一室で男女が二人、横になって向かい合っている。そんな状況を見たら子供以外誰しもがそういうことだと思うだろう。そして大抵『邪魔してごめん』とかなんとか言ってその場からそそくさと立ち去るのが一連の流れだと思うのだけれど。
「ああ、またやってるの」
やれやれとでも言うように顔を覗かせたゲンは苦笑しながら側まで歩み寄ってくる。
手にしている籠には今まで作業していたものが詰め込まれている。
ゲンの乱入に私は渋々千空の上から退いた。全く、いいところだったのに。……私の中では。
起き上がった千空は私が露骨に転けたフリをした際に手放したペンを拾いながら短く息を吐く。
「テメーの妄想話に付き合ってる暇はねえ」
「ゲンが邪魔するから思い込ませ作戦失敗しちゃったよ」
「いやあ、俺が来なくても上手くいったとは思えないけど」
辛辣……とは思いつつ、ダメ元ではあったので何も言えまい。
石化前から、千空との関係はずっと変わらない。好きだと思ったら私は一直線にその人へ思いを告げるタイプなのだと、千空のことを好きになってから知った。つまり私の初恋の人。初恋にしては相手は随分風変わりなのだけれど、好きになってしまったものは仕方ない。が、規格外のその人がどうしたら私のことを好きになってくれるかは3700年経った今もわからない。
「千空ちゃんここ置いとくよ。余ったのは何かに使う?」
「ああ、なら余分に作っとけ。多いに越したことはねえ」
「言わなきゃよかった……」
「私もやるよ!暇してたし」
苦笑いを浮かべるゲンに、逢瀬を中断させられやることがなくなったので挙手。
余りの材料と作り方を手渡され、私には解読不能な製図を描いている千空の傍ら、作業再開だ。
「ちゃん、千空ちゃんに違う作業頼まれてなかった?」
「終わらせて報告しにきて、私たちのロードマップも進めようとしたらゲンがきた」
「そういうこと。にしてもよく色々と思いつくね、ちゃんも」
またやっている、とゲンが開口一番に話した通り、私があの手この手を使って千空に迫るのは今日に限った話ではない。日常茶飯事なのだ。
「今思いついたわけじゃないよ。3700年間ずっと考えてたからね。千空に振り向いてもらえる方法」
「無駄な努力ご苦労さん」
「でもそのお陰で硝酸だけで復活できたわけだよねちゃん」
石化したあの日。大樹のことを千空の隣で応援していたから私の石像も千空の近くにあったのだ。あの二人を見届けて、千空に振り向いてもらえるまで私は絶対死ねない。あと、千空も同じ状況なら、絶対隣で意識を保っていると思ったから、私も同じようにしていたいと、そう考えたら怖さは消えた。
パキパキ、ピシピシと殻を破るような音が聞こえたあの日さえすでに懐かしい。目覚めた時に飛び込んできた千空の驚いた顔は今でも忘れられない。
千空が言うには、『馬鹿はワンチャンあると思って一応硝酸をかけた』とのことで、本当に半信半疑だったらしい。
「うん!そうなの。千空にはドン引きされたけど」
「理由はな。意識保ってたこと自体には引いてねーよ」
「優しい……好き!」
「すごいポジティブよね、ちゃん」
熱視線を送る私に千空は見向きもしない。私が千空のことを大好きなように、千空も科学が大好きなのだ。興味あるものに目を輝かせているその横顔を見ている時間もすごく好き。
「千空」
「あ」
「例えばの話」
作業を進める手は止めずに話しかけると、短い返事をする千空と漸く目が合った。眉間に皺を寄せている。
「無意味な話な」
「自分に子供ができた時のことを想像するのも楽しくてさ」
「聞いちゃいねえ」
「千空似かなあ、とか、そしたら秀才だなあ、私ついていけなくなるかな、私に甘えたりするのかな、とか。千空は自分に子供ができたらどうなると思う?親バカ?」
くす、と小さく笑いが漏れる声が聞こえた。そう、笑い話だ、これは。ずっと同じ作業し続けているのも飽きるし、折角ゆっくり話せる時間なのだ。目一杯話したい。二人で入れる時間ってあまりないし。……今は三人だけど。
あからさまに気怠げな顔をする千空。まあ、いつも通りだ。
「思考実験だよ」
「それっぽく言ってんな、ただのテメーの妄想だろ」
「いいからいいから。お得意の科学で考えてみてよ、千空みたいな子供ができたらどうする?パパ」
描いている製図に迷いがないあたり、頭の中ではもう組み立てていてそれを可視化させているだけだろう。だから喋っていても邪魔にはならないはず。そして千空はこう見えて意外と話に付き合ってくれるのだ。無視はない。
私のお題に千空は思った通り、だるそうにしながらも答えてくれた。
「親バカかは知らねー。けどやりたいことさせるわ。俺も百夜にさんざさせてもらったしな」
「千空ジュニア、確かに色んなことに興味持つだろうなあ……」
「千空ちゃんジュニアねえ……ドイヒー作業が倍になるな……」
「ああ何それ!ゲンいつまで千空と一緒にいるつもり?」
「ものの例えよ。誰もちゃんからとらないって。ねえ千空ちゃん?」
「どうでもいいわ。ま、俺そっくりなのが存在したらそりゃ唆るわな。24時間科学漬けだ」
ちょっと楽しそうに話す千空に私も思わず笑みが溢れる。千空は一人で何かをするよりも、多分、誰かと何かをしたり、自分がしたことを誰かに共有したいタイプなのだ。だからよく私にもあれやこれやと科学の知識を喜々として教えてくれるけど、実際内容は三割くらいしか理解できていない。
「千空の話についていける人は確かに貴重だ」
「それこそ千空ちゃんジュニアくらいだね」
「なわけねーだろ。世界には俺以上の科学マンなんて五万といるわ」
「「それはない……」」
自分が頭がいいことは自負しているものの、いかんせん評価が低いところがある。自分は知識を持っているだけ、と。いやいやその知識量が凄まじいのだとみんな思っているのに。
ハモった私たちに千空は首をポキポキと鳴らした。飽きたらしい。
「つーか遺伝子残そうとそっくりなやつが生まれるってわけでもねえし」
「そうかもだけど、もー折角無意味な話で盛り上がってるのに現実的にならないでよ」
「無意味な話の自覚あったんじゃねえか。何が思考実験だ。そもそも、テメーの遺伝子が少しでも混ざろうもんならそれこそ未知の化学反応だ。考えたところで結果なんてわかりゃしねえ」
「じゃあ実験!」
「するか馬鹿。リスクありまくりだろ」
「優しい……!好き!」
わああ、とその背中へダイブした。倒れ込みはしないものの聞こえた呻き声。
薬品と石鹸と、千空自身の匂いが入り混じる独特な匂いが鼻を掠める。いつか正面から抱きついた時、千空の手も私に回ってくれたら嬉しいけど、こうした時に千空は口では毒付くものの無理に引っぺがそうとはしないのでそれに甘んじている。
ちなみに私のこれは愛が溢れるばかりに、というのは勿論なのだけど、石神村の人たちに『千空は私のものです』と見せつけるためでもあったりする。打算的でごめんなさい。伊達に3700年千空のことを考えていない。本人にその気がないのであれば外堀から埋めていくと言う手もあると思うのだ。
「え?ちょっと待って?」
「あ?」
「?」
だから、千空に密着する私を見るのもゲンは今日が初めてではない。前に述べた通り日常茶飯事なのだ。
それであるはすが、私と千空……いや、千空を見ながら頭に疑問符を浮かべるマジシャン兼メンタリスト。何かおかしなことでもあっただろうか。
千空にもたれ掛かりながら瞬きを繰り返す。それからゲンはハッと我に返ったように手のひらを向けた。
「ああいや、なんでもない」
「……?」
「…………」
妙な沈黙が天文台に流れる中で外からコハクちゃんの声が聞こえた。ご飯ができた、と。
作業は中断させたくないはずだから、私が二人の分も持ってくると、外へ出たからその後に続いた二人の会話なんて聞けるわけもなかった。
*
「何にやついてんだ気持ち悪い」
「いやそりゃあねえ。“誰の子供と”、なんて話はしてなかったよね」
「んなもん話の流れだろ」
「流れで好きでもない子とのそういうこと想像しちゃう?いつから?意識保ってた理由聞いた時?」
「……もっとずっと前だ」
「……それは確かに、3700年ちゃんがあの手この手考えてたのは無駄なことだったってわけだ」
3700年分の無駄な努力
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