あまりもの

久しぶりに入った鎹鴉からの指令に襲われそうになった人間を助けた今日は、蔑まれる日であった。感謝も特にされず、身内の頸を刎ねたことに罵詈雑言を浴びせられる。駆けつけたときに人は既に襲われていた。鬼になった人間が元に戻る薬ももうない今となっては、一度人を喰らった鬼に情けをかけられるほど甘い世界ではない。
例えばあの戦いで、俺の代わりにあいつが生きていれば助けられる今があったかもしれない。けれど俺には誰かを助けるなんてことは、鬼の頸を刎ねること以外にはなかった。

「泥だらけだー…洗濯大変だなこりゃ」

急な土砂降りだった。通り雨だろうと生い茂る木の陰で雨宿りをしている中隣で雪生が呟いた。羽織も隊服も泥だらけなそれは鬼の所為ではなく、助けた人間の激昂を正面から受けたから。一般人を助ける為、当然だが一般人には手を出さない。例え恩を仇で返される無慈悲なものであっても。
鬼から人間を助けた後、身内の旦那になぜ殺したと泥を投げられ体当たりをかまされた。そいつが気を保って生きていくためには誰かの所為にしないといけない。その為、その非難は受け止めろと言ってある。

「洗濯すんのお前じゃねェだろ」
「そうですけど。実弥さんのしかかられてましたけど大丈夫ですか?」
「蚊に喰われるよりどうってことねェわ」
「……」

本当は痛いくせに。静かに溢したその言葉の真意に聞こえないフリをした。
漸く土砂降りだった雨が小さい粒に変わり歩けるくらいになってきた。雨によって足場の悪い山道を下っていく。草鞋に泥が吸い込んで行く中、途中分厚い雲に覆われていた太陽が顔をのぞかせて辺りを光らせた。

屋敷に戻って腹が減ったと使用人に声をかける雪生を置いて俺は泥だらけの衣服を脱ぎ捨て身体を流した。着替え終わってから屋敷を歩いていると、中途半端に開けられた襖からシーツに包まれて寝ているのか横になったが見えた。
襖を開けて側まで寄ると規則正しい寝息が聞こえてくる。縁側に続く襖は閉められている。おそらく土砂降りの時に慌てて干していてシーツを取り込んだのだろう。雨が止むのを待っていたら寝ていた、そんなところか。あどけなさが残るその顔に撫でるように触れた。これが人に噛みつくような人間とは到底思えない。声が出ない代わりに意思表示が極端になっているのか。

「……ぃ…で」
「!」

寝言か、薄く開かれた口から初めて微かに聞こえたその声。を拾った日には自分の意思で言葉を話そうとするものなら過呼吸を起こしていたのに、眠りについている時は精神が安定しているからなのか、声を聞いて頬に添えた手に力が入った。

「……、?」

それに反応したのか、瞼がぴくりと動いた後にうっすらと瞳は開かれていく。瞬時に手を引っ込めるとは瞬きを数回繰り返して俺を見つめる。その表情はゆっくりと朗かなものに変わっていった。
柔らかな面持ちの。今にも喋り出しそうな雰囲気を醸し出していて胸がどくりと脈打つ。
けれど、そんな俺を他所に俺の左手をとって文字をなぞり始めた。

「………あァ、ただいま」

俺がの声を取り戻せるなんて、そんな甘い考えが頭を過ぎってしまったことに心の中で自嘲した。馬鹿馬鹿しい、そんなわけあるか。もうそれなりに一緒にいるのに未だに喋れないんだ。そもそも鬼に襲われた時ですら声を出せずにいたんだ。俺が簡単にそんなことできるわけがない。
“おかえりなさい”となぞられた言葉に返してから一つ息を吐いて生乾きのシーツを拾い上げた。庭に続く襖を開けると日が差して一瞬目が眩む。
草履を履いて庭に出ると後ろから慌てるように追いかけてきたがシーツを奪い取ろうとする。

「じゃあそっちの端持てェ」

仕事ができない奴と思われるのが嫌だったのか、さっきまで気持ち良さそうに寝ていた癖に今更自分でやろうとするもんだから物干し竿の前でシーツの端をに渡してそっちに行けと促した。

「下気をつけろよ」

シーツを広げると洗い立ての香りが鼻を掠める。地面にシーツをつけないよう声をかけるとうんうんと頷いて二人で竿に干した。さっきまでの土砂降りが嘘のようでじりじりと日が照っている。

「すぐ乾きそうだなァ」

言いながらを見ると、俺を見て微笑んだ。こいつが、柔らかい表情を俺に見せれば見せるほど、持ってはいけない感情が揺らぎ始める。そこから目を逸らして踵を返して乾いてきた地面を歩き屋敷に上がろうとした。

「「「こーんにーちはー!」」」

草履を脱ぐ手前、屋敷の入り口の方から声高らかに陽気な挨拶が聞こえてきた。使用人と何か会話をしているような声が微かに耳に入る。まさか、と振り返るとも気になったのか声がした方に視線を向けていた。
ドタドタとこちらまで走ってくる音が聞こえてくる。

「あー!あなたがさんですね!」
「風柱様こんにちは!」
「靴下お似合いですー!」

庭に顔を出したのは、蝶屋敷の三人娘だった。の姿を見るなり駆け寄って手を取り戯れ始める。

「会いたかったんですよー!」
「……、」
「私はなほって言います、こっちがすみで、こっちがきよ」
「よろしくお願いしますー!」

一気に騒々しくなった庭に息を吐いた。騒がしくなるのも根掘り葉掘り聞かれるのも面倒だったから蝶屋敷にも連れて行かなかった。
けれど、遠目からその姿を見ていると言葉はないものの年相応に三人と会ったばかりなのにも関わらず仲睦まじげにしていた。

「蝶屋敷に遊びに来ませんか?」
「賑やかですよ、さんいたらもっと賑やかになります!」
「女子会しましょう、女子会!」
「女子会って何ですか?」
「カナエ様がよく開いていました!女子だけのお茶会です!」

取り囲まれているは俺の許可でもいると思ったのか、屋敷に上がって壁にもたれ掛かりながら様子を見届けていた俺に視線を送った。それと同じく蝶屋敷の三人娘の視線も集まる。

「俺は保護者でも何でもねェぞ」

一体この屋敷のどこから現れたのか、簡素な庭を蝶がひらひらとその羽を羽ばたかせて舞っていた。
一声あげると、三人娘は蝶のように舞い上がった。
それを見届けて、俺は屋敷に戻っていった。

「わーい!いいですね、女子会しましょう!」
「でも炭治郎さん達もいますよ?」

人一人入れるくらいの襖を開けただけだから、部屋の中は太陽の日差しは行き届いていない。暗がりの中聞こえた声に思わず足を止めてしまった。振り返り、暗がりから見えるそこは俺の居場所ではないような気がした。住む世界が違うと、そう思わされた。
そう、思ったのに。

「…なんだよ」

一人屋敷に戻る俺の後を三人娘を置いてついてきて引き止めるように手を握った。俺はいいから、お前は向こうに行ってろよ。そう声に出そうとするのを喉奥で止めた。

「風柱様も混ざってくれるのですか?」
「はァ?いや俺は…、おい」

縁側に手をついて外から俺との様子を三人並んで見ている。行かない、と拒否しようとしたのには俺の手をぐいぐい太陽が射す眩しい方へ引っ張っていく。

「わかった、わかったから」
「!」
「ついてくだけだからなァ」

その手を振り解くことができなかった。別に、行かなくったって良かったのに。突き放せば良かったのに。多分、こうすればこいつは喜ぶだろう、恨めしくも湧き出てしまったそんな考えに抗えず、折れてしまった自分自身に頭の中で一つ息を吐いた。


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