あまりもの

町での一悶着があり屋敷へ帰ってから、あれだけ泣いていたなら疲れているだろうと、特に何も聞き出すことなく終えようとしていた。何事もなかったかのように配膳された夕食を食べ終え、風呂に浸かり自室に戻る。明日は朝から半年ぶりの柱合会議がある。早めに寝る為灯りを消し、布団を押入れから引っ張り出していたところ、階段を上る音が聞こえてくる。そのまま自室へと向かうのかと思えば、そいつは俺の部屋の前で止まり襖を叩いた。
持っていた布団を床に降ろし、襖に手をかけ開けた。

「……なんだよ」

そんなことをするのはこの屋敷ではしかいない。目の前のは腫らしたままの瞳で俺を申し訳なさそうに見上げる。その手には氷嚢が握られていた。どうやらあの男に殴られた俺の身を案じて作ってきたらしい。ゆっくりと氷嚢を俺に差し出した。

「……お前の目に使った方がいいんじゃねェのか」
「……、」
「なら、受け取るが……」

から受け取った氷嚢を左手に乗せる。こんなものは全く必要はないのだが、ここで断るとまた目に涙を浮かばせて更にその瞳は腫れ上がることだろう。泣かせたいわけでもなく、素直に受けることにしたが、は立ち竦んだまま自室へ戻ろうとしない。察した俺は右手を掌を上へ向けて前に出した。一瞬肩を震わせながらも、は右手をとり、一度躊躇ってから文字をなぞった。

「……別に、聞いてどうすることもねェだろォ」

“聞かないんですか”という問いだった。正直、あの時は気になったが改めて考えてみれば、本当にそうだとしたら今頃はお尋ね者として探し回られているだろう。あの町でそれがなかったってことはあの親父の話が誇張したものだと予想がつく。
は瞬きを繰り返しながら伏せていた瞳を俺へ向けた。

「そもそも、お前こそ怖くねェのかよ」
「?」
「母親、殺したって言っただろォ」

一つ息を吐いて、町で男に放った言葉を繰り返した。隠していたわけでもないが、そんなことを聞かされて怖がらない人間なんていないと思った。けどこいつからそのことに対して追求はされていない。怖がる素振りも見せていない。
尋ねた俺には首を横に振り髪を揺らした。信じていないわけではないだろう。ただ、単純に言葉のままではないと察しているのか、真っ直ぐに俺を見据える目に、胸の奥からじわじわと何かが滲み出てくるような感覚がした。対して俺は真っ直ぐ見れずに、部屋の窓から見える景色に視線を逸らした。点々と散りばめられた星さえも眩しい気がした。そのままでいると、右手に擽ったい感触がして続けて文字を綴られたのを理解する。

「”知りたい”……?」

目は逸らしたまま、掌に残った感覚を追った。言葉を口にすれば、両手で右手を強く握られる。ぎこちなく視線をに戻せば、は頷いた。
別に、わざわざ話すことではない。話したところで何かが変わるわけでもない。
いや、変わってほしくない、というのが願望だ。俺は同情をして欲しいわけでもない。けれど、俺に歩み寄ろうとするを、俺は受け入れつつあったのだ。
一度躊躇ったが、俺はの手を引いてその身に引き寄せ、静かに襖を閉めた。

「……、?」
「……」
「!」

暫く、抱き寄せたままでいればは俺に顔を向ける。自分こそ成り行きのまま俺に腕を回していたにも関わらず、ずっとこのままなのかという困惑した表情を見せるものだからその瞳に氷嚢を落とした。

「冷やしてろォ」

慌てふためくを置いて、先ほど乱雑に放った布団を敷きなおした。その様子を氷嚢を目から退けて見ているに座布団の代わりだと言えば、すんなりとそこに腰を降ろした。氷嚢を突き出されたが、話しにくくなると断った。
部屋を照らしていた灯りは消したまま、俺は隣に腰を降ろした。それから思い出していくようにその時のことを話し始める。母親が鬼になって兄弟を襲ったことも、唯一残った兄弟も守れずに今はもういないこと。あくまでも、例えば連絡事項を伝えるかのような声色で伝えた。言葉に気持ちなんてのせれば、泣くと思ったからだ。俺ではなく、が。
話終えた後、を見れば、腫れた目に涙は浮かんでおらず幾分安心した。

「終わりだ、部屋にもど……、」

けれどその代わりか、微妙な距離を空けて座っていた俺の元へ座り直した。氷嚢はもうすでに氷は溶けているらしく、畳の上に置いたそれからはただの水音しかしなかった。
は俺の手を取り、文字を綴る。慰めの言葉か何かか、そう考えたがそこに綴られたのは”私もはなします”だった。話す、という単語に俺を唾をごくりと飲み込んだが、は一度立ち上がり部屋から出て行き、すぐに紙と筆を持って戻ってきた。
一瞬、前のように声を出すのかと思ってしまった自分が馬鹿らしい。机を借りて音を立てながら文字を書くに、つくづく自分が特別であると思わされてしまっている。

「……」

静寂に包まれる部屋の中、文字を書く音が止まった。途中途中、震えながら書いていたが止めたりはしなかった。それでも俺に伝えたいという思いが純粋に嬉しいと感じていたからだ。
その姿に、俺が持つべきものではない感情が生まれようとしているわけでは、ない。

「っ!」

自分に言い聞かせ、紙を俺に持ってきたの腕を引いて閉じ込めた。持っていた紙はの手から奪い取り布団の脇に置く。最初こそ驚いていたものの特に抵抗の色は見せず、そのまま俺はの身体を反転させ腰に腕を回し、柔らかい布団の上へ寝転がった。
の声が出なくていいと思うことは、これで二度目だ。どうせ俺には声を取り戻すことなんてできやしない。何もすることはできない。そんな自分をよく思うが俺は……、。

「……」
「付き合え、朝まで」

ただ少し、寂しかったんだ。俺は。過去のことを鮮明に思い出して、もう何も残っていないことを改めて痛感した。だから、その心の穴を埋めたかった。それだけだった。
同情してほしいと思っていたわけでもないくせに、足元の布団を引っ張り、温かいその中へと沈み込んだ。

夜が明け窓から差し込む日差しに瞼を開いた。いつの間にか俺は仰向け、は俺の身体に腕を回している状態で隣で眠りこけていた。起こさないようその腕から抜け、夜中に脇に置いたままの手紙に気付き、それを拾ってから柱合会議へと向かった。


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