あまりもの

「ちゃんと安静にしてたからもうすっかり歩けるようになったな」

稽古の休憩ついでにそろそろ身体を動かせるだろうとを呼べばもう普通に歩けていた。明日の朝にはここを発てそうだ。

「実弥さんのおかげだな」
「何もしてねェだろ」
「いやいやめちゃくちゃ介護してたじゃないですか。食事も髪も、着替えは藤の家の人だけど……え、あ、ごめん思い出したくなかった?ごめんな、ごめんごめん!」

裸を見られたことを思い出したのか、は両手で顔を覆って俯いた。今も尚耳まで赤くさせているそれは昨日のことだった。変わらず昨日もを一人部屋に置いて身体が鈍らないよう庭を借りて鍛錬をしていた。途中で大量の雨が降り雷雨が来そうだったから部屋に戻れば、襖を開けた瞬間藤の家の婆さんに着替えさせられてるが目を大きく見開いてこっちを見ていた。肩に浴衣を掛けているだけの状態で前ははだけたまま。部屋に入らない俺に雪生がどうしましたと部屋を覗き込もうとする前に襖を閉めた。
まさか雨が降って戻ってくるとは思わなかったんだろう、暫くしてから婆さんが申し訳ございません、と謝ってきたが寧ろ謝るのはこっちの方なんじゃないかと顔を顰めた。
その後は夕飯の時までずっと布団の中に籠もりっぱなしだったからそのままにしたが、夕飯が配膳されてそれまでのように食わそうとしても出てこない。忘れろ、どうせすぐ別れるんだと言えば布団の中からもぞもぞと動いて俺の顔は一切見ずに食事を済ませた。

「まあまあ、あれでしょ、お嫁にいけないとか考えてるんでしょ?大丈夫!もしそうなったら責任持ってを嫁に貰うからさ」
「……」
「実弥さんがね!」

揚々と話す雪生には肩をぴくりと震わせた。勝手なことを言いやがる。


「…、」
「明日、ここを発つからな」

俯いたままのに一言、先刻の戯言を否定するようにそう告げた。まあ、結果として恥ずかしい思いをさせた男なんざ顔を会わせたくないだろう。こいつにとって清々別れられるはずだ。
人手不足の仕事なんざこの町にも山ほどあるだろう。一人で探せない歳ではない。

「声出せなくても、それ以外で認めてもらえ」

多少なりとも、助言をしたつもりだった。眉を下げるを他所に俺は雪生と鍛錬を再開させた。
その日の夜は自分で食事をしていたが、俺のことをじろじろと見ながら何かをずっと考えているようだった。気にはなったが明日にはお別れだ。別にどうだっていい。
消しますよ、と灯りを消した雪生は布団に入って三秒で鼾をかきはじめた。暗がりに目が慣れてきた頃、隣で寝ているはずのを見ればまだ寝ていなかった。ずっと天井のどこか一点を見つめていた。明日どうするか、とかそれなりに考えているのか。寝不足になっても知らねえぞ、と心の中で忠告をして逆側へ寝返りを打って俺も眠りについた。



『兄ちゃんおかえりー!』

今の俺にとっては、それは悪夢だった。こういう夢を見るときは決まって起きた時にこの上ない虚無感が襲ってくるからだ。夢の中では俺もその時の風貌に戻って、それこそ幸せな暮らしを送っていた。

『兄ちゃん、もうすぐ俺も兄ちゃんになるんだよな!』
『ああ玄弥、赤ん坊は繊細なんだ。俺たちが守るんだぞ』
『守るって、誰から?』

しかし、それはいつも決まって、あいつによって現実に引き戻される。

『それは…』
『退けクソ餓鬼ども』
「!」

巨漢のゴミ屑みてえなあいつが、いつも邪魔をする。まるで、平和な夢なんか見てんじゃねェよとでも言うように。胸の奥がグツグツと脈打つ。
薄暗い中目を覚まして上体を起こした。額にじんわりと汗を掻いていた。息を整えていつもと違う景色に頭の中を整理させる。そうだ、今は藤の家で休んでいるところだった。隣で眠るが、治るまで。

「(……いねェ)」

その当人であるの姿はなかった。ずっと側に置いてあった薄汚れた着物はそのままに、布団はもぬけの殻となっていた。逃げたのか、帰ったのか。障子から薄く月明かりが照らし静寂に包まれる部屋の中、不穏な空気が流れていた。こういう夢を見るときは、決まっていつもそうだった。

「っ、おい起きろ」
「いやもう食えないっす…いだぁっ!」

を挟んで隣で寝ていた雪生を蹴り上げた。ゴロゴロと床を転げ周り壁にぶち当たり鈍い音を鳴らせる。

「なんっ……鬼?」

痛みで一気に目が覚めた雪生も瞬時にその気配に気付いた。刀を腰に携えて急いで鬼の気配がする場所へ向かう。

「実弥さん、は?」
「わからねェ、俺が起きたときはもういなかった。ただその話は後だァ」

今はただ、突然現れたその鬼を討伐する為、月明かりが照らす町中を屋根を伝って走り向けた。鬼については話した。むやみやたらと夜に人通りの少ないところへ出歩かない方がいいとも伝えた。それが伝わっていれば、今鬼の気配のする山奥にいるわけはないだろう。いないはず。恐らく寝れなくなってその辺ほっつき歩いてるんだろうと思ってはいるが、胸騒ぎが留まらなかった。
鬼の気配が近づいて来た時、何匹もの鳥が何かから逃げるように頭上を飛び立っていった。

「実弥さん、あれ…!」

もう近くだ。その時雪生が指差したそれは、布切れだった。それも単なる布切れではなく、あいつが着ていた藤の家のものだった。

「チッ…」

無意識に舌打ちを打って、一刻でも早くとその鬼の元へ足を走らせた。折角助けてやったのに、こんな夜中に山奥に赴いたことに苛立ちが募った。
布切れに血は混ざっていなかった。見つかって今まさに逃げているところか、たまたま枝か何かに引っ掛けて破れたのか。ただ、襲われたとしてもあいつは声が出せねえ。助けも呼べずに一人で死んでいく。助けた命をいつだって不条理に貶めていくのが、

「娘ェエどこに行きやがったァア!!汚ねえ真似しやがってェ、ァアア!!?」

鬼だ。

「実弥さん!」
「回れェ!」

姿の見えた鬼に二手に回り込み、存在を気付かれないまま近付いた。けたたましい声を上げる鬼の頸だけに的を絞り、囮になった雪生しか見えていないその鬼の頸を掻っ切った。
二人は卑怯だなんだどの口が言うんだと罵る鬼を尻目に、周りを見渡した。すると、ゆらゆらと風にそよめく草原の中小刻みに揺れている箇所があった。

「おい」
「っ!!」

だった。裾が少し破れている。後ろを向いた丸まった背中を無理やり起き上がらせて、その手に何か持っているのが見えたが構わず声をあげた。

「テメェなぜこんな夜中にでていった。鬼の話はしたよなァ」
「…、…」
「人間を襲う鬼を狩ってる俺たちの前で、よくものうのうとこんな山奥に来たもんだ、死にてェのかァ」
「……実弥さん、」
「何がしたいんだ、テメェは」
「、」
「俺に嫌がらせでもしてェのかァ!」
「実弥さん!」

自己満足であったが、折角助けた命を、よりにもよって鬼に奪われるところだった。そんな恨めしい思いを俺にさせたいのかと声を張り上げた。目に涙を浮かべているのがわかったが許せなかった。俺の腕を掴んで止める雪生を睨み付けた。

「実弥さんの為ですよ、ここへ来たの」
「そんなに困らせたいか、俺を」
「違いますって。が持ってるの、薬草です」

その言葉を聞いて、頭が冷えていく感覚がして、ああ俺は頭に血が昇っていたんだとそこで理解した。の手には確かに薬草らしきものが握られている。

「藤の花は、家から持ってきたの?」

ついでに、その中には藤の花もあった。藤の花なんか普通じゃこの山奥に咲く季節ではない。雪生の問いかけには小さく頷いた。

「役に立とうとしたんじゃないですか、実弥さん傷だらけだから」
「……」
「鬼のことも、ちゃんと信じて」

信じていなければ、藤の花なんて持って来ずに今頃鬼に襲われたまま死んでいただろう。今はもう蒸発した鬼が汚い真似したとかどうだ言っていたのは藤の花のことだったというわけだ。

「実弥さんに認めてもらいたかったんですよ。朝までに」

昼間言った自分の言葉を思い出した。俺はそういう意味で言ったんじゃない。けど、逆手に取られたというか、突き放す俺にこいつは正攻法で近付いてきた。
東の方から、日が昇り始めて辺りの木々を照らした。涙を浮かばせるその瞳が光に反射して艶めいていた。目線を合わせるように屈んでその頭に手をのせれば、瞳からその涙が零れ落ちた。

「怒鳴って悪かった。お前の気持ちはわかった」
「……」
「藤の家に礼言ってから出てくぞ。こんな山奥まで一人で歩けんなら十分だ。これ以上長居はしねェ」
「…、」
「それから、着物買ってくから選べ、好きなの。俺の屋敷に女物の衣服はねェ」

バッと顔をあげたの頭から手を放して、一人で先を歩いた。途中途中、一方的に雪生に話しかけられながら後ろを付いてくるそいつを見れば、澄んだ空気に見合う柔らかい表情を見せていた。


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