明朝、藤の家の人間に謝辞を述べてから人の出入りが少ない時間に町の大通りへ足を踏み入れた。まだ華やかに並ぶ店も開いているところもあれば開いてない時間だった。刀を携えて歩いていることに騒ぎ立てられると面倒臭い。人通りも少ない内にこの町からは用事を済ませて立ち去りたいところ。
好きに選んでこい、と朝方から開いている反物屋の前で名前に金を渡した。
「……」
「何だ、好きなの選べっつっただろォ」
金と俺とを交互に困ったように視線を送る名前。今更金のことなんか心配しているのか受け取ったはいいものの店の中へ入らない。
「いらねェのか」
ふるふるとその小さい頭を横に振った。屋敷についてくるつもりは変わらずあるらしい。こんなことで時間を食ってはいられないのだが、何がしたいのか考えていることがまるで理解できずただただ反物屋の前で静寂が流れるだけだった。
どうしたものかと雪生に視線を送るがあいつはすぐ反対側の靴を見に行っていた。履かねェくせに何やってんだ。
一つ目を瞑りながら溜息を吐いて、左手を差し出した。その手を見て名前は固まる。これしかこの状況をどうにかする方法は思いつかなかった。
「書けよ。思ってること」
生憎紙と筆は持ち合わせていない。普段から使うことのないものはそもそも持ち歩いていないからだ。何かを記録したところで不本意だがもしも自分が鬼にやられた時、それは敵にとって恐ろしく貴重な都合のいいものになる。その為、今名前にしてやれることは、掌に文字を書けということくらいだった。超能力者でもない限り思ってることなんざわかる訳が無い。匂いや音で何を思っているかなんて五感も持ち合わせていない。あることとすれば、鬼狩りに役立つ血、ただそれくらいだ。鬼を狩る為に俺は生まれてきたのかと思わされてしまうほどに、この血は役立った。
「……」
そんなこと、この娘は知らないだろうが。だからこそこうして思っていることを表に出して貰わねえと俺には伝わらない。
名前は困惑しながらも、渡した金は小脇に抱え、目の前に差し出された手に左手を添えて右手の人差し指で文字をなぞっていった。いつも刀を握っている掌に緩く柔らかい感触が走ってむず痒くなる。それでも、何が言いたいのか理解する為その指の感触を追っていると、見えた答えに溜飲が下がった。同時に、ああ俺はこいつの意思を汲み取れない自分自身をじれったく思っていたんだと理解した。
俺の手を離した名前の手を掴み直す。
「なら一緒に入るから、それでいいだろォ」
「…!」
顔を上げて、名前は口を噤んで頷いた。掌になぞられた言葉は”おいていきませんか”だった。金だけ渡して、自分のことは見捨てて置いて行ってしまうんじゃないかと、そう考えたらしい。五日間ずっと付いてくるなと告げていたからだとはわかってはいるが、信用されてねえことだな。どうせ置いて行かないと口で言っても夜山奥まで一人で歩いてくようなこいつのことだ、一緒に店に入った方が話が早い。
店に入ると奥にいた女が俺達に気付いていらっしゃいませ、と声を上げながら近寄ってきた。反物屋の娘だけあって華やかな着物に身を包んでいる。俺の顔を見るなり驚いた表情を見せていたが徐々に真面目な顔付きに戻っていく。
「…、失礼しました!妹様のお召し物をお探しですか?」
「…あァ、好きに回らせて貰っていいか」
「それはそれは。朝早くから有難うございます。どうぞご自由にご覧になってみてください……」
差し詰めこの傷だらけの顔や身体を不審に思ったんだろう。面倒臭いので妹だということも否定せずに、他の客が来ない内に好きに見させて貰おうと手を離して名前の背中を押した。店の中にはいるから自由に回れ、と。名前は俺をじっと見てから小さく頷いて並べられた反物を物色していた。それなりに楽しんでいるようには見えた。その姿に何年か前、まだ鬼の存在なんて知らなかった頃の自分の妹の姿が重なる。まだあれより小さかったが、年に一度だけこうして反物屋に訪れる機会があった。
「あの…」
ちらちらと俺が店から出て行かないか伺うようにこちらに顔を向ける名前を目で追っていると、いつまでそこにいるのか気になってはいたがずっと側にいた店の女が恐る恐る口を開いた。
「鬼狩り様、でしょうか」
「……」
「刀と、あと、お間違いでなければ私、以前助けて頂いたものでして…」
腰に携えている刀を見てその女は続ける。そもそも刀を本物だと思わない人間が大勢だから役人や巡査にでも見つからない限りが騒ぎにはなりにくいのだが、本物の刀と認識する一般人もいる。そういう人間は決まって、今然り、前に鬼から助けられたことがあるという人間がほとんどだった。
俺のことをじっと見ていたのは傷がどうこうではなく、見覚えがあったから、ということらしい。
「あの時は、どうもありがとうございました…!」
「…別に、仕事をしたまでだ」
頭を深々下げるその女のことは、覚えていない。今まで数えきれないほどの鬼を斬ってきたから、悪気はないが一々助けた人間のことは覚えていられない。俺とその女のやり取りを遠目から不思議そうな眼差しを向ける名前に早く選べとその視線を手で払った。
「お名前を、教えていただけませんか?」
「名乗る程の事はしてねェ」
「…残念です。折角、想い人に会うことができましたのに」
耳元で聞こえた呟きに名前を見ていた視線を隣の女に移した。眉を下げて困ったように、顔を赤らめて笑う。見たところ十七・八だろう。身なりもいいだろうから縁談の話くらいそれこそ見合った男からきているだろう。よほど良い男がこの先動かずとも現れる。その場の勢いで物事は決めるもんじゃねえ。
「実弥さーん名前の反物…うわあ別嬪さん!ここの娘さん?俺雪生って言います」
「実弥さん、と、仰るんですね」
「いえ俺は雪生と、」
「実弥さん、よかったらまたいつでも名前さんの反物、見にいらしてください。鬼狩り様は手厚くおもてなしさせて頂きます」
それ以上話すのはやめて、店の奥から出てきた婆さんと名前が仲睦まじげに反物を選んでいる様子を眺めているとどこをほっつき歩いていたのか雪生が割り込んできた。雪生が初めて会うってことは、雪生を継子にする前のことか。そんな前に助けられた男のことをよくもまあ覚えているものだ。
俺の名前を知ったその女は俺の手を両手で握った。
「はい、鬼狩りの俺が名前を連れてまた来ます!」
「あ、いえ私は…」
「俺もいつか実弥さんのように柱になるんで!強くなるんで!」
「柱…?」
「名前、決まったなら行くぞォ」
選び終わって婆さんに金を渡すのまで確認して、俺はその手を払って店を出た。一般人と馴れ合う気はない。
ただ、思い返すと久しぶりに直接人から感謝の言葉を伝えられた気がする。
町は反物屋に入る前よりも荷台を引く音や客を呼び込む声で今から盛況していくだろう雰囲気だった。
「お兄さん方、それは本物の刀だね」
賑やかな通りを抜けて町の外れ、小さい店がぽつぽつと立ち並んでいるだけの通りを歩いていれば、店と店の僅かな物陰で机に花札のようなものを広げる女がいた。羽織を目深に被り表情はわからない。声で女であるとわかるくらいだった。立ち止まった俺に後ろを付いてくる名前がぶつかった。
「占い師…?」
雪生が呟いた。その女は首を頷かせて手招きした。その類にまるで興味がない俺は気にせずにぶつかった名前を横目で見て無事であることを確認し、このまま町から出ようとした。が、どうやらその名前が占い師を真剣な眼差しで見据えていた。かなり興味があるらしい。
「占ってもらおうよ!」
「おい」
雪生もそんな名前を見てか、手を引いて占い師の元へ近寄る。占い師は混ぜ合わせた花札の山をいくつかに分け名前に選ばせ、更にその山の花札の裏面をこちらに向け、名前に選ばせる。どれにしようかと人差し指で迷いながら選んだ一枚をトントンと上から触る。
「牡丹に蝶…大吉札だねえ」
「へえ、よかったな名前!意味は?」
「全体的にいいけど、特に愛情運は最高だよ」
「い、いいな…俺もそれ引きたい……」
名前が選んで占い師が見せた花札の絵柄は牡丹に蝶が舞うものだった。占い師の言葉に名前は微かに口角を上げその花札を眺めていた。もしこれが縁起の悪いものだったら素直に信じて気が滅入るのだろう。そんなものに左右されて何が楽しいのか俺にはわからなかった。
「俺もお願いします!」
「じゃあ、あんたは手相を見ようかね」
「はい!」
もしかすると後からとんでもねえ額を支払わせるのではないかと頭を過ぎったが、名前を連れたのは今手相を見てもらっているこいつのせいだ。己で何とかしてもらう。
一つ息を吐いて少し後ろからその様子を見ていた。
「あんたは…、沢山苦労したんだねえ」
「いやー…って、わかるんですか」
「わかるさ。でも、このまま頑張ればきっと上り詰められるから、努力することだねえ」
「ありがとうございます!」
「そっちの兄さんはいいのかい」
占い師は早々に雪生の占いを終わらせ、俺を指差す。名前も雪生も俺を見て折角だから、と言いたげな目で見るが行くぞ、と声をかけて歩き始めた。お遊びに俺は興味はない。
「待ってください、あ、お代は」
「簡単な占いだからいらないよ。強くなったらその後を占ってやるからまたおいでな」
「いいんですか、ありがとうございます!名前、いこう」
後ろから走って追いついてきた雪生と名前を見て町の外れへと歩く。隣を歩く雪生はやけに上機嫌であった。こいつも占いを信じる人間か。
「実弥さん」
「あァ」
「名前の愛情運って、実弥さんのことなんじゃないですか」
こいつが上機嫌な様子であったのは、おそらく自身の占い結果ではなかった。癪に触る笑みを零す雪生から俺は名前に目線をずらすと目が合わさる。
「……なわけねェだろ」
俺が放ったその言葉に名前は眉を下げた。
だから、占いは嫌いなんだ。
戻る