からかわれている気がしてならないのだけれど、煉獄さん本人が穏やかな表情を浮かべて楽しんでいるようならば、もう私はそれでよかった。折角の休暇なのだから、煉獄さんの気の向くままにしてほしい。その代わりに、私が思いを募らせてしまうことにはなるのだけど。
「二部屋ですね。ちょうど空いていますよ」
「ありがとうございます」
宇髄さんお墨付きの宿は、昨日泊まった豪勢な旅館と比べてしまえばこじんまりとした建物だったけど、こっちの方が私には落ち着きそうだった。
山奥で静かに佇んでいるものの、この宿は知る人ぞ知る、といった評判の温泉宿らしく、部屋も私たちで満室になってしまったらしい。山道の出店に惹かれる前に先に宿に私が受付をしに行った方が良かったのだと反省。空いていなかったら折角ここまで赴いたのに台無しだ。
「ええ、もう空いてないんですか?」
部屋の番号札を受付の人から貰って、二階にある部屋へと階段を上ろうとした時に聞こえてきた声。
今から満室、という札を店前に打ち出すところで入って来た人たちだった。妙に聞き覚えがあると思えば、山道の休憩所で近くに座っていた男女だ。
「はい、今ちょうど」
「もっと早く来れば良かったわ。やっぱり人気なのですね……」
階段を上ろうとした足を踏み留めてその様子を眺める。口元に手を当て、心底残念そうに眉を下げている女の人に寄り添っている男の人を見ると、悪いことをしてしまったような気になってしまう。直前に二部屋とってしまったのは私たちだ。
私と煉獄さんが、あの二人のような関係であれば一部屋で済んだのだけれど。
私が歩みを止めたのと同時に、煉獄さんも立ち止まり宿の入口へ視線を向けていた。私の視線に気が付いて瞳が交わるけど、表情は硬い。
「……あ、あの」
同じ部屋で寝ることなんて、今まで沢山あった。だけどそれは藤の家での話であって、鬼殺の意識しかない時の話であって。
だから、何もない穏やかな空間の中で一夜を明かす、というのは少し、いやかなり緊張する。
そもそも、煉獄さんが頷いてくれるかはわからない。でも、あの人たちが泊まれないことは私たちがどうにかすれば解決することで、このまま泊まっても多分、私は『あの人たちは他の宿を探せたのだろうか』と頭を過ぎりながら食事も温泉も楽しむことになるのだろう。というか、絶対に楽しめない。
視線を泳がせて、もごもごとまごつかせながらも意を決して口を開いた。
「私と同じ部屋だと、居心地悪くなりますか……?」
「……」
「煉獄さんさえよければ、同じ部屋が、いいのですが……」
ただ、同じ部屋で寝るだけ。それだけの話なのに、私には敷居が高い。それは、私がこの人のことが好きだから、という理由以外には何もない。何も感じていなければ、藤の家で休む時のように、ただ師範の休みを邪魔しないように気を付けるだけだ。
返事が、返ってこない。
駄目だろうか。ただ、恐る恐るではあったけどこの提案が却下される可能性は低いと考えていた。あの男女のやり取りを煉獄さんも見ていたわけで、寛大な心の広さと温かさを持つ人なのだ。だからこそ、表情が硬かったことに辿々しくなってしまった。
「『違う宿へ泊まる』」
「……、」
「俺は君がそう言うと思った」
見上げた先で静かに、けれども確かに私へ告げた煉獄さんの表情は和らいでいた。
思わずその面持ちに魅入ってしまい、仕方ないね、と宿の入口から聞こえた声に我に返る。
「すみません!その考えがなくて、でもそうですよね、そうすれば何も問題が、」
「君がよければ俺は一部屋の方がいい」
「…………」
「あの二人、帰ってしまうぞ」
「っ、はい!あの、すみません!私たち一部屋で……」
入り口で宿の人とやり取りをしているその輪へ駆け寄った。
なぜだか、今煉獄さんが私に話したような考えは浮かんでこなかった。さっきまで、少し冷えた空気の中でも煉獄さんの灯のような熱に浸っていたせいか、離れる、という選択肢が消えてしまっていたのだと思う。
無意識に、煉獄さんへ執着してしまっていたのだ。恥ずかしい。
でもやっぱり、彼は優しくて大らかで、そんな煉獄さんがどうしようもなく好きだ。
「じゃあ後でな」
「はい」
一人一部屋にやたらとこだわってしまっていたのは、最初から私の方だけだった。
煉獄さんは藤の家でのやり取りのように何事もなく私へ接し、夕食も食べ終えた後湯に浸かろうと部屋を出た。
宿の浴衣を持って、煉獄さんと別れ浴場に入ると、宿は満室のはずではあるけど時間の問題か他に人はいなかった。
檜の匂いに終始そわそわとしていた気持ちが落ち着く。
身体を軽く流してから、星空の下に聳える露天風呂に心を躍らせながら片足を入れてみた。
「あっ……づ、」
「か、大丈夫か?」
思っていたよりも温度が高めで、肩まで浸かってしまうとすぐに逆上せてしまいそうだった。思わず声を上げてしまったところで、少し離れたところからさっき別れたばかりの煉獄さんの声が聞こえる。
木の板で仕切られたすぐ向こう側にいるのかと思うと、落ち着いてきた気持ちがほんの少しだけどくどくと忙しなくなる。
「大丈夫です。煉獄さん、一人ですか?」
「ああ。そっちも一人か?」
「はい」
そっと足だけお湯に浸かり、岩石へ腰を下ろした。
もくもくと湯気が立ち込める中頭上を見上げると満天の星が広がっている。聞こえるのはお湯の流れる音と、鈴虫の鳴き声。
「いい湯だな」
「はい、宇髄さんに感謝です」
それから、煉獄さんの声。
私は熱さに足だけしか浸かっていないけれど、それでも足先から全身まで温まりそうだった。多分、煉獄さんはこれくらいの熱さはなんてことはなく全身浸かっているのだろうと想像してから、いやいや、と頭を振り払った。
「土産を買っていこう」
「宇髄さんは何がお好きなのでしょうか」
「知らないな。藤の家ではふぐ刺しがないのかと尋ねていたのを聞いたことはあるが」
「ふぐ刺し……。雛鶴さんたちもいらっしゃるので、甘いものがいいでしょうか」
「なら芋だな!」
流石に、ふぐ刺しの土産なんて無理がある。宇髄さんは三人のお嫁さんたちもいるから、みんなで食べられるものがいいけど、甘いものならきっと間違いはないだろうと口にした私に間髪入れずに返ってきた食べ物に笑ってしまった。
今日、こうして煉獄さんのことを今までよりも知ることができてよかった。きっとこの旅の目的は、屋敷を飛び出した私への煉獄さんの気遣いなのだと思えば、もうこうして休暇を共にするということはないのだろう。寂しいけど、それが私と煉獄さんのあるべき形だと思った。
「……煉獄さん」
「ああ、なんだ」
だから、今日だけは、今日だけでも、もう少しあなたに近付きたい。勝手だけど、いつかこの日を思い出した時に幸せだったと言葉にできる日にしたい。
柵越しで表情もわからないからか、今なら伝えられる気がした。
「私、もっと煉獄さんのことが、」
「わ〜素敵なお風呂!」
「本当ねえ」
知りたいです、と、声に出そうとした言葉は喉奥で止まった。
露天風呂へ扉を開けて入ってきた女の人二人に、それ以降会話を続けることはできなかった。
もどかしさを感じながらも、足だけ浸かっていたお湯へと肩まで沈めた。
言えなかったけど、でも、このままでもよかった。言葉にしていたら煉獄さんはどう受け止めてくれただろうか。煉獄さんのことだから、自分に歩み寄ってくれる隊士のことを邪険には扱わないだろう。
ただ、彼にはいるのだ。『ずっと一緒にいたい、守りたいと思う人』が。その邪魔をする気は更々ない。邪魔も何も、煉獄さんにとって私はただの弟子であるから私が入り込める一寸の隙さえもないのだろうけど。
空に浮かぶ星々を見上げながら、柵の向こうで湯から上がる音が聞こえた。
出くわさないように、私はもう少しここで湯に浸かっていようと瞳を閉じた。