天高くから照り付ける日差しはさることながら、その上素振り千回とまで告げられたら溜まったものではない。身体中から吹き出る汗が地面に落ちてもすぐに乾いてしまう。時折微風に揺られ藤の家の縁側に飾られた風鈴の音だけが私の生命線だ。
「暑い……」
「今何回だ!」
「346回……」
「まだ始めたばかりだ!数をこなすことだけではなく一振り一振りに力を入れろ」
煉獄さんも隣で同じく刀を振っているのに、その表情は私とは真逆だ。額に滴る汗は変わらずかっこいいし男前だと思うけど、今だけは化け物のように見えてしまう。同じ人間であるはずなのに、呼吸の使い方だろうか。
「おい」
一振り一振りに、と、そんなことを言われてしまっても、私の頭の中は空っぽだ。考えることは今日も任務が来ませんように、と願うこと。そんなことをぼんやり考えていれば不意にどこかから聞こえた声。おい、なんて言葉遣いは煉獄さんはしないのはわかりきっていることだけど、聞こえた塀の上の方を見やればそこには首元に白蛇を巻き付けた蛇柱。
「伊黒さん」
「聞きたいことがある」
私が嘆きながら素振りをしていたのが聞こえていたからだろうか、いや、煉獄さんの快活な声のせいだ、きっと。おそらくすぐそこを通りかかったのであろう伊黒さんは塀の上から瞬きの間に降り立ち私たちの元まで歩み寄る。
「久しぶりだな!柱合会議以来か?」
「甘露寺とパフェを食べに行ったようだが、場所を教えろ」
完全無視だ。伊黒さんは煉獄さんのことを悪く思っていないはずであるのに甘露寺さんのこととなるとこうして頭が一杯になるようで。私も人のことを言えた質ではないけれど。気持ちはわかる。だから伊黒さんは私とも煉獄さんや甘露寺さんのように仲良くなれると思っている。が、伊黒さんと私との距離は三歩くらい離れている。
「じゃあ、休憩にします、そうしましょう」
「俺は忙しい。早く教えろ」
「そんなこと言うんだったら教えませんよ」
伊黒さん、煉獄さんにはすごくあたりが柔らかいですよね、と、聞いたことがある。その時煉獄さんは私に『伊黒はいい奴だ!』『君だって話が合うと思うぞ』と言ってのけた。誰に対しても同じことを言いそうであるけれど、だからこそ私がこうして少し距離を縮めようとしていることに煉獄さんは口端を上げて見守ってくれている。決して休憩の口実というわけではない。決して。
突っぱねた私に伊黒さんは嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「……一体この女にどんな躾をしたんだ、煉獄は」
「柱だからと隔たりを厚く感じている隊士も多い。歩み寄るのはいいことだ」
犬のような伊黒さんの言い方に少々複雑になったものの、煉獄さんが私を肯定してくれたので、笑みが抑えられなかった。
ボソリと気味が悪いと吐き捨てられてしまったが、結果はどうあれ小休憩だ。一度刀を縁側に置いて風鈴の鳴る下で藤の家のお婆ちゃんが出してくれた茶菓子を頬張る。いつの間にかに伊黒さんがいたというのに臨機応変に対応してくれるあたり手慣れている。
「美味い!」
「うん、美味しいですね!どこのだろう」
「ちゃんとやれてるのか、お前」
三人で並んでいるのもいいけれど、ここに甘露寺さんもいたら二組の恋人の出来上がりだ。いつかそうなったらいいなあ、なんて呑気に考えていれば、茶菓子には一切手をつけない伊黒さんが呟いた。
「なんだその顔は」
「正直な気持ちです、私の」
「意味がわからない」
まさか、甘露寺さんとパフェを食べに行った場所しか聞かれないと思っていたからあからさまに目を見開いてしまった。
小さく息を吐く伊黒さん。鏑丸くんがゆっくり私へと近付いてくる。
「やれてるように見えますか?」
鼻先に指先で触れると、思ったよりひんやりとしていて少し気持ちよかった。頭を撫でつつ伊黒さんへ逆に聞き返せば、一度合った目は逸らされた。
「腑抜けてるな」
「……」
「それで死んだら悲しむ奴がいるんじゃないか」
腑抜けてる自覚はある。腑抜けている、というか、戦いたくない、というか。でもそんな私を煉獄さんが鼓舞してくれるから立ち上がって、鬼に刃を向けられるのだ。
隣に座る煉獄さんを見れば、優しい眼差しを向けられる。心臓が、熱くなってしまう。
「……それは伊黒さんですか?」
「なぜ俺になる」
「いやあ、そうだったら嬉しいなあって」
「煉獄」
「当然だ、君は死なせない」
チリン、と微かに鳴る涼やかな音。
言わずもがな、だ。煉獄さんはこんな私のことを大事にしてくれる。まあ、愛は受け取ってはくれないのだけれど。
「嬉しいけど……、煉獄さんだけでしょうか、伊黒さんは?」
煉獄さんただ一人に悲しんで貰えるのであれば、身内が鬼に食べられた一人の私からしたら幸せなことこの上ないけれど、伊黒さんとも仲良くなりたいし、少しくらい悲しんでくれたっていいのではないかと尋ねてみた。
横目で私を見る伊黒さん。
「甘露寺と煉獄の次だな」
「……それは、結構高評価?」
「その他大勢と一緒だ」
「辛辣!」
大袈裟に驚いた素振りを見せれば鏑丸くんの方を驚かせてしまった。
でも、伊黒さんの中で煉獄さんはやっぱり特別であることが窺えて、それだけで自分の師範が誇らしかった。
煉獄さんが、私が頑張ると鼻が高いと話してくれたのはこんな気持ちだったのだろうかとなんとなくわかる。
「それで?もういいだろう」
「ああ、えっとですね、銀座の……」
悪漢に声をかけられていたことは黙っておくとして、話に嫌々ながらも付き合ってくれた伊黒さんへ甘露寺さんと前に訪れたお店を教えれば、わかった、と一言だけ告げて音もなく去って行ってしまった。
茶菓子には手をつけないし、私が伊黒さんの分も食べるしかない。
「上手くいくといいですねえ」
「いくだろう、あの二人なら」
青空を見上げながら呟いた。うっすらと雲が流れていくのを目で追う。
伊黒さんと甘露寺さん、進展はまるでないけれどいつか二人が笑って手を繋ぐ未来があればいいなと思う。そして、私たちもだ。
「私たちもそろそろ、師範と継子、やめませんか?」
「君は炎の呼吸が一番合っているだろう。誰の継子になると言うんだ」
「……そういう意味じゃなくて……あ、でも、もしかして煉獄さん」
「なんだ」
二羽の鳥が羽ばたいている空から煉獄さんへと顔を向けた。
まるで何もわかっていなそうな煉獄さんに口角を上げると怪訝な顔をされる。
「私を誰かにとられたくないということですね、それは!」
「……」
「そっか、私が伊黒さんと仲良くしようとしたのも煉獄さん的には立場上肯定するしかなくて、でも実際は、」
「」
気付かなかった自分が悔やまれる。煉獄さんの中で私に対して独占欲が芽生えていただなんて、いつからだろう、気付かないうちに私も煉獄さんの特別な存在になっていたのかもしれない。そんなことを都合良く考えてペラペラと口にしていれば、ぴしゃりと遮られる。
詰め寄っていた私に、悲しいほどにいつもと変わらぬ燦々とした瞳を見せて言い放った。
「素振りの続きだ!」
「……はい」
肩を落としながらも、再び刀を手にし煉獄さんの教えの通り腕を振った。
さっきよりも今の方が、一振り一振りに色んな意味で力が込められた気がした。