アマサヒカエメの最終定理

あれ以来、私の靴箱に怖い手紙が入ることはなくなっていた。
風の噂で、昇降口で珍しく不死川先生が女子生徒に怒っていたというのも聞いた。それがこの一件と関係あるのかはわからないが、きっと先生は教えてくれないと思うのでそのままにしている。
そんな訳で、私はいつも通り不死川先生へ愛を叫ぶのであった。

「ねえ夏祭り行きましょうよ先生~」

職員室では煩くて集中して期末テストが作れないから生徒がいなくなればこうして教室に移動しているらしい。クーラーが効いていてとても過ごしやすい。
炭治郎達のクラスで放課後テスト期間にも関わらず遊んでいれば先生が教室にいたのを発見。そのままパソコンのキーボードを鳴らす先生へデートの誘いを要求していた。
そんな私をさらりと受け流すのも、いつも通りだ。

「行かねェよ、学校あんだよ」
「え、夏休みは?」
「そんなもんがあんのは生徒だけだァ」
「そうなんですか!?先生って奥が深い……」

どうやら生徒がいない間も先生という職は学校にいなければならないらしい。それが社会人というものだと。
部活がある日は部活の引率、ない日は学校で二学期の準備…とほとほとに休みは用意されていないらしい。

「でも、夏祭りは土曜日ですよ!」
「忙しい」
「えー」
「それよりお前期末勉強してんのか」
「し、してます!数学めちゃくちゃ頑張ってます!」

嘘だけれど。まだ二週間前だからそこまで本腰ではない。実際さっきまで炭治郎達と腕相撲大会とかいうおふざけをしていたばかりだし。けれども勉強をしていないと思われるのが嫌であからさまに嘘を吐いた。
先生は私を見て目を細める。これはバレている。

「やりたいこと決まってねェならそれなりに勉強しとかねェとあとで後悔するぞ」
「(また進路の話か……)はーい」
「わかってんのかよ本当に」

空返事をする私に先生は呟いた。三年生だからそれは生徒の進路を気にすることは当たり前なのだけれど、夏になったところで特にどこに行きたいとか、そういうのはない。周りともそういう話はしないから特に焦りもない。

「私のやりたいことは先生の奥さんですし?あ、直近だと先生と夏祭りに行くことですけど」
「行かねェよ」
「どうして!土曜日ですよ!」
「家族」

ぽそっと呟かれた一言に私の勢いは止まってしまった。忙しい、学校、と振っていたのに、唐突に紡がれたその言葉に戸惑いを隠せなかった。
私は目を細めて先生に詰め寄る。

「本当に?」
「何が言いてェんだよ」
「先生、実は彼女いませんか」
「はァ…」
「車の中に長い髪の毛落ちてた」

この前車に乗せてもらった時、私は見つけてしまったのだ。けれども、それが彼女であるかなんて不確かだから何も言わなかったのだけれど、私はなぜだか先生はその人と夏祭りに行くのではないかという気がしていた。
そもそも、去年の夏祭りに不死川先生がいたとの目撃情報があったのだ。去年も私は散々誘ったのに先生はつれなかった。
半信半疑だけど、可能性は潰したい。

「お袋のだ」
「……怪しい」
「めんどくせェな……」

無意識だろうか、先生は舌打ちをしてからそう放った。確かにめんどくさいだろうと思った。自分でもそれは自覚している。でもそれほど先生のことが好きなのだから仕方ない。
それに、先生たちは彼女がいたとしても生徒にからかわれるのが面倒で黙っていることがある、とよく聞く。カナエ先生からのしのぶ先輩伝いだけど。

「先生はわかってない」
「あァ?」
「先生だから、きっと生徒に言えないようなこと沢山あると思うけど、それがわかるから私は些細なことでも疑っちゃうんです!」
「……」
「めんどくさくて悪うございました!それくらい好きなんです!いつまでもいつまでも子供扱いして!私先生が思ってるほど子供じゃないですからね!高校生だから、って理由で全部片付けないでください!!」

クーラーが効いているはずなのに、心なしか熱がこみ上げてくるような気がした。矢継ぎ早に思いを口にして、我に返る。
子供じゃないと自分で言っておきながら、こうして自分が思っていることをすぐ口に出してしまうところが子供だと見られているのだ、多分。
横目で私を見据える先生に焦りが募る。
嫌われたくない。そう、嫌われたくはないのだ。

「いや、あの今のは……」
「思ってねェよ」

慌てふためく私に先生は呟いた。その一言に私は瞬きを繰り返す。
廊下では伊之助がさらばだ、と走り回って冨岡先生が追いかける声が聞こえてきたけれど、それどころではなかった。

「だから一緒には行かねェ。先約もある」
「……い、意味がわかりません!」
「おら最終下校の時間だ、帰れェ」

私の声に被せるよう、タイミング悪く最終下校の音楽が校内に響き渡る。
しっし、と私を払うように不死川先生は手を振った。口をぎゅ、と噛みしめる。

「お、」
「……」
「覚えてろお!!」

脈絡なく捨て台詞を吐いて、私は教室から飛び出した。さっきまでいた炭治郎のクラスに荷物を取りに行くと炭治郎たちも帰ろうとしていたが、先に帰ると伝えて走った。どいつもこいつも廊下を走るな、と冨岡先生に怒られた。





子供だと思っていないのであれば、私の気持ちに正直に答えてくれてもいいんじゃないかとぼうっと空を見上げながら考えていた。
先生と生徒、と普通であればタブーなのかもしれないけど、この学校はそんなことにうるさい人はいないし。先生は硬すぎる。
やっぱり子供として見られているのではないか、その邪念は消えることはない。

「あ、

最終下校時間と言っても、まだ日は沈んでいない。辺りは沈みかけの太陽のおかげで綺麗にオレンジが広がっていた。
コンビニの日陰でアイスを食べながら涼んでいると、声をかけられた。どっちもいる。

「お疲れ……っていうか、二人帰り道こっちじゃないよね?」
「お偉いさんに会いに行くから今日はこっちの駅なんだ」

今の喋り方で、こっちが無一郎くん、私に声をかけた方が有一郎くんだと確定。最近漸く二人の微妙な顔つきの違いにわかるようになってきたけど、まだまだ一瞬ではわからない。
お偉いさん、というのは将棋のお偉いさんかな。前にテレビで一緒にいるのを見た。とても二人は可愛がられていた。
溶けそうになるアイスに慌ててかじりつく。

「ほーなんだ、いってらっはい」
「……お前、またこんな遅い時間まで不死川先生といたのかよ」
「いっ、うん……、最後の方だけだけど」

慌てて食べたからこめかみ辺りがキーンとした。顔を顰めながら答えると有一郎くんは眉を下げ、口を閉ざしていた。
みっともない年上でごめんなさい、と心の中で謝れば無一郎くんだけするっとコンビニの中へ入って行ってしまった。
アイスを食べ終わった私は袋をゴミ箱へ捨てて、どうしたものかと有一郎くんを見ていれば、そっと手を握られた。

「……?どうしたの」
「わかれよ」
「?」

小さく、意識していないと聞き取れないような小声で有一郎くんは呟く。顔は伏せられていて表情はわからない。
首を傾げる私に無一郎くんが顔を上げると、熱を帯びた表情に見えた。
夕日のせい、だろうか。

「お前のことが好きなんだけど」
「…………、へ」

有一郎くんに握られた手に弱く力が込められて、遅遅と理解した。まっすぐ私を見る瞳が揺らぐ。いつからか、同じくらいの背丈であったはずが抜かれていたことに気づいた。
人に好きだと言われたことなんてなくて、どうしたらいいのか戸惑いを隠せずに視線を泳がせた。

「い、いやいや、私三つも離れてるんだよ?私なんておばさんでしょ~」
「……」

声に出して、有一郎くんがぐ、と何か喉奥で出しかけた言葉を飲み込むような素振りを見せて私は気付いた。
これは、私が一番して欲しくない、思って欲しくないことだ。一人の人を好きでいるのに、年齢なんて関係ない。

「ごめんね」
「それはどういう意味の謝罪だよ」
「あ、えっと……、二つ。今子供みたいに受け止めちゃったことと、……私は、先生が好きだから……と、いうこと……」

絞り出すように伝えると、有一郎くんは私の手を弱々しく離した。
有一郎くんはそっぽを向いてぶっきらぼうに放った。

「わかってるよそんなこと」
「……」
「別に俺のこと考えてほしいとか、そういうこと思ってるわけでもねーし。俺もお前みたいに言いたくなっただけ!」
「……ありがとう」

私の、何が好きでいてくれているのかはわからないけど、自分が人からそう思われていることに素直にとても嬉しくなった。
もしかしたら、私に日頃好きだと言われている先生も、こんな気持ちなのかなって、都合のいいことを考えてしまうくらいには。
子供として見ているわけではないっていうのも、本当なのかもしれない、と。
無一郎くんに続いてコンビニに入っていこうと私を横切る有一郎くんに待ってと声をかける。

「有一郎くんのおかげでちょっと自信持てた!」
「ちょっとかよ」
「いや、かなり!めちゃくちゃ!」

慌てて訂正すると、有一郎くんは稀に見る笑顔を私に見せた。