炎天の下、今日も変わらず

変えない日常

数日お世話になったこの藤の家とも今日でお別れだ。扉の前で草鞋を履いて、見送りをしてくれるお婆ちゃんへ頭を下げた。

「お婆さん、世話になりました」
「ご飯美味しかったです。ありがとうございました!」

立つ鳥跡を濁さず、と煉獄さんに教えられた通りに部屋も綺麗にしてから出たから、なんだかこちらまで気持ちが良い。
頭を上げると、お婆ちゃんはどこか儚げに目を細める。

「またいらっしゃいね。爺さんがいなくなってから、一人で寂しくてねえ」

お婆ちゃんの表情に思い出す。お線香の匂いと、朝に必ずおりんの音が聞こえていた。
どのくらい、ずっとこのお婆ちゃんは一人でいるのだろうと、胸がぎゅっと痛くなった。何も考えずに身体が動き、お婆ちゃんの皺でいっぱいの両手を握り締める。

「また会いに来るので、長生きしてくださいね」

大切な、生涯で一番愛している人がいなくなってしまったら、何を希望に生きるのか私にはわからない。わかりたくもないと、そう思ってしまう。大切な人がいない未来なんて、想像したくないから。
唇を噛み締める私に、お婆ちゃんはにこりと笑って、少し呆気にとられた。

「何言ってるの、勿論よ」
「……」
「まだまだ、長く生きますよ。夫の分まで」

お婆ちゃんの手を握り締めていた手の力は弱くなる。
私が放したその手を自身の胸元にあて、瞼を伏せてお婆ちゃんは呟いた。

「ずっと、ここにいますから」

お婆ちゃんを見て、私も自分の胸元に手をあてたのは無意識だった。
まるでそこに本当にいるように、もういないことなんて嘘のように穏やかだった。
ぼんやりとしたまま、長閑な町中を歩く。一人は寂しくないなんて、私には考えられない。私は側に、ずっと煉獄さんにいてほしい。煉獄さんがいなかったら、戦う意味だって、生きる意味だって見出せないのだから。

、団子でも食べに行くか?よく行っていたところ、すぐだぞ」
「ああ、そういえば……、でもあそこ、最近しょっぱいんですよ」

魂が抜けたように歩いている私を見兼ねて誘ってくれた煉獄さん。
よく、この近くに用事があれば必ずと言っていいほど訪れていたお団子屋さんがあった。
煉獄さんの担当地区は決まっているから、それはもう飽きるほどに。

「醤油味か」
「違いますよ」
「なんだ違うのか。なら、なんだ」
「それは……」

思い出したくないことを思い出してしまいそうで、思考が停止した。いつも決まって、都合が悪くなると私は意図的に頭を空っぽにする。

、団子でも食べに行くか?よく行っていたところ、すぐだぞ」
「いいですね、行きましょう!」

嫌なことには蓋をする。自分の信じるものだけ信じていく。
私は、あのお婆ちゃんとは違って、こういう生き方しかできないのだ。弱い人間なのだ。強くなんてなれない。
町外れにあるお団子屋、閉まるのが早いからすぐに向かわないと。

「あ、さーん!」
「……?炭治郎くん!」

少し離れた場所から私を呼ぶ声に振り返る。ブンブンと手を大きく振りながら羽織を揺らしこっちまで駆けてきた。いつ会っても炭治郎くんは明るくて素直な良い子だ。

「この辺りで任務だったんですか?」
「ううん、巡回。炭治郎くんは?」
「俺は少し離れたところで任務があって、これから蝶屋敷に戻ります」

煉獄さんの担当地区ではなかったのだろう。だったら今まで休んでいた私たちに何も音沙汰がなかったのは不思議な話だ。

「大丈夫だった?頬擦り切れてるよ」

軽く薬を塗っただけなのか、よく見れば右頬が切れてしまっている。心配する私に炭治郎くんはバツが悪そうに眉を下げて頬を掻く。

「はは、大丈夫です」
「無理しないようにね」
「はい、でも、俺も煉獄さんに恥じないように戦い抜きます!」
「いい心掛けだな、炭治郎!」

鬼を連れている隊士の階級がトントン拍子で上がっているのだと、風の噂で聞いていた。だから弱くはないと思うのに、向上心の塊そのものに感服する。私とは真逆、大違いだ。
拳を握る炭治郎くんの瞳の輝きが私には目が眩む。

「あ、そうださん」
「ん?」

きっと、いつか甲まですぐに駆け上ってきて、私だって超えてしまうのだろうと思わされる、それこそ煉獄さんの鼻も高そうだ。
目の前の超がつくほどの善人は、何かを思い出したように声を上げた。

「お盆は、煉獄さんのところへ行かれますか?俺も行こうと思って」
「……うん、?」
「帰って来ると思うので」

深い赤が奥で揺れる綺麗な瞳に、綺麗な耳飾り。どこで売っているのだろう。市松模様の羽織は禰豆子ちゃんも同じ柄を帯びでしていたからきっと家族で同じなのだと思うけど、耳飾りは禰豆子ちゃんはしていない。炭治郎くんだけだ。

「そうだね」
「時間が合えば、一緒に行きましょう!」
「うん」
「善逸と伊之助にも声をかけます」
「わかった」
「それじゃあ!」

嬉々として手をまたブンブンと振りながら、市松模様の羽織を揺らして町中の雑踏へ消えていくのを見送った。後ろ見ながら走っているのによく人にぶつからない。あんなに可愛い顔をしていても一隊士なのだと思わされる。……可愛い顔、なんて言ったら失礼だろうか。

「さっお団子食べに行きましょう!」

今日は天気が良いし、少しだけ涼しいから外で食べるのも気持ちが良さそうだ。大きな傘の下で食べるお団子は格別に美味しいのだ。いつもいつも煉獄さんの食べる量だけがその穏やかな空間で異彩を放っているのだけれど。

「ええ、何にしようかな……煉獄さんは?」

お団子屋に行くまでの間に、色とりどり、豊富に揃えられた中で今日は何を食べようかと話している時間だって私には愛おしい時間なのだ。
季節限定のお団子だってあって、毎季節それを煉獄さんと楽しみにしていた。

「夏は何がありましたっけ……えっ全部頼むんですか。……それはそうなんですけど」

煉獄さんといると、一人で気を張っていた昔が嘘のように、別人になれるのだ。真面目だなって、そう褒められるのだって嬉しくて、気持ちを隠していた。ずっと。最後まで。

「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」
「はい」

町外れなのに、このお団子屋さんはとても繁盛している。中でゆっくり食べるのもいいけど、やっぱり人が少ないところで二人きりになりたいから今日は外だ。
中で買ったお団子を外へと持って椅子に座る。建てつけられた傘のお陰で日陰になっていて涼しい。
一つ、串に刺さった丸いお団子を頬張った。甘くて柔らかいその味に、胸の内側から何かが込み上げてくる。
一度、ゆっくりと瞳を閉じて思い描いた。いや、思い描いているわけじゃない。
何があっても私を照らしてくれる、私だけの世界は今日も変わらないのだ。変えたくない。
温かな眼差しで頭を撫でられた時の感覚だってずっと残っている。手を引いてくれた時も、ついてるぞ、なんてその手が私の頬に触れていた温もりも、全部全部、覚えている。今だって触れてくれている。
それでも、美味しかったお団子は今日もしょっぱかった。
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