アマサヒカエメの最終定理

「出席とんぞォ、休んでる奴は今すぐブッ殺す」

例えるならそれは、そう、運命だった。運命という言葉が今の私たちに一番当てはまる。制服を着て登校する生活も人生では残り一年しか楽しむことができない春、教卓の前で出席をとる担任の先生を見て強くそう思ったのだ。

ー」

私には、好きな先生がいた。それはライクではない、れっきとしたラブの方。二年生となった時に出会った数学の担当教師だった。その為三年生になっても私は絶対に数学をとると決めていた。数学の教師は二人いたから、それでもまた数学の教師がその人になるとは限らなかったけれど。

「おい

けれども問題はそこではなかった。休んでる人はいないから無理ですよーとツッコミを入れられながら出席の点呼を始めたその人は。

「てめえ、聞いてんのかァ」
「はい、愛してます!」

不死川実弥先生。私の愛する人だった。

「先生、これは運命です!」

勢いよく音を鳴らし立ち上がる私に、教室が騒ついた。





数学の担当どころではなく、まさかまさかの担任教師となったことに、私はこれほどまでに学校の神様に感謝したことはない。いるのかはわからないが。

「お弁当一緒に食べましょうよー、ねー先生ったらー!」
「うるっせェ、用もねェのに入ってくんじゃねェ」

不死川先生に用事があって来ました、と宣言し職員室に入るのは幾度目か、先生たちにも見慣れた光景になっているらしかった。テスト期間以外は比較的自由に入れるもので、またやってる、と宇髄先生やカナエ先生は温かく見守っていてくれているのだ。実際私の他にも生徒の出入りは多いかなりフランクな職員室。今だって善逸が冨岡先生の元を訪ねている。いや、あれは呼び出しかもしれない。
四時間目が数学だった私は不死川先生が教室を出るのと同時に後をつけていき、周りをちょこまかとしていた。

「昼くらい一緒に食ってやれよ、セーンセイ」

語尾にハートマークがつきそうなニュアンスで私を後押ししてくれる宇髄先生に感謝。おそらくこの人は面白がっているのが九割だと思うけれど、私としては有り難みしか感じなかった。

「ほらほら先生、宇髄先生もそう言ってくれていることですし!」
「クソ男味方につけやがって」
「おおいクソとはどういうことだ」
「あ、わかった先生!愛妻弁当を作って来て欲しいんですね!了解しました!」
「都合のいい解釈するな了解するんじゃねェ」

自分でも勿論わかってはいるのだが、私は舞い上がっていた。とても。普段は会おうと思わなければ数学の授業以外は会えなかったのだが、高校最後の一年、例えば文化祭や体育祭、色々な学校行事が不死川先生と楽しめることに希望しか抱かなかった。
私は不死川先生がパソコンを弄る机をバンッと叩いた。

「てめっ何すんだァ」
「もう私、一生卒業したくありません!」
「はァ」
「この一年を永遠に続けていたい……あ、留年っていう手はあるな……、冗談です」

ぎろり、そういうことに厳しい不死川先生の視線を感じて早急に撤回した。

「でも卒業したくないのは本当です。毎日来たいけど今の方が沢山会えるし」
「つーか早く飯食えよお前は」
「はーいいただきまーす!」

近くの余っていた椅子を拝借し、不死川先生の机の端を借りて隣でお弁当を食べる。不死川先生の机のデスクには家族写真らしきものが挟んであった。玄弥がいるから間違いない。先生がカメラ目線でないのがまた先生らしいな、なんて思いながら私は口を開く。

「先生が卒業して指輪くれるなら未練なく卒業できるんですけどね!」
「……」
「あ、指輪ってここにですよ、ここに」
「……」
「また無視!」

左手の薬指を見せつけるようにするけれど、不死川先生はパンをかじりながらパソコンの画面を閉じ携帯を弄り始めた。

「そういえば私朝連絡したんですけど見ました?」
「見てねェ」
「嘘既読ついてますもん!」

なんてわかりやすい嘘をついてくれるのかと。まあ、連絡と言ってもおはようのスタンプだけ送るのが私の日課になっているのだけれど。しかし、それがない日に不死川先生が『起きてんのか』と連絡をくれた時は声にならない悲鳴を上げ携帯を地面に落とした。三日連続で連絡をやめれば流石に来なくなってしまったけれど。なので、引き続き私は一方的に毎朝先生へのラブスタンプを欠かさずに送っているのだ。

「先生、これからは私がモーニングコールをさせていただきたいのですが」
「着信拒否されていいのなら勝手にしろォ」
「やめておきます」

どうしたら、先生は私のことを好きになってくれるのか。例えば今私たちを微笑ましく見ているカナエ先生のような美人で落ち着きのある大人の女性だったら振り向いてもらえたのだろうか。年齢の問題はどうすることもできないのだけれど、落ち着いた女性がご所望であれば私はそういう人間になりたいと強く思っている。

「ていうか、先生って彼女いませんよね?」
「……」
「えっいるんですか……!」
「いねェよ」
「よかった…」

反応がないからまさかいるのかと一瞬疑ってしまった。と言っても、生徒に冷やかされるのが嫌で、もしかしたら嘘を吐いているのかもしれないけれど。私にはわからない。私がもう少し早く、先生と同じ歳で生まれていればこんな悩みを持つこともなかっただろうに。学校の神様には感謝したけれど、恋の神様には恨んだ。





「でも私は不死川先生のことを信じてる。とても」
「ならそれでいいんじゃない」

澄ました表情で部室の掃除の為箒を片手に持ちながらそう口にしたのは中等部の時透無一郎くん。部活によるが、中高一貫のこの学校では特に文化部は部室が一緒となっていた。ちなみに、将棋部は両手の指で数えられる位しか人数はいないのだがそもそもほとんど幽霊部員で、まともに部室を使っているのは私と時透くん達しかいなかった。

「そっち終わった?」
「うん、完璧!」
「ならほら、座って」

窓拭きをしていた私を無一郎くんは将棋盤を挟んだ向かいに座れと促した。有一郎くんが体調不良でお休みの今、無一郎くんの相手をできるのは必然的に私しかいないからこうなるのはわかっていたことだけど、こてんぱんにやられてしまうのにいつもいつも嫌な汗をかいていた。

「……やっぱ兄さんじゃないと相手にならないな…」

例外なく、今日も私がいくら熟考しても、間髪入れずに持ち駒を指してくるのだ。それだけでとてつもないプレッシャーだった。私がどこに指すか、手に取るようにわかるのだろう。

「無一郎くんたちって、よく二人で対局してるけど無一郎くんの方が強いの?」
「いや?その時によるけど」
「え、そうなんだ」
「なんでそう思ったの?」

あまりにも私が相手にならなかったようで、無一郎くんは携帯をポケットから取り出しオンラインで対戦を始めたようだった。レベルが同じような人と対局できるようなアプリらしい。
無一郎くんは一度その画面から目を離し、私を見据えた。

「有一郎くんと対局する時は、なんかもうちょっと頑張れば勝てそうな気がして」
「……」
「あ、気がするだけだよ?絶対勝てないけどね?勝てないのは前提として!」
「まあ、それはそうでしょ」

私が有一郎くんに勝つだなんて滅相もない、と手を前に出し首を振ると、無一郎くんはじ、と私を見つめた後、視線をアプリに戻してそう呟いた。ぽちぽちと親指を動かす無一郎くんに私は頭の上に疑問符を浮かべる。

「えっどういうこと?」
「本人に聞いたら」
「無一郎くんは知ってるの?」
「うん」

流石、時透ツインズは頭がいい……とは、関係のなさそうな事案のような気がしたけれど、それ以上対局中の無一郎くんに声をかけるのはやめた。
とりあえず、やることもない私は電気ケトルに水を入れてきてお湯を沸かしお茶を淹れた。

「ていうか、ってなんで将棋部入ったんだっけ。興味ないでしょ」

僕にも頂戴、と頼まれて紙コップにお茶を注ぐ私に無一郎くんは声をかける。目は合わせずに指を動かしたまま。私と会話をしながら進められるなんて、余裕綽綽である。
私が将棋部に入ったのは高校二年生の時のことだった。中高だけではなく全国的に有名である時透ツインズにお近づきになりたいから…とかそういう理由ではなく、単純に興味が湧いたからだった。

「将棋ってさ、数学と似てるでしょ?」
「まあ、そうだね」
「だからこう、思考が不死川先生と似通うかな…と」
「……」
「そんな引いた目で見ないで!最初だけだから!今は普通に好きだよ。…弱いけど」

時透ツインズ、特に弟の無一郎くんは結構毒を吐くタイプで、素直に弱いと言われた当初、年上なんだからもっと言い方を考えて欲しいと嘆けば『年上なだけでどうして敬わなきゃいけないの?』と疑問を投げかけられた。それはもう、とても純朴な瞳で。

「兄さん可哀想」
「…?なに、」
「おいてめェら今何時だと思ってやがる!」
「きゃー先生迎えに来てくれたんですか!」

無一郎くんが呟いた一言は、唐突に見回りにきた不死川先生に意識を全て持って行かれ、聞き返すことはなかった。気付けばすっかり日は落ちて、空には星が散りばめられている時間となっていた。

「先生、私先生が送ってくれないと変質者に襲われちゃうかもしれません」
「ふっ」
「ちょ、鼻で笑ったね無一郎くん」

荷物を整理しながら部室を出るのを見届ける先生に懇願すれば、すぐそばで鼻で笑われた。心外である。
私は先生の腕にくっつき廊下を歩いた。

「先生、私思うんです」
「離れろ」
「最高の一年になりそうだなって!」

折角運よく手に入れたこの一年、私は不死川先生に大きな声で愛を叫び続けることをこの空に堅く決意した。