あまりもの

数ヶ月前までは賑やかで穏やかな空気が流れるこの屋敷に舞っていた桜も今は見事にみずみずしい新緑で覆われていた。強引に腕を引かれに付いてきた屋敷でお茶を淹れますだなんだ騒々しく持て成されてから、を置いて屋敷の外へ出た。付いて来ようとしたけど屋敷からは出ないことと、この空気が苦手なだけだと頭を撫でながら伝えるとは小さく頷いた。

「いらしてたのですね」
「…あァ、元気でやってるか」

雨粒を残しながら葉を揺らす桜の木の下で話しかけてきたのは胡蝶の継子だった。隊服を着て刀を腰に携えているところからすると、任務帰りだ。今までそう関わりが深いとは言えないが、関わりのある柱二人の継子であり妹だということに、あの戦いが終わった後、放っておくことはできなかった。

「はい、前に出て戦うことは難しいですが、風柱様から頂いた鏑丸くんのおかげで問題なく善逸や伊之助と共にと戦えています」
「無理すんなよォ」
「ありがとうございます」

弱視のままだと生活が不便だろうからと、伊黒の代わりに預かっていた鏑丸を託した。首元に巻き付いているこいつ自身も俺より女の方が喜ぶだろう。
特に会話もなく立派に聳える桜の木を眺めていると、屋敷の奥の方から喚く声が聞こえてきた。いつもここが随分と騒がしいのは柱の屋敷でありながらも怪我を負った隊士が療養する場所でもあるからだが、今は違った。
最近は鬼の数も体感だが減ってきているし、その為隊士が怪我を負ってこの屋敷に世話になることも少ない。だから今この屋敷で騒がしい音を立てているのは他でもない、今俺の隣にいる奴が先ほど名を出した同期達だってわけだ。

「あいつら、わざわざこっち戻ってまたここを住処にしてんだってな」
「はい。鬼の情報も共有しやすいし、何より心強くなります」

目を細めて微笑むそれはいつだったか昔に見たことがある気がした。一緒に住んでいれば影響されてその面影は人を伝って残っていく。さぞこの空のどこかで頬を和らげて見ているだろう。

「(心強い存在、な)」

そんな存在、いれば確かにどんな鬼に立ち向かう時でも乗り越えていけるのだろう。それは鬼と対峙する時だけではなく、この先こいつらに待ついくつもの分かれ道でも。


―バリィン―


窓硝子が勢いよく割れる音に顔だけ向ける。硝子の破片を飛び散らせながら地面に背中を打ち付けたのは猪頭のそいつだった。

「何やってるんだ伊之助!」
「俺はもう負けねえ!!猪突!猛進!!!」
「お屋敷を壊さないでくださあい!」

窓硝子から飛び出てきたそいつは上体を飛ぶように起こして自らが割った窓から再び屋敷に戻っていった。何をしているのかは知らないが隣で口元に手をやって笑っているそいつを見るに、いつものことなのだと悟った。
俺が屋敷で持て成しをくらっていた時は奴らはいなかったが、共同で任務に行っていたのだろう。鎹鴉からの指令が頻繁でなくなったは恐らく、こいつらがまともな戦力になっているからだ。

ちゃん、凄く楽しそうにされてましたよ」
「会ったのか」
「炭治郎達と一緒に帰ってきたので。風柱様が来ていることも聞いてご挨拶に」

後で炭治郎達も来ると思いますよ、と鏑丸を指先で撫でながら付け足した。

「風柱様は中へ入らないのですか?」
「あァ、その内また来るわ」

ひらりと片手を上げて背を向け歩いた。屋敷を出ようとしたわけではない。年甲斐もなくあいつらと一緒に遊ぶ気はなかった俺は稽古場を借りようとした。その途中、窓の向こう側の屋敷の中で、年の近い奴らに囲まれて心底楽しそうにしているが目に入り無意識に足が止まった。

「伊之助と善逸の負けだな!」
「ぬぅおおおお!」
「おいまたかよ走りに行くなよなんでそんなに脳筋なの!?もう俺次ちゃんと組みたいんだけどおお!!」


畳の上に並べられていたのはいろはかるたのようなものだった。手にしている札を持ちながら炭治郎に笑いかけていたそれは、俺の前で見せる表情とはまた違った。俺には見せないその表情を、あいつらは、あいつは出すことができる。その事実を目の当たりにして、素直に喜べずに胸の中をグツグツさせている己がどうかしてると思った。

、すごい強いな!」

硝子越しに瞳に映る、その言葉に反応しているそれは年相応のもので、やけに自然だった。
あいつはそもそも、元は普通…とは言い難いが町に住んでいた娘で、あれが本来のものなのだろう。
だったら、俺とここにいるのではなく、あいつはここにいた方があいつの為にもなるんじゃないかと考えた。寝ている時のように何の蟠りもなく自然でいることができるのであれば、声だって取り戻せるようになるかもしれない。俺のような何もない人間には、できないことだ。

「じゃあまたくじ引きで組み合わせ決めるぞ!」
「俺伊之助ともう三回連続だよ!?ちゃんと組ませてよ!」

家族の多い、どこにでもある普通の家のような、そんな賑やかな声を耳にしながら屋敷の出入り口へと歩み始める。
俺があいつの面倒を見る義理はない。俺といても、俺が残せるものもないし心強い存在になんてものにもなれやしない。
胸の中の湧き出た黒い感情にも自分で嘘を吐いて、ヒラヒラと入り口で蝶が舞う屋敷を後にした。

「あ、実弥さんおかえりなさい!というかどこに行ってたんですか?」
「蝶屋敷」

屋敷に戻ると俺を見つけた雪生が駆け寄ってくる。泥だらけだった隊服からも着替えて刀を手入れしていたらしい。
横目に見てそれだけ静かに伝え、俺はの部屋へと向かう。

「ああ、なほちゃん達が来てましたよね、それでか…。は?」

心なしか、足取り重く階段を上る俺に雪生は付いてくる。その名前を出されて俺は階段の途中で立ち止まった。急に立ち止まった俺の背中にぶつかりそうになったのか後ろを振り返ればよろけていた。

「置いてきた」
「あ、そうなんですか…?」
「あいつはこっちより向こうの方がいいだろ」

静かに乱暴に、言葉を投げて再び階段を歩み始めた。に自由に使っていいと告げた部屋の襖に手をかけて中へ入った。この部屋に着物を仕舞う引き出しは一つしかない。が来るまでは埃の被っていた木の引き出しから仕立てあげられた着物を引っ張り出す。

「え、置いてきたって、ずっとってことですか?が蝶屋敷にいたいって言ったんですか?」
「顔に書いてあった」
「顔って、言ってないってことですよね?、実弥さんにあんな嬉しそうな表情向けてたのに?」
「気のせいだろォ」

俺が発した言葉の意味と今やろうとしていることを理解した雪生が後ろで騒ぐ。その言葉を他に何か荷物はないかと周りを見渡しながら適当に受け返す。

「ていうか、どこに居たいかなんてそれは実弥さんが決めることじゃ、」
「俺が決めることだ」
「……」
「あいつを拾ったのは俺だ」

こういう時だけ、都合よく言えたものだ。最初こそ自由にしろと言ったのに、いざあいつが自由でいれそうな場所をこの目で見ると、自分の感情を押し殺しているのだか押し付けているのだか、わからずにいた。
極めて低い声を出せば、雪生がぐ、と黙った。
鴉にも伝言を交えて蝶屋敷へ送り届ければいい。屋根に止まっているであろう鴉を呼び出そうと、の部屋の窓を開けた。

「…!」

しかし頭上を見上げるよりも先に目に飛び込んできたのは、屋敷の入り口で息を切らしたかのように膝に手を付いているだった。
一歩を踏み出そうとして、崩れ落ちそうになっていた。それもそのはず、は何故だか裸足で足には血が滲んでいた。この砂利道を草履もなく、しかも走ってきたのだから当然そうなる。

「実弥さん!?」

その姿を見た俺は半分開けていた窓を音を立てて全開にし、足をかけ外へ飛び降りた。
ザンっと音を鳴らして降り立つ俺にが顔を向ける。

「お前何して、っ」

さっきまで心底陽気にしていたはずが、怪我をして戻ってきたそいつに怒りが収まらず、歩み寄りながら怒声を浴びせるところだった。そんな俺に構わずに、明らかに痛いはずの足も気にせず駆け寄って飛びついてきた。胸の辺りから小さく震えているのが伝わるのは、泣いているからだ。
は俺の両腕を掴んで胸に頭を擦り付ける。
声に出さなくたって、文字をなぞらなくたって、痛いほどに、泣きたくなるほどにその想いが伝わってきた。誰に対してか、馬鹿だなと胸の奥で吐き捨てながら震える背中に手を回した。


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