あまりもの

後から聞けば、は俺が蝶屋敷にいないとわかった途端、血相を変えて下駄を履くのも忘れたまま飛び出して行ったらしい。下駄を届けにきた三人娘がそう話していた。
そのことがあってか、縁側で休憩している俺をちらちらと見ながら掃き掃除をしているは何かと付いて回るようになった。
あいつはここにいたいのか、どうなのか。その答えは明白だった。ただ、素直に受け取れる度量が俺にはなかったんだ。自分がこんなにも情けなくて弱い生き物だとは、今頃さぞかし俺のことを空から見下ろし笑っているだろう。

「……」
「あァ、なんだァ」

陽炎が揺らめく炎天下の中、片手で日光を遮りながら薄く雲が流れる空を見上げていれば、羽織の端を緩く引っ張られる感覚がした。犯人は一人しかいないのだが。
縁側に座る俺の前に箒を持ちながら神妙な顔を浮かべている。ここ最近は言いたいことがあるなら自ら俺の手を握り掌を上に向け文字をなぞることがほとんどであった為、俺から手をへ差し出すことは数少なくなっていた。手を握らない、ということは未だに羽織を離さず緩く引っ張っている、つまりは付いてきてほしいとが訴えていることは理解できた。
仕方なしにくたびれた草履を履いて立ち上がり、俺の様子にくるりと身体を回したへと付いていく。立ち止まったそこでが指差した乾いた地面。いや、指したのは乾いた地面に足をばたつかせ踠いている、ひっくり返ったカブトムシだった。

「結構でけェな」

その場に膝を折ってしゃがみ込み、俺の影で暗くなった箇所にもがくカブトムシを見て放った一言。こくこくと頷くを視界の端で捉え、大方掃き掃除をしたいけどこいつがいるから気になってしまったんだろうと見当がつく。そんなもん自分で起こしてやりゃいいだろうと思ったが、それができないから俺を呼んだのだろう。

「弱ってんだろうなァ」

昔よく、林の中で捕まえてきたカブトムシの雄と雌を交尾させるところから飼育をしていたことを思い出した。長屋の年が近い連中は捕まえるだけ捕まえて逃していたが、俺の嗜好はその先だった。自分で手にしたものをまた一から自分の手で創造していく、それが堪らなく好きだったのだ。自分が飼育することで成長するそれが、小さいながらも誰かの役に立ってると考え気付けば毎年のように続けていた。
だからか必然とカブトムシの事情には詳しくなるのだが、俺の言った意味がわからず首を傾げているに一つ息を吐いた。

「弱ると体のバランス取ることが難しくなるんだよ」
「……」
「弱ってるから自分の力で戻ることもできねェ」

人間と同じだと思った。弱っている人間は誰かの手がないと簡単に天に召されていく。俺が零していく話を聞くこいつだってそうだ。あのまま誰にも見つからず、放って置いたら今ここにはいないだろう。

「誰かが助けてやらねェと、このまま死んでいく」

子供の頃に得た知識を伝えるだけのはずが、妙に自分自身にその言葉が浸透した。そのはずだ。何も間違っちゃいない。この先俺は自分の力ではどうすることもできずに寿命を迎えて生涯を終えるだろう。その定めに抗うことはできない。
幾らかまだ生きたいともがくそいつを眺めて我に返った。

「ま、こいつはまだ元気だろォ」

人差し指で平均より一回りは大きいであろうカブトムシを立て直させる。案の定、まだそこまで弱ってはいないようで庭に植えつけてある葉が生茂る木の幹へ飛んでいった。どこから飛んできてここでひっくり返っていたのかは不明なままだが、これで問題なく掃除ができるだろう。

「……、」

俺もそろそろ休憩から上がって稽古場で打ち込みをさせている雪生の元へ戻る為腰を上げようとしたが、それは叶わなかった。
それよりも早くは何を思ったのか、俺の頭に手をのせ撫で始めたのだ。その行動につい一瞬固まってしまったが、俺の頭を撫でる手を掴んで離した。

「何の真似だァ」
「…………」

気に障った。その表情が。まるで俺を可哀想だと言いたげなその瞳につい手首を強く握り締めてしまった。それでもはめげずともう片方の手を俺へ伸ばすがそれも止めた。不貞腐れたような表情にこちらも眉を顰める。これだとの意思を読み取る術が何もなくなるのだが、言いたいことなんざ透けて見えた。

「寂しくねェよ」
「……」
「勘違いすんなァ、俺はこの先の寿命が数年だとしても、」
「!!」

やることは鬼の討伐、ただそれだけだ。かっこつけているわけでもなく、それしかやることがない俺は自分にも言い聞かせたかった。だが、それは俺との間に割って入る、先ほど地面にもがき苦しんでいたら奴とは別のカブトムシによって遮られた。
そのカブトムシはあろうことかの胸元に止まったのだった。

「……!!、っ!!!」

稀に見るその慌てようを俺は目の前で傍観していた。両手は俺によって押さえつけられてはたくこともできない。押さえつけられていなくてもそもそも触ることができないようであったが、胸元に止まったカブトムシが着物の中に入り込もうとする様に青ざめて俺の手を振り払おうとした。
対して俺は、ならこのまま掴んでいてやろうと加虐心が働いていた。あくまでも、さっき俺の頭をまるで母親のように撫でようとした仕返しだ。それ以外の何者でもない。

「そいつだって一生懸命生きてんだ、蔑ろにすんなァ……あァ?虫ごときにだと?その虫にこんなにビビってんのはどこのどいつだァ」

首をふるふると横に振るは、続けざまにした俺の物言いに更に大げさに首を振る。そういう意味じゃない、と。そう言いたいのだろう。そんなことはわかっている。ただの時間稼ぎだった。
カブトムシがの懐に入っていき、今にも瞳から涙が溢れ出そうになったところで俺は両手を開放した。瞬間、は襟元を捲り上げ、今すぐとってくれと言わんばかりに内側に入っていたカブトムシを突きつけた。

「……おまえ、」
「!……!!」
「わかった、ほら」

そんなことをしなくても本来木の幹に生息している虫だ。放って置いてもすぐに飛んで行きそうだったが、慌てふためくその様子じゃ到底話を聞き入れないだろう。突き出されたそれをひょいと摘んだ。ほ、と息を撫で下ろしているに顔を背けた。

「全部見えてんぞ」
「……………、!」

まあ、既に一度見ているから今更でもあったが。大袈裟にはだけた胸元はその膨らみを露わにしていた。焦ったように俺に背を向けて乱した襟元を整える。その後俺のせいだとでも言いたげに口を噤んでこちらを見るものだから、未だ手放していなかったカブトムシをその顔の目の前に持っていってやった。
あからさまに驚いてやがるが実に痛快であった。

「……笑ってる」

少し距離を置いた場所から耳に入ったのは雪生の声だった。上だけ全部脱いで肩にタオルをかけているところを見ると、課せた回数を達して休憩に入ろうとしたんだろう。ズンズンと大股で俺……、ではなくに近寄り両肩を掴んだ。

「凄いよ!俺実弥さんが笑ってるところ見るの数か月ぶりだよ!それもその一度だけ!」

数ヶ月ぶり、というのは数ヶ月前、無惨を倒した後にこれで全てが終わると油断していた時のことだろう。元気でやれよと雪生を見送った時、まさかまだ鬼がいるとは欠片も思っておらず、存外穏やかにこの先どうするかを考えていたのだった。考える時間なんてそれほどなく、呆気なく刀を持つ"日常"へと戻ったのだ。その日常で、どうやら俺は気付かない内に驚くほど笑っていなかったらしい。そんな状況でもないから俺にとっては至極当然のことなのだが、当然の日常が、そうでなくなった。
雪生に揺すられるは目を丸くさせながら、小首を傾げた。言いたいことがわかってしまった俺は目を逸らした。
屋根の上でおはぎを食べた時だ。今、心底こいつが声を出せなくてよかったと不本意ながら思ってしまった。

「…………飼うか」
「え?」
「こいつら」

独り言のように、静かに呟いた。今摘みっぱなしのカブトムシと、木の幹にくっついている飛んで行った方は丁度良く雄と雌なのだ。
不意に思い立った一言には見るからに狼狽えていた。

「ここにいるんなら、面倒見ろよォ」

特に深い意味はなかった。ただ、どうしても俺以外にここへいる理由があればいいだとかは無意識に考えていたんだと思う。
決して、小さい頃のような日常を取り戻したかったとか、そういうわけではない筈だった。



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