"貴方の残りの人生、ずっと傍にいさせてほしいです"
ススキが淡い金色を彩る道を歩き、久しぶりの鬼討伐の指令から屋敷へ帰った。
が書いた手紙に対しては、読んではいるがその後そのことについて触れてはいない。声を出したせいで母親が自分を庇い熊に襲われたという過去ついても、願うような最後の一文についても俺からにかけてやれる言葉は何もないと思ったからだ。心のどこかでまだ、これ以上に依存させてしまうことを恐れていた。
「……」
屋敷へ戻り、寒いだなんだ声を漏らしていた雪生は早々と火鉢が温もりを生み出す部屋へと籠っていた。もそこにいて本でも読んでいるのかと思っていたが、休憩中の使用人しかいなかった。おかえりなさいませと声をかけて部屋から退こうとするが、そのままでいいと告げて俺は自室へ戻ろうとした。
その手前、ほとんど物置としてしか使用していない部屋の襖が僅かに開かれ、覗いてみればそこで何かを怪訝そうに見つめていた。
「あァ、呪符か」
「!」
右手には箒。おそらく掃除でもしていたのだろう。薄汚れた棚の引き出しから出してが手にしていたのは、いつしかの戦いで使用した呪符だった。前にあった柱合会議で戦いで役に立つだろうから、と貰ったものだった。どうやらお館様へ届いたらしい。何枚も重ねられたそれに、もうこれを使うほどの鬼は正直いないのだが何枚か懐に忍ばせるようにしていた。
今まで掃除をしてきて初めて見つけたのだろう、覗き込むようにして教えるとは俺の存在に肩を震わせた。
「これだけで色々できんだよ。相手の視覚から消えたり、貼った奴に幻覚見せたり」
「……」
「視覚の共有ができたり……あんま使わねェけどなァ。日当たる場所に持っていくなよ」
俺の言葉に耳を傾けていたは俺の呪符を交互に見比べて、自分の頭に一枚貼った。何も変化は起こらない。使う奴の用途によって柔軟にその血鬼術は変化すると聞いていたが、は俺の視界から消えるわけでもなかった。
はもう一枚の呪符を俺へ差し出す。
「貼れってかァ」
「……」
「しゃあねェな」
愉快そうには頷く。仕方なしに受け取って呪符を頭に貼る。すると視界が薄っすらと本来見えているものの他に別の視界から見えるものが浮かび上がってきた。自分自身だった。その姿を確認してすぐに、俺は呪符を外した。自分でも驚くくらいに、を見るその表情に笑みが溢れていたからだ。
「片しとけよォ、それ」
不満気にするを他所に、呪符を返し部屋から出た。俺はいつから、あんな面持ちでと接していたのか。
「(余計な真似しやがって、あの呪符……)」
悪態を吐きながら、階段を上り足早に自室へと戻った。
夕飯を食べ終えた後、昼間のあれが妙に頭にこびり付いて頭の中から消し去るように稽古場で身体を動かしていた。稽古場の床に汗がポツポツと滴り落ち、これ以上続け様に動くと明日にも影響しそうだというところで留めた。壁に背を預けて稽古場の入り口で腰を下ろす。斜め上へ視線を運べば、満月であることに気付く。月の主張が大きくなる日には、思い出すのは大事なものを失った時のこと。
避けるように、自室へ戻らずに目を閉じた。
「あ、いたよ」
いつの間にかにそのまま意識を遠くしていたらしい。すぐそばで雪生の声が聞こえて意識が戻ってくる。
「なんだ、俺も呼んでくれたらよかったのに、実弥さん」
その声に身体を起こそうと思ったが、止めた。一人で何も考えずに身体を動かしたかったからだ。このまま目を覚ましてしまえばこいつは俺に付き合うだろう。ならいっそこのままやり過ごそうと考えた。すぐ近くで布の擦り切れる音がする。
「最近任務も少ないから、今までこうしてゆっくり眠れる機会も少なかったなあ…」
隣で屈んだのは雪生だろう。こんな無機質な場所で寝ていてどこがゆっくりしているように見えたのかは理解できなかったが、無視して俺は耳だけ傾けていた。
「実弥さん、様子変だった?今日。……そうかな。まあ、多少怒ってるようには見えたけど俺は大抵いつも怒られてるしな…」
一向にこの場から引かずに続けられた会話である程度理解できた。恐らく昼間のあれから様子がおかしいと感じたは夜俺の部屋へ来たのだろう。もぬけの殻に異変を感じて雪生と探していたというわけだ。
逐一返したくなる雪生の言葉にこめかみ辺りに青筋が浮かぶのがわかったが反応せずにいた。
「実弥さん、人に起こされると凄い怒るからこのままにしておいた方がいいよ」
「……」
「いるの?ここに。…わかった、俺は戻ってるよ。起こさないようにね」
隣にいた雪生が立ち上がる気配がした後、遠ざかっていく足跡が聞こえた。せめてここに残る理由を聞いてから戻れよ、と何度目かの指摘を喉奥から出そうになるのを我慢し、目の前にいたが雪生がいた場所へ移動するのを察した。
「……」
別に、雪生がいなくなれば寝たフリを決め込む必要性はないのだが。起きる瞬間を完全に見失った俺はが退こうとするまでこれを続けようとした。
不意に、右手にの手が重ねられた。起こさないように、というのを一瞬の内に忘れたのか、手に触れただけでは起きないと思っているのか。
一つ、眠っている俺の掌に、は文字を綴った。それから、触れるだけの擽ったいようなそれが強く握りしめられるものに変わった。
その言葉に、俺は頭の中で片付かないままでいると頬に温かい手が触れる。瞳を閉じて何も見えないでいる分、一層包み込まれている感覚がした。
「、」
「!!」
前髪に何かが触れる感覚と、鼻先に息がかかり思わず目を開けば、数寸程度残されただけで今にでも触れてしまいそうなと視線が交わる。その瞳に映る自分自身が鮮明に捉えられるほど。
「…………」
「お前、何し、」
満月のおかげでよくわかるその表情。顔を真っ赤にさせながら、握りしめていた手も頬も、勢いよく放して距離をとられた。何をしようとしたか、なんて、聞かずとも察することはできた。
今、掌に綴った文字も、今しようとしたことも、ただ己を助けてくれた人間に縋っているだけなんじゃないかと、そう思っている自分自身がいた。そう思いたかった。
は俯き躊躇うような素振りを見せ、再び俺の右手を掴み、さっきと同じ言葉を伝えようとした。
「もう遅ェんだ、さっさと寝ろォ」
それを俺は拒むように、なぞり終える前に手を振り払った。立ち上がり背を向ける俺には眉を下げて稽古場を後にした。その後ろ姿を見ながら、ため息が一つ吹き抜ける夜風に消えていった。
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