緊張で胸が張り裂けそうだけれども、見ないことにはどうしようもない。
ふう、と深く深呼吸をして携帯の画面を開いた。
「……っっやっったーーー!」
煩い、と我が子が合格したのにも関わらず私を怒るお母さんに学校行ってきます、と背を向け駆け出した。
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ガラッと乱雑に教室の扉を開くと他に生徒はいない。合格した人は報告に来ることになっているけど、わざわざこんな早くから来る人は私一人しかいないようだった。
息を切らす私に不死川先生は微かに笑みを浮かべる。
「先生ー!!」
パソコンを前にする先生の胸に飛び込もうとしたけど、頭を抑えられ阻止された。誰もいないのだから許してほしい。
先生は私に一枚紙を手渡した。卒業後の確定した進路を書くものらしい。お嫁さん、と書きたいところだけどそれは今回ばかりは我慢。
「先生のおかげです」
「お前が努力したからだろォ」
サラサラと進路を書きながら先生に笑いかければ先生も笑ってくれる。とても微かに。
自分のおかげだと先生は言うけれど、決してそんなことはない。先生のような先生になりたいという思いがあったから、私はここまでやってこれたんだ。
夏休みも冬休みも、偶然、奇跡的に会えたことを除き先生は私と会おうとしなかった。私のことを、考えてくれていたからだ。
「先生、合格祝いにデートしませんか」
ヒラリと進学先を綴った用紙を手渡しながら要求。先生はその用紙をファイルにしまいながら答える。
「そんな暇ねェよ」
「私は暇になりましたよ!」
「俺はこの後も他の生徒見なきゃならねェんだよ」
しっし、ともう帰れといつも通りの塩対応。私が一番ノリだったから今は二人きりなだけで、きっとこの後も続々と来るだろう。薄汚れた教室の窓から外を見ると、善逸が歩いていた。善逸も今日合格発表だったらしい。
「残念。仕方ないので帰ります」
用事はもう済んだ。いつもなら他の生徒が来るまで私は居座っていたと思うけど、全てが終わった今、やりたいことがあった。なんて言ったって、もう二月なのだ。
「待て」
「?わっ」
渋ることなく教室を出て行こうと背を向ける私に先生は声をかけた。振り返った矢先、何か箱のようなものをふわっと私へ放った。
まさか指輪、と脳裏を掠めたけれど流石にそれは違った。けれどもそれは、予想だにしていなかったものだった。
「合格祝いだ」
「……逆チョコ!愛の告白と受け取りました!」
「合格祝いだっつってんだろォ」
私の手の中には茶色のラッピングと赤いリボンで結ばれた箱。どこからどう見てもこの時期特有のチョコレートだ。
今、私がこれを用意してこようと思っていたのに。先生のことはまだわかりそうでわからない。
「もうこれ、一生食べません」
「いや食えよ」
「あ、写真撮ろ」
「SNSに載せんなよォ」
「わかってますって!」
つまりは、みんなにバレたらまずいものというわけで。であるならばこれは恐らく私だけに用意していたものだということが察せるのだけれど、舞い上がっている今、私はそんな考えに至らず写真を撮ってお気に入りフォルダへ移した。ついでに日光が降り注ぐ教室に映える先生も撮ろうとしたけど後ろを向かれてしまった。なかなか手強い。
ありがとうございますと教室を出て、善逸に合格おめでとうと声をかけ学校を後にした。
勿論このまま帰るつもりがなかった私はとある場所に寄ってもう一度学校へ戻る。
学校はもう生徒たちが下校する時間だった。
「あ、時透ツインズー!」
日が暮れかけていた時間、帰路につく生徒の流れに逆らって歩いていたところ、前方から見覚えのある影が二つ。大きく手を振って二人を呼んだ。
「まとめて呼ぶな」
溜息を吐いたのは有一郎くん。もう話さなくても私は二人を見分けられるようになったけれど、まとめて呼んでしまったので疑われてそうだ。
私は手にしていた紙袋からガサガサと一つ箱を取り出して有一郎くんの前へ差し出した。連絡しようかと思ってたけど、ちょうど会えてよかった。
「色々とお礼!」
私が差し出すそれに有一郎くんは一瞬固まっていたようだけど、笑みを零しながらそう伝えると一つ息を吐きながら受け取ってくれた。
「何もしてないけどな」
「したした!めちゃくちゃした!本当にありがとう」
有一郎くんが私のことを好きだと言ってくれたから、自信が持てたのだ。気持ちには応えられないけれど、せめてものお礼がしたかった。
「兄さんそれ受け取っていいの?」
「何が」
「好きな子いるんでしょ」
「なっ、んで知ってんだよ!」
「え、そうなの!?」
無一郎くんの一言に有一郎くんは頬を染め上げる。決して、いても不思議ではないけれど。気になった私は誰なの誰なの、と小突くが教えてくれなかった。
「あ、無一郎くんにもあるよ」
「そうなの?ありがとう」
再び紙袋からガサゴソと取り出し手渡した。チョコレートというかクッキーの詰め合わせのようなものだけど。一応有一郎くんと差をつけたつもり。でも、別にそんなことをしなくてもよかったかな。有一郎くんは有一郎くんでもう私のこと意識しているわけでもなさそうだったから。少しだけ自惚れてしまっていた。
「じゃあ行くね」
「合格おめでとう」
「えっ言ったっけ!」
「雰囲気でわかる」
私を見て呆れたようにするのは、今でも変わらないけれど。
有一郎くんからお祝いの言葉をもらった私はひらりと手を振って再び学校へ歩みを進めた。
正門をくぐって駐車場の方を見ると先生の車はまだある。
また夜遅くまでいるのかな、なんて思い浮かべながら朝と同じく教室の扉を開けた。いない。
となると職員室かと踵を返そうとしたところ、頭上にふわりと暖かい何かが降りてきた。
「何してんだお前は」
「あ、先生。そこは“おかえり”って迎えるところですよ!」
私の頭上にぽんと置かれたのは先生の優しくて大きな手だった。元々三年生はほとんどいない校舎は日も落ちかけて薄暗い。周りに他の生徒がいる気配もない。
「忘れものか」
「先生こそ忘れ物ですか?」
「お前が見えたから来たんだよ」
「……」
先生は私から手を離して目を逸らした。私のことを気にしてここまで来てくれたというわけだ。堪えられない笑みを浮かべていると、暗くなる前に帰れよ、なんて言われてしまった。
そんな先生に私は紙袋から先ほどのように箱を取り出して先生に差し出した。勿論、一番の特別仕様。
「私が渡したかったのに、なんで先生先にくれちゃうんですか」
「はァ、合格祝いだっつったろ」
「私のは本命です!」
「そうかよ」
面倒臭そうにしながらも、先生は受け取ってくれた。リボンに手紙が添えてあるのに気付いて今開こうとされたけど、それは阻止。
「先生、私、卒業しても会いに行きます。絶対に」
「暇じゃねェだろ、そんなに」
「時間を作るんです、先生の為に。私、卒業なんてしたくないなって思ってたけど、今は卒業したくて堪りません」
卒業してしまったら、もう先生とは今ほど会えなくなってしまう。それが堪らなく嫌だった。担任の先生になったのも運命だと思うほどに、私は先生のことが大好きで。だからその時間がなくなってしまうことがとてつもなく嘆かわしかった。
でも、今はそんなことは思っていない。
「先生がくれた未来だから」
「……まだ何も渡してねェよ」
もう一度、先生は私の頭に手を置き髪を優しく撫でる。私は、まだ先生の生徒だから、最後まで先生が先生を全うするのなら、私も生徒を全うする。
それが、この一年の恩返しだと思った。