秋暁、揺らり旅

一日足らずで仕立て上げられた羽織は、紅の糸で刺繍された紅葉が煌びやかで私には勿体無いくらい艶やかなものだった。隊服の上から羽織るのが憚られてしまいそうなほど。
手にしていると荷物にもなるし、折角だからと羽織に腕を通したけど、人から、それも煉獄さんから頂いたものだという事実にそわそわとしてしまう。秋晴れの空にも負けないような澄み切った笑顔で『似合うな』なんて言われてしまえば、その時ばかりは眠れなかったはずの睡魔が吹き飛んでしまった。

「寝ていていいぞ」
「ありがとうございます……」

今回こそは、と列車に乗り込んだ後、窓際へどうぞと譲ろうとした私の申し出は快く承諾された。断られなかったことに胸を撫で下ろしつつ、隣に座る煉獄さん越しに町を出て草原が広がる景色を眺めていた。
時々、その眺めから煉獄さんへと視線を向けても気付かれることもなく、景色が一望できる窓側よりもこうしてその鮮やかな景色と同時に煉獄さんを映すことができるこっちの方が私にはいいかもしれない、なんて。我ながら呆れてしまった。
ふと、昨日のことを思い出す。
『ずっと一緒にいたい、守りたいと思う人がいる』と、煉獄さんは話していた。それが誰なのだろうかと、ずっと気になっていた。気になってしまうけど、聞くことなんてできやしない。聞いたところで教えてはくれないだろうし、うつつを抜かしていないで稽古に励みなさいと諭されそうだ。私自身も、一日でも早く強くなって煉獄さんのように沢山の人を守れるようになりたいと思っているはずなのに、ぐるぐるとそればかりが頭の中を支配している。情けない。
ぼうっと景色を眺めていれば、だんだんと意識も虚ろになっていく。寝ていなかったから当然だ。こうして列車に揺すられてしまえば、一度消えかけた眠気はまた襲ってくる。
煉獄さんは寝ていないのに、隣で私が寝息を立てていいものなのかと思うけど、鬼の気配もないこの平穏な時の流れに、私の意識はふつりと途切れた。

「…………、ん」

頭の奥で、深々と脳に染み渡るような汽笛の音が鳴り響いて、意識を手放していたことに気付く。ガタンゴトン、と揺れる列車にうっすらと瞼を開け、瞬きを繰り返す。
やけに頭がすっきりしているし、小刻みに揺れる中でなぜこんなにもよく眠れたのかはすぐにはわからなかったけど、段々と焦点の定まっていない視界から意識がはっきりとしてきて漸く気付いた。

「!、すみません!!」
「ああ、起きたか」

左側の窓の向こうに広がる景色を見ていたはずで、そのまま眠気に抗えずに瞳を閉じてしまったせいだ。いつの間にかに私は煉獄さんへ寄りかかってしまっていたようで、それに気付いた瞬間慌てて離れ、深く頭を下げた。
無礼すぎる。柱の肩を借りて寝るなんてあまりにも不行儀だ。怪我をしているわけでもなんでもなく、ただただ眠たかっただけであるのに。
謝る私に煉獄さんは特に気にとめていないようだったけど、煉獄さんが気にせずとも私の心が休まらない。

「良く眠れたか」
「はい、それはもう、お陰様で……」
「それはよかった!」
「すみませ、っ」

忸怩たる思いでいっぱいで、謝罪の他ないと謝ろうとした私の口に煉獄さんの大きくて熱い手が覆いかぶさった。
単純に驚いたのもあるけれど、自分の唇にその手が触れていることにじわじわと身体の芯から火照ってしまうような感覚が押し寄せた。列車の揺れる音よりも、私の心臓の音の方が煩そうで。
口を覆われたまま、恐る恐る煉獄さんへ下げていた目線を向けると、真剣な面持ちを見せた後、目を細めて微笑んだ。

「君は謝りすぎだ」
「……」
「こういう時は何と言うべきか、教えたな?」

鬼殺隊としての立ち振る舞いだけではなく、私は何を教えられているのだろうか。ただの弟子であるのに。それでも、その表情に胸がいっぱいになってしまう。
ゆっくりと温かくて骨ばった手が口元から離れて、教えられたことを呟いた。

「ありがとうございます」

何度目だろうか、昨日列車に乗ってから、私は謝ることかお礼を述べることしかしていない気がした。それほどまでに煉獄さんに私はことあるごとに面倒をかけてしまっているということで。折角の休暇であるのに煉獄さんは思うように休めているのだろうかと気にしてしまう。
ただ、迷惑をかけたくないと思っていても、それ以上に煉獄さんが私を気にかけてくれている。
お礼を言った後、居た堪れなくなり逸らしていた視線をもう一度煉獄さんへ向けると思い切り目が合ってしまい胸が苦しくなる。

「顔が赤いな」
「、え」
「熱でもあるのか?」
「ちがっ、これは、」

熱だと思われてしまったらきっとまた肩を貸して寝かせてくれそうで、そうではないと否定しようと声を上げれば、煉獄さんの表情に思わず言葉が喉から出てこなかった。心配してくれているのかと、そう思ったからだ。昨日、溜息を吐いていた私に浮かべていた表情のように。
けれど、そうではなかった。煉獄さんはおそらく、わかっているようだった。口角を上げながら、私の反応を楽しんでからかっているような、そんな面持ちで。心臓の音が鳴り止まない。

「『これは』?」
「これは……、煉獄さんの……」
「……」
「あの、煉獄さんの話を、聞いてもいいですか」

貴方のせい、なんて決まりきったことだけど、言葉にするのには私には敷居が高すぎた。そんなこと、告白も同然だ。もう今のやりとりでバレていても可笑しくはないのだけど、どうしても言い出せない私はあからさまに話題を変えた。
変に会話が転換してしまったけど、煉獄さんを見れば大きい瞳で瞬きを一度二度繰り返してから優しく笑った。

「うむ!何が聞きたい」

無理やり話を変えてしまったのに、快く頷いてくれた煉獄さんに安堵しつつ、改めて何を聞きたいのか考えた。
今一番聞きたいことは、昨日、旅館の娘さんと話していた内容についてだけど、流石にそれは言えまい。だとすると私が聞きたいことというのは咄嗟に出てくるわけでもなく、初対面の人へ歩み寄るための質問のようなことしか思いつかなかった。

「えっと、……好きな食べ物とか」
「さつまいもの味噌汁」
「さつまいも、」
「それからさつまいもご飯!」
「……それは、さつまいもがお好きなわけではなく?」

屋敷では栄養が考えられているからか、煉獄さんが特に希望をしないからかさつまいものご飯やみそ汁が並んでいることはたまにしかなかった。いつも心から『美味い』と口にしながら食べているし、これといった好きな食べ物があることに意外な一面を見た気がする。
ほんのりと疑問に思ったことを呟くように口にすれば、煉獄さんは瞬きを数回繰り返した後に明朗快活に言ってみせた。

「鯛の塩焼きも好きだな!」
「…………ふっ、」

そういうことではなく、と予想だにしない答えに思わず張り詰めていた緊張が解かれ、肩の力も抜けてしまった。
しかし、おまけにそのまま微かに笑ってしまったのは反省すべき点であった。口元を抑えていた手を離し煉獄さんへこればかりは謝ろうと目を向けたが、言葉がでなかった。
それほどまでに、煉獄さんは私へ柔らかい温かな表情を浮かべていて、その表情とは裏腹に私は身体が固まってしまった。

「そうか、最初に話せばよかったな」
「……」
「一日を無駄にした」

昨日から幾度となく聞いているその穏やかな声色は、私の心臓をギュッと鷲掴みにされるようだった。
少し視線をずらせば煉獄さんの後ろには雅な紅葉が広がっているはずなのに、煉獄さんの紅だけが私の視界を独占する。

「俺は、君が普通の女性として笑っている姿が見たかった」

こればかりは、と謝罪の言葉を口にしようとした私の声はろくに出すことができなかった。
だらしなく口を薄く開いたままの私に煉獄さんは頬を綻ばせる。
深い眠りから目を覚まさせられた汽笛の音でさえ、今の私には聞こえてこなかった。
 


鳴り響く