人混みの中で沈黙が訪れたその空間。周りの声がまるで聞こえず、私は目を輝かせながら頬を引きつらせているその人を見た。
「先生にこんな可愛らしい弟くんがいただなんて!」
「……」
「え、弟ですよね?ねえ先生、え、まさか子供とかそんな、」
「にーちゃんじゃないもん」
「!?」
嬉々として私は不死川先生に話しかけるけれど先生は無言。もしかしたら、まさか、まさか子供……だなんて不安になれば、私にしがみ付いている就也くんが発した言葉に絶句した。
「(……彼女はおろか、ご結婚、されていた……?)」
わなわなと震え、顔面蒼白になる私を置いて、先生は就也くんの言葉に目を細めて一つ息を零した。
「母さんも心配してんだ、戻るぞォ」
「やだ!」
「(母さん……?)」
就也くんは私に顔を埋めて不死川先生を避けようとするが、今の私にはこの二人の関係性のことしか考えられなかった。家族で来たって、まさか先生は所帯を持っていて、子供も複数?
いつ結婚したのかとか、そんなことばかりが頭の中に浮かんでいた。
「あ、兄貴!就也見つかったんだな……って、……?」
不穏な空気感を醸し出す中その輪に割って入ってきたのは玄弥だった。先生は玄弥をチラ、と横目で見る。
私たちの元まで駆け寄ってきた玄弥は私と不死川先生を交互に目配せした。
「実弥にーちゃんも玄弥にーちゃんもにーちゃんじゃない!」
「(お兄ちゃんだ!!)」
がしっと、なお私の足元にしがみ付いている就也くんのその言葉に私はひどく安堵した。
喧嘩をして、癇癪を起こしているからお兄ちゃんじゃない、なんて口走っているんだ、この子は。
邪念が拭えた私は嬉々として就也くんを抱え上げた。
「よかったー、弟ですよね、うんうん。喧嘩したんですか?」
「あー……まあ、」
「おとーとじゃないもん」
そのまま先生の方へ向くと、先生はバツが悪そうに目を逸らした。それから小さく息を吐いて、私から就也くんの首根っこを掴んで引き離した。地面に下ろし就也くんと目線を合わせる。
弟と言えど、小さい子を相手にする不死川先生を初めて見たので新しい一面を見れて胸が脈打った。
「やだあ!ねーちゃんと遊ぶ!」
「男が喚くな」
「だってにーちゃんあれやらせてくれないんだもん!」
喚きながら、就也くんは先ほどまで私たちがいた射的を開く屋台を指差した。
そういえば、過去不死川先生は玄弥が射撃部で得た賞状をビリビリに引き裂いたと聞いた気がする。
「まだ早ェ」
「ねーちゃんはやらせてくれたよ!」
「はア?」
屋台を差していた指を、就也くんはそのまま私へ差し向けた。まさか、とでも言いたげな面持ちの先生と目が合う。
なんと言えばいいのかわからず、とりあえず事実なので私はこくりと頷いた。
「知らねェ奴についてくなっていつも言ってるよなァ」
「あ、それは私も注意しようと思っていました!」
「しってるもん」
「ああ、名前教えたからね、でもそうじゃなくて……」
「さいしょからしってたもん」
かなり先生は就也くんにピリついている様子だった為、宥めるために割って入った。
玄弥は相変わらず不死川先生には口出しはできないようで、おろおろとしながら行く末を見守っている。
しかし就也くんの一言にその場の全員が一度固まる。
「はァ……?」
「玄弥にーちゃんがしゃしん見せてくれた」
「……」
「ご、ごめんにい……兄貴!ただ、仲良い奴の写真見せてただけで……」
「実弥にーちゃんのことがすきなひとっておしえてもらった。だからしらない人じゃない」
慌てて訂正するような玄弥にぽそぽそと呟いていく就也くん。なるほど、なんて私は頭の中で理解した。
つまりは、就也くんは元々私のことを知っていて、だからこそ声をかけたんだ。誰彼構わず声をかける子ではなかったことにまず一安心。
知らない人に名前を教えてはいけないって言っていたのは彼なりのちょっとしたいたずらであったのだろう。故にあの笑顔だったわけだ。
「手に持ってんのはなんだァ」
「ねーちゃんがとってくれた」
「あはは、やり出したら私が止まらなくなっちゃって……」
眉を下げて笑えば、先生は就也くんにも、恐らく私にも呆れたように片手で頭を抑えていた。
一つもらってしまったけど、私はいらないので、と言えば先生は就也くんを抱え上げて玄弥に押し付けた。
「先戻ってろォ」
「え、兄貴は……?」
「話がある」
先生は顎でくい、と私を差した。その仕草に私はどきりとした。これは嫌な方。
私は見ず知らずの子と迷子センターにも届けずに遊びまわったことを怒られてしまうのか、そんな思考が頭を過ぎった。
わかった、と玄弥は一言頷き、まだ遊びたいという就也くんを連れてどこか、おそらく家族の元へ向かったのだろう。花火が見れる場所に。
「あいつ、何回やった」
「え?」
「射的」
「……一回」
「ならその分と子守りしてた分、返す」
「……いや、いいですいいです!!」
ポケットから財布を取り出そうとした先生に手を前にして止めた。
私も一人でちょっとつまらなかったし、結果射的は楽しかったし、あと就也くんが私のことを知って話しかけてくれた、というほんのり嬉しい事実も知れたことだし。
「いいわけねェだろォ」
「私が勝手にやったことで……」
なんとかお金を貰うのを阻もうとする中、ぐうう、と奇妙な音が耳に響いた。いや、耳だけではなく、私のお腹にも。
周りは騒ついてはいるけれど、先生にもその音は聞こえたらしく、羞恥が襲った私は顔に熱が集まる。
「パン!そう、パンをね、就也くんに食べられてしまったのですよ!」
「は、あいつ射的だけじゃなく、」
「それはそれはお腹空きますアハハ、何か買いに行きますアハハ」
「だから待てっつの」
折角会うことができたのに、お金を貰わないことと、恥ずかしさから逃れたい思いで足早に去ろうとすれば手首を掴まれる。
「なら、なんか食いに行くか」
「……へ」
「好きなの選べェ」
ぶっきらぼうに言い放つけど、それはつまり、ちょっとしたデートということで。
立ち尽くす私に先生は何か言えよと言いたげな目を向ける。
「よ、喜んで!」
先生に掴まれていた手首を一度振り払い、無理やり手を繋ぎ直した。
その手を先生は振り払わない。行くぞ、と浴衣の私に歩幅を合わせて歩く先生に寄り添った。
好きな人と夏祭りデート、これぞ夏の風物詩だ。
「先生」
「あァ」
「どこからどう見てもカップルに見えると思うんですけど、どうですか」
「どうでもいい」
お腹は空いているけれど、この時間が惜しくて何を食べようか悩んだフリをしながら歩く。花火が始まれば多分先生は家族の元へ戻るのだと思うけど、それまでくらい一緒にいてほしい。
「私、先生が私のこと子供扱いする理由がこの前ちょっとわかったんです」
「……」
「でもそれって、相手に失礼だと思うんですよね!」
有一郎くんに言われたことを思い出した。
私はあの時、子供扱いをしてしまった。そんなわけはない、と。それは私が不死川先生にされたら一番嫌なことだったのに。
先生は私のこと、子供扱いはしてないと夏休みに入る前、さらりと言っていたけど、こういう恋愛に関しては子供のように見られている気がしてならないでいる。
「先生」
「なんだよ」
「先生今、私にお説教されてるんですからね?ちゃんと、一人の人として見なきゃダメです」
隣を歩く先生を覗き込むようにして伝える。けれど、あからさまに目を逸らされた。
今はこうして逃げられてしまうけど、絶対に私は先生に好きになってもらう。それだけは譲れないのであった。
「見てるよ」
先生が呟いた言葉は、大きな音を鳴らして打ち上げられた花火によって拾うことはできなかった。