秋暁、揺らり旅

眩しさを感じてふと目を開けると、見慣れない天井が視界に映る。はっきりしない意識の中で隣へと顔を向けると虚ろな私とは反対に、パチリと開かれた紅い瞳と爽やかな笑顔に胸が焼き焦がれそうになった。

「……おはようございます」
「ああ、おはよう」

藤の家でも、いつも朝は煉獄さんの方が先に起きていた。この人は一体いつ寝ているのだろうと不思議に思ってしまうほど、その熱い瞳はいつだってこの穏やかな中に潜む殺伐とした世界を映し出している。
昨日、あれから部屋に戻って明日はどうしようかと恋仲であるかのように話していた。否、ように、ではなく、そうなのだ。その事実に今だにふわふわと実感が湧かないでいる。

「いい朝だな!」

のそのそと起き上がった私に煉獄さんも横にしていた身体を起こして立ち下がり、窓を開けて日差しを目一杯に浴びていた。
その日差しが眩しくて目を細めていると、小さく息を吐くように笑う声が聞こえた。

「君は朝が弱いな」
「……これからは先に起きれるよう善処します」
「いや、いい」

いつも私が起きるどれほど前に起きているのかはわからないけど、きっと短時間で安眠することも鍛錬の一つなのだろう。まだまだ、煉獄さんには程遠いことを感じつつ、逆光で表情がよく見えない煉獄さんへ呟けば、首を横に振ったのは影でわかった。

「先に起きる人間の特権がある」
「……?」
「寝顔だ」
「、え、」
「良し、着替えて宿を出るぞ!」

いや、何が『良し』なのか。全く良くはない。
私が起きるまで、ずっと見られていたのかと思うと羞恥から全身に熱が昇ってくるのを感じる。
そんな私には気にも止めず、清々しい声色で浴衣の帯を緩め始めたので私も慌てて布団を片してから衝立の奥で着替え始めた。
いつもの隊服に腕を通し、衝立にかけていた艶やかな羽織を数刻眺めてから、頬を緩ませて上に羽織った。

「あとは帰るだけだな」
「はい。少し寂しいです」

昨日と同じく賑わう山道で宇髄さんへのお土産を調達してから、列車が到着するのを駅で待っていた。
一日目は、それはもう煉獄さんへ如何に迷惑をかけないかとか、どうしてこんなにも気にかけてくれるのかとか、そんなことばかりを考えていてろくに楽しめずにもいたけれど、この旅が終わってしまうことに自分だけ一人取り残されてしまうような侘しさを感じていた。

「少し?」
「……とても」
「なら、また行こう。何度でも」

先頭車両が到着する付近で待っているから、周りに人は少ない。この時期らしからぬ暖かな風はまるで侘しさを感じていた私を包み込んでくれるようだった。

「煉獄さんが良ければ」
「君はいいのか?」
「……?」
「俺はから返事を聞いていない」

そういえば、そうだったと昨日のやり取りを思い出す。でも私の中では、もう決まりきっていることだと思っていたし煉獄さんもそう捉えていてくれていると思っていた。
髪を靡かせながら私に告げた煉獄さんと目を合わせる。募らせていた言葉を声に出そうとしたところで、気付いた。

「私、何も言われてないです」
「…………」
「言葉には……、されてないです」

意味は伝わっているけれど、肝心な言葉は耳にしていない。辿々しくも遠回しに聞きたい言葉を要求してしまうのは、ずるいだろうか。
貰った羽織の裾をギュッと掴んで下唇を噛み締める。後ろの方から、列車が汽笛を鳴らして駅に近づいてくる音が聞こえてきた。キキ、と列車が止まる高い音が駅に響く。
聞けずじまいだろうか、視線を足元に落としていると徐に影が降ってきて、普段は誰よりも溌溂とした通る声の持ち主であるのに、耳元で囁くように告げられた。

「君のことが好きだ」

熱が篭ったその声に、他の感情は一切抑えて胸が詰まってしまった。
列車が止まり、乗客の乗り降りで人が溢れる。早く私たちも乗らなければいけないのに、その場所から動けずに私は煉獄さんに視界を奪われる他なかった。

「私も、好きです。ずっと前から」

はっきりと私も言葉にして伝えれば、煉獄さんは目を細めて微笑んだ。どくどくと心臓が鳴り止まない。こんなに心地の良い鼓動があるのだと胸がいっぱいになる。
煉獄さんから目が離せないでいると、煉獄さんは少し困ったように眉を下げて笑った。

「情けないが、俺は女性への接し方というものをそれほど心得ていない」
「……はい、」
「だから、何かあれば遠慮なく言ってくれ」

それは、私も同じだ。人を好きになるということ自体、例えば昔近所のお兄さんに憧れを持っていたとかそういうのを除けば初めてだ。
だから私もそういう関係になった人への接し方は何が正しいのかはわからない。でも、正しいことはわからないけど、してほしいことは一丁前に浮かんできてしまう。

「その、」
「ああ、なんだ?」
「手を、繋いでほしいです」

幸溢れんばかりの空気感を漂わせながら町を歩く男女のように、私も、煉獄さんとそうなりたい。そういう風に見られたい。それから、この人にとっても私が心休まるような、そんな存在にもなりたい。
結局のところ、恋人らしいことをしたい、という考えに落ち着いてしまうのだけど、思い返せば煉獄さんは私へあまり触れてはこなかった。みだりに女性に触れてはいけない、と一昨日話していたけど、その言葉通りだった。
顔中に熱を走らせながら呟いた私に、煉獄さんはそっと私の手に自身の手を重ねる。

「行こうか。乗り遅れてしまうぞ」
「はい」

そろそろ列車が出てしまう。その合図に私の手を引きながら列車へと乗り込んだ。
ほんの少しだけ手に力を入れると、控えめに握り返された。

「寄りかかってもいいですか?」
「ああ!寒くないか?」
「はい。羽織のおかげで」

席に座り、天気が良いからと窓を開けて列車が動くのと同時に尋ねてみた。断られるとは微塵も思っていなかったけど、一応。
控えめに頭を煉獄さんの肩口に預ける。
温泉の匂いは段々と遠ざかって、薄れていくけれど温かさに包まれた私はその心地の良さと列車の揺れに意識を手放した。





とても、素敵な、都合のいい夢を見ていた気がする。
ずっと慕い続けていた人が、私のことを好きだと、真剣な眼差しを向けてそう告げてくれた。そんなこと、あるわけはないのにと、これは夢なのではないかと自嘲したところで、夢という世界から現実に引き戻されるのはよくある話だ。
ガタゴトと小刻みに揺れる中で目を覚ませば、窓から差し込む日は紅く夕刻を知らせていた。

「……夢、」

だと、思っていたことは夢の世界での出来事ではなかった。目を覚ましても隣にこの人はいて、繋いでいた手はそのままだ。
預けていた身体を離し、そっと盗み見るように煉獄さんを見上げれば、思わず息を呑んだ。普段、いつ寝ているのかと今朝も疑問に思っていたばかりであるのに、瞼は固く閉ざされ眠りに落ちているようだった。
その様子が、刀を持ち鬼と対峙する時のような勇ましさはなく穏やかな夢でも見ているのだろうかと思うほどの柔らかさで暫く横顔をじ、と見つめてしまっていた。
開けたままの窓からほんのりと冷えた風が吹き込み我に返る。折角気持ちの良さそうに寝ているから起こしたくはない。
そっと手を放してから窓を閉め、煉獄さんから貰った羽織を脱いで煉獄さんと自分の膝元へかけてみた。申し訳程度だけど、暖かくなる気がする。
もう一度、放してしまった手を繋いで、さっきまでは重ねていただけだけどおずおずとその骨ばった指に絡ませるようにぴたりと手を握る。

「…………」

まだ、煉獄さんは起きない。もしかしたら、いつもは気が張っているけど今はそうではなく、安心してくれているのかもしれない。流石に、都合が良すぎるだろうか。
ずっとその横顔を見ていたら、とあることが頭に浮かんでくる。勝手に、とは思うけどそういう関係であることは事実である。寝ているし頬になら、いいだろうか。頭の中で言い訳をつらつらと重ねて煉獄さんが眠っているのをいいことに、吸い寄せられるように頬へ唇を近づけ、触れてみた。
脈打つ胸の鼓動を感じながら、ゆっくりと離すと煉獄さんの瞼がパチっと持ち上がりこちらへと真っ直ぐに視線を向けた。

「……あ、えと、」
「……」
「すみま、っ、」

慌てて出した謝罪の言葉は、彼の唇によって塞がれた。
熱くて柔らかい感触に息が止まる。そっと離した煉獄さんの口角が薄っすらと上がる。


「、はい」
「この羽織は、君のだろう」

いつから、起きていたのだろうか。ただ、唇が触れたことに頭がいっぱいになって初めて名前を呼ばれたことでさえも気付かなかった。
本当に、夢ではなかったことに今更涙が溢れてきそうになる。

「二人で何かを使うの、いいなって思いまして」

狼狽えながら必死に脳内を回転させた。
今度は、私が煉獄さんへ何かを贈りたい。それを見れば、私を思い出してくれるような何かを。
私へ優しい眼差しを向ける煉獄さんへ一度深く息を吐き、落ち着きを取り戻した。

「あの、改めて、ありがとうございました。夢みたいで、嬉しかったです」
「夢にしてもらっては困るな」
「はい」

窓の外の景色は、見慣れた町がすぐそこまで来ていた。
列車が茜色に包まれる中で煉獄さんは外の景色へと視線を運ばせた。

「列車は良いな。行く先数多の景色を見れる。望んだ場所へ運んでくれる。こうしてゆっくりと話もできる」
「……はい」
「この時間を邪魔するような奴がいたら許せないな」

その瞳に映し出されるのは、私だけではなくこの旅の行く先々で目にした人たちなのだろう。
殺伐とした世界なんて、いらないのだ。知らなくていいのだ。

「煉獄さん」
「なんだ?」
「私、もっと煉獄さんのことが知りたいです」

けれどそうして彼が目には見えない思いを抱えていくことを、背負っていくことを私はもっと知っていきたい。寄り添いたい。知らないことはまだまだ、沢山ある。
ギュッと手を握りながら伝えた私に煉獄さんはあどけなく頬を緩める。少年のような笑顔に、早速今まで知らなかった一面を垣間見ることができた私の心もまた、列車のように揺れ動いていた。  


ゆらり揺れる列車と