黄泉の国でも涙は溢れるものなのだと知った。
あの頃と変わらない存在感のある佇まいに、折角目の前にいてくれているというのに視界がぼやけている。
「一つ伝えておこう」
「は、はい、?」
「君は死んでいないぞ」
感動の再会に私は今すぐ煉獄さんの胸へ飛び込みたいけれど、それは私の勝手な想像上の煉獄さんであったからできた芸当で、いざ本人を前にするとそんなことできたものではない。
隊服をギュッと握り締める私に煉獄さんは微風に羽織をはためかせながら言い放った。その言葉に瞬きを繰り返す。
「え、っと」
「生きている!まあ、仮死状態だからここにいるのだがな」
ハッハ、と、煉獄さんは私の両肩に手を置いてよかったなと笑い飛ばす。笑い事ではない気がするのだけれど。
けれど、やっぱりどんなことがあっても調子を崩さない煉獄さんに安心感さえあった。
ずっと、ここにいたい。
「帰るか帰らないかは、君次第だ」
それまで柔らかな雰囲気を纏っていたはずが、声色が変わる。涙が止まった視界に映ったのは、選択肢を与えようとも、一つしか許さない、そんな瞳をしていた。やっぱり、炎柱は炎柱だ。
「私は……」
「……」
煉獄さんがいなくなってしまった世界に、生きる意味なんて見出せなかった。何の為に生きているのか、わからなかった。大切な人を守る為に強くなりたい。でも、その大切な人さえ失ってしまった。いくら強くなったって、私の気持ちなんて関係はないのだ。無慈悲に鬼は人を喰らっていく。
こんな気持ちで、中途半端に人を守りながら生きていくのなんて、もう嫌だった。やる気なんて、でるわけはなかったのだ。
「私は、煉獄さんがいないとダメなんです」
「……」
「弱いんです、私。そんな私、いてもいなくても変わらないでしょうし、」
「それは、君がここに残ってもいいとする為の免罪符だな」
ぴしゃりと、遮られた言葉に身体を震わせた。私の肩から手を離し、煉獄さんは腕を組む。私を見据えるその瞳には覚えがある。いつもいつも、煉獄さん、師範から教えをもらう時はこの瞳だった。
「俺は君を弱いと思ったことは一度もない」
「……」
「君は強い」
今だけは、その一言が重くのしかかった。強いから、生きて鬼を狩り続けなければいけないのだろうか。守り続けないといけないのだろうか。鬼は許せない。私から大切な人を奪った。だけど、その事実は私から刀を握る意志を奪いつつあった。
もう、どうだっていいのだ、煉獄さんのいない世界は。
「君が死んだら、誰も喜ばない」
「……煉獄さんも?」
「喜ぶと思わないから、かろうじて鬼に刃を向けていたのだろう、君は」
「そう、なのですが……」
だから、私は弱いのだ。自分は弱いという烙印を押して、ここにいたいと甘えている。誰も喜ばないけど、それでいいと思っているのだ。私だけが、それでいいと。
「……」
「君のことを見ているのはもう、俺だけではないだろう」
黙っている私に降った言葉。
そんなの、もう誰も、とは言い返すことができなかった。頭に浮かんだ。煉獄さんがいなくなってしまってから、私を気にかけてくれている人たちがいる。
誰も喜ばない、つまり、誰も私の死を望んでいるわけではない。そんな当たり前のことなのに、今更気付いた。
「いるだろう、沢山」
煉獄さんの言う通りだ。
ずっと寂しくて、悲しくて、苦しくて、それを受け入れたくなくて私はずっと夢を見ていた。
そんな私であったのに、今の煉獄さん同様、ずっと私のことを見ていてくれたのだと、一度瞳を閉じた。。
──無茶はしないでくださいね
しのぶさん、今もまた、私のことを診てくれているのだろうか。起きたら、怒られるろうか。でも怒られると、心配してくれていたのだなって思えたりするから不思議なものだ。
──本当に大丈夫かよ
そういえば、不死川さんにはまだ美味しいおはぎの店を教えてもらっていない。教えてくれるだろうか。聞けば教えてくれそうだけど。
──ちゃんとやれてるのか、お前
伊黒さんこそ、甘露寺さんと上手くやれたのだろうか。私がいる時は伊黒さんあまり甘露寺さんと話さないから、二人だけの様子がわからない。今度あった時に聞いてみたい。教えてくれなさそうだけど。
──良かったわ!また来ましょうね!
甘露寺さんなら教えてくれそうだけど。顔を赤くしながら。二人で、好きな人の話をするのが楽しかった。またしたい。銀座のパフェにもまだもう一度、甘露寺さんといけていない。
──煉獄はそれで良いのかよ
いいわけない。わかってて聞くのは卑怯だ、宇髄さん。でもあの時の私は派手に死んだって、それは本望なまであったのだ。でも、宇髄さんはもう柱を引退したけれど、私はまだ戦える。
今しがた私を助けてくれた冨岡さんも、柱稽古があるとわざわざ私に手紙を送ってきてくれた悲鳴嶼さんも、今にも崖から海に飛び込んでしまいそうな私に気付き紙飛行機の作り方を丁寧に教えてくれた時透くんも、みんな、私の大切な人だ。失いたくない、かけがえのない人たち。
拳を握り締め、瞼を上げると柔らかい笑みを浮かべる煉獄さんがそこにいた。
「守らなくていいのか?」
「……」
「勿論、この先君の大事な全てが守れるという保証はない。幾度も、心に傷を負うようなことがあるかもしれない。それでも、……君がこのままここにいると、誰かを守る以前に皆が君を失ってしまうぞ」
これ以上、私から誰も奪わないでほしい。でもそれは、みんなも思ってくれていることなのかもしれない。私は、誰にも同じような思いはしてほしくない。
私がこのまま死んだら私は、誰かから、みんなから私という存在を奪ってしまうことになる。あれだけ、気にかけてくれたみんなから。
「……帰ったら、」
「……」
「他の人を好きになっちゃうかもしれません」
「……そうか」
「その人と家族とか、作っちゃうかもしれません」
「それは幸せなことだな。俺にはできないことだ」
ぼやいた私に、煉獄さんは呆れたように、それでいて優しく笑った。その笑顔に私は止まったはずの涙が再び溢れ出してくる。ずっと隊服を握り締めていた拳を開き、煉獄さんの服をギュッと掴んだ。
「私、煉獄さんが好きなんです……っずっと、ずっと前から……!!」
「ああ」
「でも、貴方は私の師範で、私は継子だから、だから……っ、」
いつか、なんてないことはわかっていたのに、失ってからそれは気付くのだ。もう取り返しがつかなくて、後悔しかできなくて。
子供のように涙を流し声を上げる私を煉獄さんは優しく抱き留める。
「ありがとう、」
いつの日かと同じように、髪の毛に手を絡ませ私の頭を撫でる。この温かい手の温もりはいつだって忘れたことはない。
忘れたくなくて、私は最期の煉獄さんに触れなかったくらいだ。
撫でていた髪がするりと私の頬へ移動して、そっと顔を持ち上げる。頬に伝った涙が親指でなぞられた。
「しかし君の想像上の俺は、少し君に冷たすぎやしないか?」
「……っいや、あの、だって好きだって伝えたら、どう接してくれるかわからなかったので、あれが私の煉獄さん像なんです……」
困ったように笑う煉獄さんに、俯けないので目線だけ逸らした。
私の中の煉獄さんは、色恋においては全く想像の余地がなかったから、私の思いに肯定してくれるとは微塵も思わなかったのだ。
「そうか、だったら、俺に責任があるな」
「それは、つまり……」
「ああ、俺も、君のことが、」
「あっい、いいです!大丈夫です!!」
否、本当は聞きたくて聞きたくて仕方のない言葉だとは思うけれど。告げられる前にふるふると首を横に振った。
「そんなこと言われたら私、本当、戻りたくなくなっちゃいます……」
「……そうか?もう君の決意は変わらないと思うが」
「ダメです」
「それならやめておこう。ここへはいつでも来れるから、その時に。なるべく早く来ないようにはしてほしいがな。お盆も君、来ないつもりだっただろう」
「お盆?」
「竈門少年と話していた時だ」
言われて、うっすらと記憶が蘇る。確かに、返事は上の空だった。大切な恩師である人にみんなでお盆は会いに行こうと、そう炭治郎くんが誘ってくれたのに、今煉獄さんから言われない限りではすっぽかすところだった。すでに私は、この生死の狭間で煉獄さんに会えてしまっているのだけれど。
「行きます、ちゃんと!千寿郎くんにも会えていないし……」
「千寿郎も君が来ると喜ぶからな」
煉獄さんの、今のようにふわりと笑ってくれるその表情は千寿郎くんとそっくりで、きっとこっちが本来、鬼がいない世界であれば多く見れた表情なんだと思う。
鬼のいない世界。私が生きている内にそれが訪れるかはわからない。でも、私は、私を守ってくれる人を失いたくない。私も守りたい。
不意に、身体が少し重くなった気がした。煉獄さんの服をずっと握り締めていた手を見ると、薄く透けている。
「煉獄さん」
「ああ、いっておいで」
「私、ずっと好きです。煉獄さんが。今日も、明日も明後日もずっと。永遠に。ずっとずっと変わりません」
「……君に、こんなに思われる俺は、幸せだな」
太陽に照らされながら映し出されたその笑みから出た言葉は、本物だと思った。それだけで胸の奥がじんと熱くなる。
頬を包み込まれている手に自分の手を重ねた。名残惜しくなってしまうけど、もう当分ここへ来る予定はないから、許してほしい。
自分が薄っすらと薄くなっていたはずが、視界全体がぼやけてきてしまう。泣いているわけではないから、私はもう帰るのだろう。
視界から消えてしまうのが嫌で、手の温もりを感じながら瞳を閉じた。
「」
「はい、いってきます」
「俺は君のことを愛している」
耳元で、そう囁かれたのを最後にして目を開けてしまったけど、次に広がった世界は、どこか見覚えのある天井だった。
揺れるカーテンの隙間から日差しがチラチラと目元へ差し込み眩しさに目を晦ます。
好きだと告げた私に対して、それはずるいなと、頬に伝った涙を自分で拭いながら起き上がった。