五日は安静にしろと医者に言われた手前、その期間はこの藤の家から出ていくことはできなかった。その為特にすることはないと言えど”何もしない”というのは性に合わず、季節なんて言葉は知らないような藤の花が舞う庭を借りて竹刀を打ち合っていた。
「風柱様」
不意に呼ばれたその声に顔を向けると、藤の家の旦那が一人。いるのは気付いていたが一区切りしたところで声をかけてきたからただ単に見ていただけではなかったのだろう。
声が出なくなった娘を再び診て貰うために医者を呼んでいたが、その医者が到着したらしい。すでに医者は娘がいる部屋に入り診察を終わらせていた。
「特に異常はありませんね。扁桃腺も腫れていませんし」
「つまり?」
「精神的なものかと」
大人しく医者に診られていた娘の傍で雪生が尋ねた。娘は静かに自分の喉元へ手をあてる。声が出せるのに自分から話そうとしていないだけ、ということではないらしい。
「それって、どうしたら治るんですか?」
「その内、自然とふっとした時に話せることが多いですが、長期に渡ると鬱病の併発も考えられてしまうので入院が必要です」
「鬱病……、は、どうしたい?」
どうも無理やり喋ろうとすると過呼吸を起こすもんだから、が起きた時、一度落ち着いてから藤の家の旦那から拝借した紙と筆に名前を書かせた。
どうも何も、こんなところにいても仕方ないのだから元いた場所に帰って病院でもなんでも行って早く治せばいいと思ったが、雪生の問いかけにはふるふると首を横に振った。多分、元いた場所が帰りたくない場所なんだろう。死に損なっていた時のことを思い出した。
「本人の意思や周りの環境も声を取り戻すのに左右しますので、貴方方に任せます。また何かあればお呼びください」
「わかりました、ありがとうございます」
最後に医者はそう言って静かに部屋から立ち去って行った。残されたと俺たちに重苦しい空気が流れる。それもそうだ、この娘が帰りたくないのであれば、今後どうしていくか決まったようなものだ。
「おい」
「!」
布団の上で縮こまっているそいつに声をかけた。肩を震わせて俺を見ている。怯える目で見られるのなんてもう慣れている。
「お前は元いた場所に帰れ」
「え、実弥さんそれは…」
「元いた場所じゃなくてもいい、ここにお前の居場所はねェ。自分で探せ」
俺は、微かに生きたいと希望を持った死に損ないを助けただけだ。それ以外こいつにしてやれることはない。優しくしてやる義理もねェ。小さい餓鬼でもないんだ、自分で考えることができる年ではある。
「せめて声が戻るまでとか…」
「ここにいたって治らねェだろ」
「わからないですよ、それは」
「治らねえままいつまでもいつまでもこんなところに置いておくよりそのままでも生きていける場所探した方が賢明だ」
「それは…まあ……」
まだ絶えない鬼を狩り尽くしたその時。俺はどうするかわからないし、もしかしたら俺は鬼を狩りつくす前に寿命で死んじまってるかもしれねェ。そんな未来も見えないここにいるよりも、初めから違う場所で暮らした方がそいつにとって良いに決まってる。
「藤の家の人に置いてもらうとか!」
「んなことしてたらキリねェだろ。ただでさえ無償で寝泊まりさせてもらってんだ。それ以外のことで世話になる必要はねェ」
「……実弥さんそういうところあるんだよな、嫌いじゃないですけど」
を挟んで言い合う俺たちに、そいつは肩を竦めて様子を窺っているようだった。横目で見ると目が合って、眉を顰めて唇を噛み締めている。その小せえ頭に手を伸ばすと瞼を堅く閉じて俯いた。そのままその頭に手を置いてぐしゃっと髪の毛を掻き分けた。何をされているのか理解が追いついていないのか恐る恐る顔を上げた。小刻みに身体が震えている。叩かれるとでも思ったのか。
「自分が生きていきたいと決めたとこで暮らせってことだ」
「……、」
「ビビってんじゃねェ」
「……」
ビビるでしょうに、とボソッと呟いた雪生を無視しての頭をそのまま布団に沈めた。
興味本位で聞きたいことは色々あったが声が出ないのならめんどくせえしもういい。夕食を準備したと襖の向こう側から聞こえる声に頼むと一言告げた。三人分あるそれには動こうとしたがそのままでいろと制した。昨日自分で食べていたのを見たがあまりにも身体中が痛そうで結局食べきれていなかった。腹が満たされたわけでもないだろうに。
「起きれるか」
配膳された夕飯をの側まで持っていき沈めたばかりだが声をかければゆっくりと起き上がる。手を出さずに自分で痛くないよう起き上がった方が安全だろう。茶碗によそわれた白飯を箸を使っての口元まで運んだ。
「早くしろォ、まだ慣れてねェんだ左で箸持つの」
白飯ではなく俺に不思議そうな眼差しを向けるにそう告げた。すると口を漸くゆっくりと開いたので放り込むように食わせると一瞬でゴクリと飲み込んだ。
「ちゃんと噛まねえと喉詰まらせるぞ」
全部食い終わるまで時間はかからなかった。相当腹が減っていたらしい。綺麗に食べ終えたお椀を置いて俺も自分の飯を食おうと立ち上がろうとすれば、羽織を摘まれた。見ればそいつは摘まんだ手を離してあるものを指差した。刀だった。そのことで、恐らく怯えていたのはこれが原因でもあったんだろうと頭を過る。
「人を斬るもんじゃねェよ、これは」
「……」
「鬼だ」
言ったところで信じないだろうが。話すつもりはなかったが、初めてそいつが意思表示をしたことに応えるように鬼の話をし始めた。太陽・藤の花に弱いこと、頸を斬らないと倒せないこと、政府非公認だということ、減ってきてはいるがまだどこに潜んでいるかわからないこと。そいつからは何も話せないから一方的に、信じられないであろう話を淡々と述べた。
「だから、こんなとこにいないで平和に暮らせる場所でも探せってことだァ」
本当だとしたら、これを信じたとしたらこんなところからは逃げ出したくなるだろう。それでも、そいつは話を聞いて尚、首を横に振った。聞き分けのねえ餓鬼だな。
「俺は善人じゃねェ。自分が生きてく場所くらい自分の力でなんとかしろ」
だったら拾うなと、責任を持てとそんな意見もどこからか飛び交ってきそうだが、なら俺は多分自分が一番大事な人間なんだろう。俺のせいで人が死んだと、後々思い出した時に引きずりたくないが為に連れてきたようなもんだ。
こいつを生かしたのは己の都合を優先したまでに過ぎなかった。
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