アマサヒカエメの最終定理

どんなに暗い空でも、どんなに荒れた雨でも、私の心を一瞬で晴れ模様にしてしまうその人が大好きで。

「先生!雷雨です!危険です!!」
「木の根元にいる方が危険だろうがァ」

公園に入りこちらまで歩み寄る不死川先生に私は声を張り上げた。そんな私に先生はごもっともな意見を交えながら私を傘に入れてくれた。
木ではこの雷雨の中防ぎ切れなかった雨から私を覆う。

「何してんだこんなとこで」
「先生こそ」
「プリンター壊れてコンビニ向かってたんだよ」

じゃんけんに負けて、と、どうやら職員室ではじゃんけん大会が開かれていたらしい。何それ楽しそう…と思いながら公園の外に目線を配れば不死川先生の車が脇に停めてあった。

「乗れ、車」
「え」
「風邪引くだろォ、このままだと」

こうして、二人でいるのは久しぶりな気がした。二人でいると行っても、私が勝手に職員室へ押し寄せているだけで正確には二人ではないけれど。たまに不死川先生が放課後教室でパソコンを弄っている時にラッキーと思ってひたすらに、一方的に私が話し倒す日もあったけど、最近はそれすらなかった。
傘に落ちる雨の音がやけに耳に響く。

「や、やだ先生ったら!生徒と先生がドライブだなんてもう…」
「走らせねェよ」
「……」

いつもの自分だったら、迷わず車に飛び乗っていたと思う。雨が止むまでどころか、多分家まで送ってってわがまま付きで。けど、今はそういう気にはなれなかった。


―不死川先生あんたのこと嫌いだよ―
―迷惑がってんのがわからないのか―


紙に書かれていた言葉が私の脳内を木霊する。もしも、それが本当だったら。
私が明確に拒絶されていないのは先生が優しいからで、本当はそう思っているとしたら。

「……」
「……」
「…ので、」
「あァ?」
「迷惑だと、思うので」

絞り出した声は、震えていた。寒さではない。俯き先生の顔はまっすぐ見ることはできない。
弱々しい声に自分でも驚くくらい。ぼやける視界の中で足元が滲んでいく。傘、いらなかった。
涙を悟られなくて、私は先生が入れてくれた傘からも木の根元からも離れ、土砂降りの雨に打たれた。

「おい、だから風邪引く…」
「用事を思い出しました」
「はァ、」
「ダッシュで帰ります、さようなら!」

これだと、私に紙を忍ばせる誰かの思うツボだ。けれど、優しさがいつも以上に身に染みて、胸が痛くなる。今日紙が入っていなかったのだってきっと、最近私が不死川先生につきまとっていないからだ。
そんな自分に嫌気が差す。人に左右されてしまっている。好きなのに、好きなのに怖い。

「待てって」

雨に打たれながら、背を向けて走り出した。けれど、公園の出入り口あたりでその足は止まる。暖かいその手に私は甘えそうになってしまう。

「……放してください」
「お前こそ話せよ」
「なんで、」
「悩みくらい聞くだろォ、教師だぞ俺は」

もうすでに涙は止まらないのだけれど、隠すのはやめてその人を見上げれば、その視線はまっすぐと私を見てくれていた。その眼差しが私の胸を焦がす。

「……」
「……誰かに言われたのか」

静かに口にした一言に、私は否定も肯定もせずに、また俯いてしまった。頭上から溜息が一つ降りてくる。
とりあえず雨が強いから、ともう逃げない私を連れて不死川先生は私を車の後部座席へ乗せた。

「先生」
「あァ」
「寒い」

当たり前だが、随分とずぶ濡れとなっていた私は雨を吸ったワイシャツの所為で身体がひんやりと冷たくなっていた。
子供のようにそれだけ伝えると、先生はちょっと待ってろと告げて車のエンジンをかけたまま出て行ってしまった。
車の窓に頭を預けて瞼を閉じる。暖房をつけてくれたらしく、徐々に暖かくなってくる。
どのくらい立ったのか、不意に扉の開く音がして目を開けると、瞬間ふわふわとした感触が私の顔面を覆った。タオルだ。それもバスタオル。

「ほら」
「ありがとうございます……」

ありがたくそのバスタオルで髪をゴシゴシと拭いていると手渡されたのはコーンポタージュ缶だった。先生は運転席で缶コーヒーを開けている。微糖だ。少し時間がかかったのはコンビニまで歩いていたからだったのが窺えた。コンビニなんて場所に私を車で連れているのが誰かに見られたらそれは事件だ。わかってはいるけど、どうしてこうも先生と生徒という関係は歯痒いのだろうか。
私は手渡された缶を思いっきり振って蓋を開けた。甘い香りが車の中に充満する。

「あったかーい……身も心も温まります」
「そらよかったわ。で?」
「……」
「黙んな」

あからさまに私は避けるようコンポタを口にして明るく振舞うが、流石に時すでに遅し。ここまでしてもらって話さないという選択肢はなかったのだ。運転席に座りながら顔だけこちらへ向ける不死川先生から視線を逸らしながら私はこの身に起こった出来事をぽそぽそと伝えた。

「誰が言ったとかはわからなくて……」
「……」
「ただ下駄箱に紙が入ってて」

言葉にすると、とても惨めだなと思った。自分がそういうことをされているのが情けなかった。恥ずかしかった。だから誰にも言えなくて、自分の中で溜め込んで、溜息ばかり吐いて。
話し終えた時にはもう雨は弱くなっていた。

「なぜ黙ってた」
「だって先生に言ってもしょうがないから……」

知られたくもなかった、というのが本音であった。もし迷惑と思われているのであれば肯定されるのも怖かったし、違うとしてもそんな面倒臭いことに巻き込まれるのは嫌だろうし…と悶々と考えていたのだ。
実際、今本人を目の前に言葉にして、あまりいい気はしなかった。

「ここんとこ大人しかったのはその所為か」
「大人しい方がいいですか」

迷惑、と、はっきり言われたことはなかった。だからそれに甘んじていた。
けれど、嫌われてしまうのであれば私だって思いの伝え方は考えるし、何より私は心無い言葉を浴びせられて先生に今まで通り振る舞えなくても、好きな気持ちは変わらなかった。

「別に、好きにすりゃいいだろォ」

私が抱えていた悩みに、先生は吐き捨てるように言い放った。目深に被っていたタオルの隙間から先生を見ると、いやに呆れた様子だった。その姿にどくどくと嫌な音をさせていた胸がいつもの音に戻っていく感覚がした。

「……嫌ってませんか」
「嫌ってねェよ」
「本当に?」
「面倒くせェな、そんな紙切れと俺の話どっち信じるんだお前はァ」

面倒臭いと言いつつ、こうして不死川先生は私に構ってくれるから、私は諦めることなんてできずにいるのだ。
むしろ諦めるどころか気持ちはどんどん大きくなっていく。私は先生のことしか考えられない。先生が私のことを子供だなんだ言おうと、私は先生のことが一人の男の人として好きなんだ。

「なら、好きってことですね?」
「命題を習い直せ」

頬を綻ばせてそう言えば、不死川先生は私に向けていた顔を前方へ戻した。
雨はやはり通り雨だったようで、もうすっかりと止んでいた。

「乾いてからいけよ、服」
「脱いだ方が早く乾きますね!」
「ざけんな俺を捕まらせる気かァ」

不死川先生の言葉一つで、土砂降りだった私の心の中は途端に晴れてしまうのだ。