ご好意で泊めさせて貰えることになった旅館は外観はさることながら、内装もどこか洋風の雰囲気を漂わせていて、初めて列車に乗った朝のようにキョロキョロと見渡してしまった。
おまけにこちらです、と娘さんに案内された部屋は人一人泊まるには勿体無いほどに広い客室だった。煉獄さんとは別の部屋で、夕食も用意してくれるらしく同じ部屋で炊きたての白米にありつきながら明日の時間を確認したりとなんだか業務連絡のような会話をして床についた。
明日の時間もそれなりに早かった。なんせ宇髄さんが教えてくれたという温泉はかなりの山奥らしく、呆然と天井を見つめている場合ではないのに瞼を閉じても寝ることができなかった。布団の柔らかさはさすがというべきなのだけど、部屋が広すぎてなんだか落ち着かなかった。
瞼を閉じてしまえば部屋の広さなんて目につかないのに、こんな私には勿体ない場所で夢の中へ入ろうとしていることにむずむずとしていた。
「……、」
もう、いっそのこと外で野宿をした方が眠れるのではないかと頭に過ぎり、一度布団から抜け出し洋燈で控えめに照らされている廊下へと出た。
頭を過ぎっただけであって、流石に本当に野宿をしようとは考えてはいない。少し夜風にあたればきっと落ち着くはず。
確か、娘さんがこの旅館には自慢の庭園もあると話していた。折角だからそれを見に行こうと埃一つない廊下の先を進んだ。
「わ……」
『庭園』と札がかけられた先へ赴くと、その光景に思わず声が溢れ出た。
自慢の、と話していただけあって、旅館に囲まれた中心部には大きな池に一つ橋がかかっていて、周りには紅葉が穏やかに洋燈で照らされ紅く映えていた。
ご自由に降りてどうぞと謳っている石段まで歩き、備え付けられていた草履を履いて庭園に踏み出す。あまりの綺麗さに心が奪われて、落ち着きを取り戻す為に来たはずが、むしろ心臓がどくどくと踊っていた。
「こちらです」
草花の匂いと時折耳に響く鹿おどしの音に引き寄せられるように池の方まで歩みを進ませていると、聞こえた声に意識が戻ってくる。
娘さんの声。と、そっちに顔を向ければこの旅館へ来た時と同じように娘さんに腕を絡ませられている煉獄さんだった。
「これはこれは、枝一つ一つまで丁寧に手入れがされているな」
「熟練の庭師を雇っておりますので」
来た時も思っていたけど、煉獄さんは特に振り解くようなことはしていない。嫌、ではないのだろうか。そんなことを頭の隅で考えながら、なぜか私は隠れるように木の後ろ側へと回った。隠れる必要なんてないのに、咄嗟に身体が動いてしまった。
「今の季節が一番、艶やかに色が染まって自慢なんです」
「そうか。も連れてくるべきだったな」
煉獄さんから、私がいないときに私の名前が飛び出して思わず胸がどきっと飛び跳ねた。一緒に見たいと思ってくれているその気持ちが、純粋に嬉しくて。自分が綺麗だと思ったものは誰かと共有したいと、果てしないほどに優しい人なのだと思った。
「杏寿郎様」
柔らかくて甘い声が私の耳にまで届いてくる。木陰から盗み見るように視線を向けると、甘美な庭を見据えている煉獄さんに、旅館の娘さんはそちらには一切目もくれずに煉獄さんだけをただただ見つめていた。
「今は、私だけを見てくださいませんか?」
わかってはいた。あれほどあからさまであったし、誰が見たってあの娘さんは煉獄さんへ好意を寄せていた。
今日一日、お世話になっているだけで今後あの人と関係が続くとは思い難い、けど。鬼殺隊の拠点というものはなく、鬼が出ればどこへでも駆り出される。今私が一緒に住まわせてもらっている屋敷だって、場所を移そうと思えば移せてしまうのだ。どうするのだろうかと、私には関係のないことなのにそわそわしてしまって、手が僅かに震えていた。
一心に庭を見つめていた煉獄さんがぐるん、と娘さんへ顔を向ける。顔色一つ変えず、笑顔のままだった。
「断る」
娘さんの柔い声とは裏腹に、その場にそぐわないほどの声量でその一言は庭中に木霊した。
あまりの勢いに娘さんは勿論のこと、私までもが先ほどとは違う胸の音がどくどくと鳴る。
「そ、そう仰らずに、ねえ」
「断る」
「一晩くらい、」
「断る!」
閑静な庭には似つかない波長の声が響き渡る。お客さんがあまりいなくて空いているとはいえ、私のように寝付けなくなってしまう人が出てきてしまうのではと危惧してしまうほど、その声はハキハキと娘さんに告げられていた。
「……女性に、恥を欠かせてはいけないものだと思うのですが」
「そうか、それはすまない。でも、俺は君のことはそういう風に見ていないし、今後も見ることはない」
あの娘さんと何かが起こってしまう、と思い描いていたわけではないけど、言葉ではっきりと気持ちを示していることに安堵してしまった。それと同時に、あんな風に自分の気持ちに自信を持って他人にそれを言葉として伝えられる煉獄さんのことが、やっぱり好きなのだと改めて胸に浸透した。憧れから始まった私の恋は、煉獄さんを好きになる気持ちの強さに終わりを告げない。
一緒にいればいるほど、こうして思いが募ってしまう一面を垣間見ることができて、温かくなるのと同じくらい切なくもなる。
「……どなたか、そういう方がいらっしゃるのですか?」
「ああ、そうだな。ずっと一緒にいたい、守りたいと思う人がいる」
知りたくなかったことまで、耳に入ってしまうから。
私と煉獄さんが、なんて、考えてはいないけど。それでも、思い人から放たれた言葉は私の心臓に深く突き刺さった。
娘さんの誘いを断った煉獄さんの、誰かを愛おしく思う声色はその娘さんにも嫌というほど伝わったらしく、戻りましょうかと称えられるほどの潔さでその場から去っていった。私はというと、寝付きを良くするためにこの神秘的な庭園に赴いたはずが、やっぱり安眠することはできなかった。
お陰様で、朝起きた時の私のクマはわかりやすく酷かったらしく、煉獄さんは少し驚いていた。
「枕が変わるとなかなか寝付けないことがあるからな」
「……はい、」
「列車に乗ったら少し寝るといい。町はまだ先だ」
千寿郎も修行で家の外に出ていた時、宿で眠れないことがあってな、と意気揚々と話す煉獄さんの二、三歩後ろを歩きながら兄弟話を聞かされた。
時折煉獄さんはちゃんと私がついて来ているか確認するためか振り返って目を合わせる。相槌はハッキリと打っていたはずなのだけど、それでもちらちらと様子を窺われ、おまけに笑いかけられてしまえば、煉獄さんには思い人がいるというのに胸が煩くなってしまうのに歯止めはきかなかった。