あまりもの

女の誘いを断ってから、少し歩いていると広場の入り口で五、六歳の子供二人が怯えた顔をしているのが目に入った。を連れながら俺はその様子が気になり近寄ると、視線の先には目に見えずとも周りに黒い靄を漂わせている雪生の姿があった。子供の視線の先が身内であったことに情けなく思いながらも椅子に寝そべってぶつぶつ何かを唱えている雪生に帰るぞと声をかければ口を半開きにしたまま俺を一瞬見るなり泣き喚いてきた。

「おいみっともねえことすんなァ!」
「俺が柱じゃないからだ、俺自分が不甲斐ないでず…っ!」
「じゃ帰って刀死ぬほど振れェ」
「はい、でましょうもうこんな町は…」

広場の入り口で俺達を怪訝な顔して見つめる子供から避けるように、雪生を拾い上げて広場を後にした。
そろそろ早い店はすでに店仕舞いの準備をして、反面食事処は夜の営業の為暖簾を上げ始めていた。人通りもまばらになってきた為すでにの手は離している。幾分納得いかなそうな面持ちを見せたが気付いていない風を装った。

「あ、実弥さん」

もう出ましょうと言う割に、未練がましく次来た時は…とぶつぶつ物を言う雪生が俺を呼んだ。見れば、雪生は今さっき通り過ぎたばかりのある店を指差していた。追うと、建物の煙突から湯気を立ち昇らせる銭湯であった。再び雪生へ呆れた視線を送ると、額の前で手を斜めにした。

「俺銭湯入ってきます。綺麗さっぱり色々流してきます」
「はァ?おい」

俺の制止も聴かず、湯屋の印である暖簾を潜って消えていく背中に頭を抱えた。目が正気の沙汰ではなかった。いっそ今鬼が出た方が正気に戻るのではないかと思うくらいには。正直、この際置いて行ってもよかったのだが、広場でのあの恥晒しが不甲斐なく、また知らぬ間に誰かをドン引かせているのではと思うと、放ってこのまま先に帰る気にはなれなかった。密かに"女……"、と呟いていたのがこの耳に聞こえたのも事実。

「呼び戻してくるからここで待ってろォ」

男湯に連れ込むわけにもいかず、成り行きを見ていたはすんなり頷いた。
俺も雪生の後へ続くように暖簾を潜り店へ入る。すると案の定、そいつは風呂に入るわけでもなく牛乳瓶を一気飲みしていた。ヤケクソもいいとこだ。女湯を覗いているわけではなかったことに小さく安堵した。
周りの年寄りどもは愉快そうに見ているが俺は気にせず雪生を殴り気絶したそいつを抱え一瞬で店を後にした。

「おい、自分で歩、……」

店を出て、すぐに意識を取り戻した雪生に声をかけたところで、異変に気付いた。
ここで待ってろと言っていた場所に、がいない。目を離したのは数刻であったのに、姿が見えないことに一抹の不安が襲った。


―奪われないようにね―


頭の中に響いた占い師の声に、心の中で舌打ちした。その言葉を頭から振り払うように、どこへ行ったのかと脈打つ心臓を落ち着かせ、辺りを見渡せば思いの外すぐに見つかった。が、問題は一人ではないということだった。

「いい加減にしろ!ちゃんと歩け!」

夕日で赤く染められた町中、まばらな人影の中に響く声。少し離れたところに、手首を掴まれ引き摺られているの姿があった。周りの人間は見てはいるが特に助けようとはしない。関わりたくないのだろう。人間はそういう生き物だ。見ず知らずの奴を自分に刃が向けられるかもしれないのに助けたりなんてしない。を引き摺るのは中年の男で、側から見れば親子のように見えるから尚の事。
引き摺られなからもこちらを振り向いて俺の姿を見つけたと視線が交わる。その瞬間、男の手がに振り被る。

「聞き分けのねぇガキだ、っ…!?」

朦朧とした意識の雪生は脇に放り投げ、俺は今にもを引っ叩きそうだったその男の腕を掴んだ。叩かれると覚悟していたは目を硬く閉じていた。
女に手上げるような男だ、ろくでもねえに決まっている。過去そういう男を見た俺はを引っ張るそいつに激しく憤りを感じた。

「な、なんだお前は……!」

止めに入った俺にその男は怯む様子を見せたがの手は放さない。冷静でいるはずが、男を掴む腕にやけに力が入り震えていた。

「手ェ放せ」
「おっ、お前こそ放せ!俺はこいつの父親だぞ!!」

ザワザワと一定の距離を保ちつつ野次馬が集まり話し声が耳を掠める。はカタカタと震えているが、否定しないということは、恐らく本当に父親なのだろう。
だったら、帰すべきなのかと、普通の父親なのであれば間違いなくそう考えた。けれど、今の俺にはこいつは父親でも絶対に返したくない類の人間だと判断している。

はこのままうちで預かる」
「……はぁ!?なーにを間抜けなこと言ってんだ?そんなもん誰が許すかってんだ」

案外、腕を掴む力は強いものの俺が静かに呟くものだから、自分の中で優劣をつけたのだろう。怯んでいた男はあからさまに態度を変え顎を突き上げ俺に食ってかかろうとする。

「やっと見つけたんだ、逃すわけねえだろうが!馬鹿かてめぇは!?」
「はなから探してねェだろ」
「はぁん!?」

が住んでいたのはこの町ではないことは、が何の抵抗もなく町を歩いているところからはわかっていた。元々ここに住んでいたのなら顔見知りから声を掛けられてもおかしくはない。それすらもないということは明白。
だが、周りがヒソヒソと小声で話している内容が耳に入り理解した。助け舟を出さなかった理由は、親子に見えたからとかではなくこの男が隣町で有名な商人であるからだった。
そんな奴が実の娘がいなくなったとわかれば隣町にくらい話を流しているはず。だがを藤の家で預かっている間、そんな便りは一切聞かなかった。そもそもと暮らし始めてから何ヶ月経ってると思ってやがる。長い間行方不明の娘を金持ちが近くの町にも知らせることもせずに何をしていた。

「ろくに飯も食わさねェ奴が父親気取ってんじゃねェ」
「あぁあ!?あたりめえだろ!躾だろうが!!悪いことをしたらそれなりの躾をしなきゃならねェんだ」

ブチ切れた男はの手を放し、俺の服に掴み掛かった。瞬間、俺はを自分の後ろへ腕を引く。

「躾だァ?躾でてめェの娘は死ぬところだったんだがなァ」
「ハッ!当然の躾だろうよ!そいつは俺の女房を殺したんだからなあ!」

一層、周りで見ている人間達が騒ついた。
人殺しだと?そんなはずあってたまるかと、後ろで俺の羽織りを握り締めているを確認すれば、その顔色は青ざめていた。

「その顔でのうのうとしてられるのが腹立たしくて仕方ねェ、死んだかと思ってたが、生きてたんならまだ俺はこいつを可愛がらなきゃいけねえ、なあそうだろ?。お前がしたことは許されねえんだよ」

俺の服を掴んでいた手を放し、に寄ろうとするものだから俺は掴んだままの男の手に更に力を加えた。

「でででっ、チックソ…、おい、お前ずっと自分が人殺しだってことこいつに隠してたんだろう、なあ、お前自分のことしか考えねえからなあ!聞いてるかおい!」
「……っ……、」
「いいのか?もうバレてんぞこの周りの連中に。お前が人殺しだってこと。つまり、お前がこのままこの男と一緒にいればこいつの顔に泥を塗ることになるぞ?罵声を浴びせられるぞ?わかってんのか?よくもまあいけしゃあしゃあと騙してたもんだ」
「っ……」
「償うんだよ、お前は」

震えていたの手は、俺の服からそっと放された。初めてだった。俺からが放れようとしたのは。ゆっくりと小さい歩幅で、震えながら俺の後ろから出てきた。その瞳に光は宿っていなかった。
男がの手を引こうとするが、俺はもう一度をこちらへ引き寄せた。

「てめェ、此の期に及んで何すんだ!」

声を荒げる男に、俺は自身の過去を思い出し、そして自然と口角が上がった。

「ハッ奇遇だなァ、俺も自分の母親を殺してる」
「は……」
「罵声を浴びせられる?泥を塗る?んなモン慣れてらァ」
「……うっ、うるっせえんだよいい加減にしやがれ!!」

怪しげに笑った俺に、そいつの拳が降りてきた。俺は避けもせずに真っ向からそれを食らった。群衆に悲鳴が上がる。口の中が多少切れた味がするが、どうってことはなかった。そんなことよりも俺は、これでこいつの気が収まるんならそれでいいと思った。

「満足かァ」
「な、なんなんだよお前は……」

渾身の一撃だったのだろう。まるで手応えがなく自分の拳だけが傷むことに恐怖が募ったのか、先程までの威勢も男から消え去る。

「いくら殴ろうが俺は退かねェ。こいつは渡さねェ」
「な、……」
「あァ、さっき預かるって言ったなァ、あれは間違いだ」

淡々と、けれど他人事のように聞こえてくる唸るような声に目の前の男は怯んでいるらしく、その場から一歩たりとも動かなかった。
それを前にして、決然と口にした。

「貰ってく」

立ち尽くしていたの手を握る。あれだけ突き放しておいて、自分から手を伸ばすなんて笑い事だ。けれど、今更放す気はもうなかった。

「くっ……クソがっ!!」
「っ、」
「退け!邪魔だ邪魔だ見てんじゃねえ!」

罵声を浴びせながら男はもう一度俺の頬を殴り、その勢いのまま群衆の中へ駆け出し消えて行った。その後ろ姿を見て一つ息を吐く。いつの間にかに影を伸ばしていたはずの辺りは薄暗くなっていた。

「大丈夫ですか?あの人拳痛かっただろうなぁ……」

いつから気を確かにして見ていたのか、もう姿は見えない男の走って行った方を眺めながら雪生が歩いて来た。

「どっちの心配してんだァ」
「まあ、一番心配なのは……」

俺の後ろを指差した。そこを見れば、その瞳にはぼたぼたと大粒の涙が流れ地面を濡らしていった。
聞きたいことも色々とある。この群衆からもとっとと避けたい。けれど、それよりも前にこの涙を止めたいと、撫でるように頬へ触れながら、溢れ出る涙を親指で拭った。

「何泣いてんだよ」
「……っ、」
「……あれだ、育て終わってねえだろォ、カブトムシ」

気の利いた言葉は、見つからない。けれど、早くその涙を止めて、いつものあの笑顔を見せて欲しいと、震えるを抱き寄せた。


戻る