あまりもの

の体調も万全とまではいかずとも、屋敷へ歩いて戻れる具合になったところで懐かしさ溢れるこの町から発った。名残惜しさはなかった。俺が住んでいた長屋は恐らくもう誰も住みたがらないだろう。が歩けるようになるまで数年の内に所々変わってしまった町を散策していたが、道中で出会った卵売りの親父が言っていた。その代わりに、いつでも帰ってこれる居場所があるじゃねえかと笑っていた。その内、と含みを持たせて片手を上げ親父に背を向けたのは昨日の話。

「本当に卵料理ばっかり出てきたな……もう俺当分卵はいいや……」
「消費したのお前だけじゃねェだろォ」
「いやいや、実弥さんはしれっと外出ていないし、はほぼ病人食だったし、俺が一番消費しましたからね!」

肩を下げながら雪生は隣を歩く。ひたすら出てきた卵料理に雪生はもううんざりだったらしい。ドス黒い靄が周りに見えた俺は気持ち離れて歩いた。

「……」
「ああ、いいんだ。卵投げ付ける気持ちは痛いほどわかるからね」

心配そうに雪生の顔を覗き込んだは申し訳なさそうに雪生を見つめていた。確かに雪生も出会い始めは『助けてやったのに何様だ』と俺に喰ってかかる町の人間相手に啖呵を切っていた。今はもうそれはなく、静観しているのだが。
雪生はの頭を撫でる。

「これからも実弥さん助けてやってよっていだぁっ!」

頭を撫でるその腕目掛け、道端の小石を蹴っ飛ばした。大して痛くもないだろうにわざとらしく腕を抑えて声を上げる。

「何するんですか!」
「頭撫でる必要はねェだろ」
「いきなり独占欲強すぎないですか!?、実弥さん怖いからくれぐれも気を付けて!」
「気をつけんのはてめェだァ」

俺と雪生のやり取りには面白おかしそうにくすくすと笑っていやがる。自然とそれに釣られるように笑みを溢しながら砂利道を歩いた。
程よく会話を進めながら、徐々に前方へ見慣れた町が見えてくる。何度か出入りしている、上弦の鬼と初めて対面したあの町だ。
京橋と負けず劣らずの盛況っぷりを見せる町に入るなり、雪生はキョロキョロと周りを見渡す。相変わらずめでたい頭をしてやがる。

「ちょ、折角なんで休んで行きませんか?の快気祝い!」
「屋敷戻ってからでいいだろォ」
「いやいやこういうのは外でパーっとやってこそですよ!ね、!」

魂胆が見え透いている雪生は置いていこうとしたが、を目にしてそれは無理だと悟った。是非、とでも言いたげな面持ちだったからだ。元々、そういうのが好きな性格なのだろう、まだ俺が知らない部分が多いことだけは今この場で理解した。

「実弥さん!」
「キタ!」

高い透き通った声を町に響かせて、そいつはこちらまで駆け寄った。会えば面倒臭いから、俺が早くこの町から出て行きたかった原因だ。何が面倒臭いって、別にこの女は特に関わりもないから好きでも嫌いでもないが、繰り広げられる女の戦いには俺は巻き込まれたくもねえと思っていた。案の定、はその姿を捉えた瞬間、俺の右手も左手も握りしめる。反物屋の女はその姿に瞬きを繰り返し、頬を綻ばせた。

「皆さん、ご無事だったのですね。何よりです」
「俺、鬼六体倒したんだ!」
「まあすごい、流石ですね。実弥さんは、」
「二体だよ!」

勝手に会話を進める雪生に任せ俺はこの場から去りたいのだが、反物屋の女は俺の手ではなく、横から右腕にその身を寄せた。

「少しくらい休んでいってください。美味しいオムレツがある洋食屋さんができ、」
「俺卵料理めちゃくちゃ好きだから!毎日食べられるから!」
「(めんどくせえ……)」

は俺の両手を離さず引っ張り、女は俺に身を寄せその間を雪生が割り込もうとするという、混沌とした状況を町の人間はいつものことかとでも言うように、それぞれ店前の掃き掃除や荷台に荷物を詰め込んだりと動いていた。
一つ息を吐いて、俺は女に掴まれている腕をゆるく振り払った。行き場を失った手は懲りずすぐさま伸びてくるが、距離をとる。流石に両手をに握られたままだと歩き辛く、右手は放せと告げれば俺が女を振り払ったことに気を良くしたのかその通りにした。

「帰るぞォ」
「……実弥さんは、ちゃんのことが好きなのでしょうか?」

一歩踏み出そうとした足は砂の擦れる音を鳴らしただけとなった。女は胸に手をあて、俺にそう尋ねた。は俺の左手に微かに力を込める。ガヤガヤとした道端で、俺たちしかいない空間が作り出された気がした。

「そうだ」
「女性として?」
「あァ」

迷わずそう答えると、女は拍子抜けしたようだった。口を僅かに開けたまま、その場に立ち尽くす。

「俺が貰うからさ、安心し、」
「私、諦めませんので」
「……」
「得意なんです、略奪愛」

一部始終を見ていた周りの人間から、あの女またやってるぞ、と話している声が耳に入った。なんとなくだが噂されている時点でどういう人間なのか把握できた俺は、極力この町には来ないようにするべきかと笑顔を向ける女を背に向けた。

「実弥さん寄り道していかないんですか!」
「お前懲りねェな、一人でオムレツ食ってろ」
「見栄張ってすみませんでしたもう卵料理は懲り懲りなんで!」

騒ぐ雪生を受け流し、人混みの中逸れないように、というのは建前で、ただ繋いだままでいたかった左手に俺も強く握り返せば、は歩みを止めた。釣られて立ち止まれば、は神妙な顔を俺に向けていた。そんなに、俺は文字をなぞらなくても何を伝えたいのかがわかるようになってきてしまっているのも問題だと思ってしまった。もしかすれば、こうして声出す機会を少なくしている俺の言動が声を取り戻せずにいることを助長しているのかと脳裏を過ぎるが、わからないフリはできずにいた。

「好きだ」
「……!」
「満足かァ、行くぞ」

気持ちはわかってはいるだろうが、言葉にしていなかったと、その顔を見て今までを振り返った。本当に好きなのか、そういう表情であった。
告げた一言には目を丸くさせたが、それ以上目を合わせずに俺はその手を引いた。このまま声が戻らなかったとしても、がいいのであれば、が許してくれるのであれば、俺はこのままを隣に置いて生きていきたい。

「実弥さん」

何気ない日常の中、穏やかに吹いた風と共に耳に鳴ったその声に、時が止まったような感覚に招かれた。
振り返ると、自分でも驚いていたのか、喉元に手を当てていた。それから、ゆっくり息を吸い込んで、目を細め柔らかく笑ってみせた。

「私も、実弥さんが好きです」

生きてく意味なんて、俺にはもうなかった。鬼を絶滅させた後のことなんて、考えもしていなかった。鬼の頸を刎ねること以外に、自分は誰かにの為になることなんて以ての外だと思っていた。

「……寄り道して帰るか」
「俺みたらし団子食べたいです!」
「便乗すんな、お前は帰れ」
「ええ!俺だってと話したいし、あれ実弥さん泣いて……?」
「うるっせェ!泣くか!」

それが自分の中で、当たり前なことだと思っていた。神様なんてものにも見放され、そういう人間なんだと納得もしていた。
この先俺に残された余生だとか、定められた未来だとか、そんな決まりきった己の考えさえも一掃し、感じたこともない風が湿った心の中を吹き抜けていくようだった。


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