炎天の下、今日も変わらず

ゆらめく心




『君は炎の呼吸の方が合っているかもしれないから、杏寿郎の元へ行くといいよ。話は通しておくから』と、お館様に告げられ訪れた炎柱邸。
柱。私は一度たりとも本人たちを目にしたことがなかったけれど、柱であるということは数々の死線を乗り越えてきた人。きっと育手のように厳格な人なのだろうと、そう思っていたのだ。

「美味い!!」

鴉に案内された炎柱邸へ到着し、声を上げようとする私よりも前に、青空に高らかな声が伸びていった。
あまりに快活な声に目的地を間違えただろうかと鴉を見上げる。確かにこの屋敷の屋根に止まっている。早く入れとでも言いたげに。
いや、でも、鬼殺隊でもない一般人のお宅だったら何をしにきた、となる。刀だって腰に携えているわけだし。そうだ、もしかすると何か縁があって一般人がこの屋敷に来ているのかもしれない。だったら一度それが落ち着くのを待った方がいいのではないか、私が突然──

「入らないのか?」
「!!」
「君も食べると良い!美味いぞ!」

気配が感じ取れなかった。前触れもなく、突如すぐ隣に現れたのは炎を模した羽織を見る限り、炎柱だ。が、今私の目に映るのは想像していた炎柱とはほど遠い、ただの焼き芋好きの青年だ。
両手に持つ片方の芋を私へと有無を言わさなぬよう突きつけられてしまったので、控えめに受け取った。

「ありがとう、ございます……あ、私と申し」
「美味い!!」
「、と申します、今日はお館様の」
「わっしょい!!」
「わっしょい?」
「あ、兄上!」

美味しい時はわっしょいと言うだろうというような目で見られた後、屋敷から炎柱を呼ぶ声が聞こえた。駆けて来る音が近づいてきたその時、見えた姿に目を丸くした。そっくりだ。

「急に『行ってくる』と姿を消してしまったのでどこへ行ってしまったのかと」
「屋敷の前で立ち止まっているようだったからな。相手は柱だ、入りずらかったのだろう。だから俺から声を掛けた」

私が足を踏み留めていた理由は、あなたのその長閑で快活すぎる声のせいだったのですが。溌剌と話す炎柱にそんなこと言える筈もなく、軽く頭を下げた。

「お館様から話は聞いている!これを食べたら早速鍛錬だ!」
「は、はい!よろしくお願いします!」

なんだか、変わった人だなあ、鬼を斬ったりなんて想像できない人だなあと、それが私の煉獄さんに対する第一印象だった。
けれど、そんな印象は実際鬼を前にしたら綺麗に崩れ去った。目では追えない速さでたちまち鬼の頸は撥ねられ、塵となって消えていく。これが柱なのかと、私もそうなりたいと強く思わされた。
彼の背中を追う毎日、逃げ出してしまう隊士も多いと聞いたけど、私はどんなに厳しい鍛錬にもついていくと決めていた。

「動きに無駄がなくなってきたな」
「ありがとうございます!」
「無駄な動きがなくなれば型の精度も上がる。体力も確保できる。君の成長速度だと、近いうちに俺も超えるだろう」
「……あ、ありがとうございます!」

最大の褒め言葉だと思った。
朝日が昇り藤の家へと向かう中で、先の戦いでの反省点を指摘されつつ、こうして人を喜ばせることだってしてくれる。師範が煉獄さんで良かったと心の底から思った。

「そうだ
「はい」
「この近くに俺がよく行く団子屋があるが、寄っていかないか?」
「是非!空いてるんですか?」
「ああ、早朝からやっている」

美味しいものを食べた時の『美味い』にも驚きはするものの慣れてきた。むしろ最近ではそれがないと寂しいくらいで。
今日も朝から景気のいい声が聞けそうだ。

「いただきます」

開店したてで早朝だから今は人が少ないけれど、日中はかなり繁盛しているらしい。
煉獄さんの向かいに座って選んだお団子を一つ頬張った。もちもちとした食感と程よい甘さに頬が蕩けそうになる。

「美味い!」
「はい、美味しいです」

煉獄さんといると、不思議だ。それまでは、家族を鬼に食べられ、その元凶に敵討ちをする為だけに生きていたようなものだった。でも、今は違った。世界が一変してしまう前と同じように、こうして何気ない日常を送ることだってある。煉獄さんがあえて私にそういう時間を作ってくれているのかは定かではないけれど、心地良い時間だった。だから、というと煉獄さんのせいになってしまうかもしれないけれど……


「?、……」
「千寿郎もよく、頬に餡子をつけたまま美味そうに食べていた」

不意に伸ばされた大きな手に思わずピクリと肩が跳ねた。その指先は私の頬についていた餡子を拭き取ったらしい。眉を下げて笑う煉獄さんにどくどくと胸が脈打ってしまう。そう、時折訪れるこうした時間が心地良すぎて、私の感覚はおかしくなってしまったのかもしれない。

「煉獄さん……」
「どうした?」
「……なんでもないです」
「そうか!」

煉獄さんの指の腹に載る餡子を拭き取りながら、言おうとしたことを喉奥で留めた。そういうのはやめてください、と、憧れだけではない感情を持ってしまうから。
気付いた時にはもう遅かった。というより、これだけ一緒にいて惹かれない理由がこの人にはなくて、でも私はただの継子であり、師範は師範。だから、例えしのぶさんにバレようとも思いを告げる、なんてことはしなかった。
でも、後悔した。いつかは、なんて思いが少なからず私の中であったからかもしれない。

「しっかり休んでいてくれ」
「はい、すみません……」
「謝らなくていい。君は人を守った。立派なことだ」

煉獄さんの指導のおかげで、手の甲に刻まれる階級が煉獄さんと一緒になってすぐのことだった。
任務で重傷を負い、寝台で横になる私の元へ煉獄さんが柱合会議から帰ってきたが、すぐに任務へ出ないといけないらしい。

「俺も君のように、全てを守ってくる」

たまに、煉獄さんの言葉が怖くなる。間違ったことは言っていないはずなのに、自分の命を顧みないように聞こえることがあった。


「は、……い」

口をギュッと閉ざし、返事をしない私に煉獄さんはふわりと手の平で私の髪を撫でた。温かな体温が心地良いけど、私を見下ろすその慈愛に満ちたような表情が落ち着かない。
居た堪れなくなって、目を逸らしながら、けれど私の髪を撫でる煉獄さんの手に触れた。

「……次の柱合会議には、君も呼ばれているかもな」
「柱は今9人いるので、無理ですよ」
「そうだったな」

誰一人として、いなくなってほしくない。柱の穴だって、空かないことを祈るばかりだ。
小さく笑う煉獄さんは私から手を離し、私と視線を交えにこりと笑みを浮かべてから背を向けた。
あなたのことが好きだと、気づかれていそうだと、初めてそこでなんとなく感じ取ってしまった。でもその上で、私に触れるのであれば、ちょっと深く問いただしてみたいのだけれど、そんなことを聞いたら煉獄さんはなんと答えてくれるのだろうか。



「煉獄杏寿郎、上弦ノ参トノ戦イノ末、死亡ーーッ!!!」


答えなんて、ずっとわからないままになってしまった。









「カァアアーーッ!!起キロ!!起キロ!!北北東ーーッ!!北北東ーーッ!!!」
「ん……」
「起キロ!!起キローーッ!!!」
「!!」

頭にツンツン、いやズキズキと激痛が走り飛び起きた。夢の中でも鴉が鳴いていたからすぐに起きれなかった。
煉獄さんがいたら叱咤されていたところだ。
煉獄さんが、いたら……。


──、急げ!!


「、はい!」

そうだ、煉獄さんがいたらって、何を言っているのだ、私は。煉獄さんはいる。ずっと。私の隣に今日も変わらずいるのだ。
煉獄さんに背中を押されるように藤の家から飛び出し鴉を追う。
駆けていく中で感じる温い風が不穏な雰囲気を醸し出す。どんな鬼だろうか、今まで人間をどれほど食べたのだろうか、強いのだろうか、私に、勝てる相手だろうか。


──近いぞ!気を引き締めろ!


「わかってます〜!でももし上弦だったりした──」
「きたな鬼狩り」
「!、!?」

茂みから伸びてきた腕。気付かなかった、否、近くにいるとわかっていたのに、警戒していなかった。
脇腹に激痛が走り地面に叩きつけられる。それだけではなく、私を見下ろす鬼が歪んで見える。おそらく身体に毒が回っている。
不味いかもしれない。かもではない、今度こそ私は、死んでしまう。


──呼吸で毒の巡りを遅くしろ!いま鬼が攻撃してこないということは、おそらくこの毒が完全に身体に回り切るまで待っているということだ


煉獄さんの声が聞こえてくる。私を死なせないようにと。
でも、頑張らないと、ダメだろうか。頑張って戦った先に、何が待っているのだろうか。
あなたは、待っていますか。


──、気をしっかり持て!


あなたの元へいっては、ダメですか。


「──水の呼吸、」


最後に、聞き覚えのある声を耳にしてから、私の意識は遠のいていった。
わかっていたのだ。ただ、私は、中途半端でいることしかできなかった。煉獄さんの元へいきたい私と、それをきっと喜ぶことはないだろうという煉獄さんの狭間で。後者は私の想像上でしかない。でも、そういう人だと思った。だから、私が煉獄さんの後を追いたいのは、私のわがままだ。なのに、なかなか死なせてくれない。

真っ暗闇の中で目を覚ました先に広がったのは、彩り豊かな花畑だった。奥には太陽の日差しで水面が煌めいている川が流れている。やっと、私は煉獄さんの元へいけたのだろうか。
頭を空にしながら、川沿いを歩く。



やっぱり。
聞こえた声は、私がずっと、ずっと会いたかった人だった。
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