アマサヒカエメの最終定理

毎朝不死川先生を拝めるなんて、なんと素敵なスクールライフを送れているのだろうか。これ以上ない至福の毎日だった。頬杖をつきながらじっと人気のない最前教卓前を陣取ってうっとり眺めていると目が合った。
この席は出席番号順に配置されているだけの四月頭、席替えをして手に入れた席だ。くじ引きだったけれど、この席は人気がないので私が手を上げればくじを引かずしてゲットした。
そんな私を目を細めて先生が見つめるものだから、私はにこりと微笑えんだ。


「はい」
「さっさとプリントを後ろに回せェ」
「はあい」

うっとりと不死川先生を眺めていればため息交じりに告げられた一言に私は空返事をし、ひょいとプリントを後ろに回した。ノールックで回してしまったのでまさか後ろの人が寝ているとは思わずに私の手の甲はその頭にぽかんとぶつかってしまった。

「って!」
「あ、ごめん伊之助」

私がプリントを後ろに回さなくても後ろの席の人間から何も言われなかったのは気持ちよく眠りこけていたからで、安眠を妨害してしまった私はのっそり顔を上げる伊之助に謝った。
相変わらずシャツは前がはだけている。もしこのクラスの担任が冨岡先生であったならば毎朝怒号が飛び交っていただろう。けれども幸いこのクラスは不死川先生。しかも、不死川先生自身も首回りが詰められるのが嫌いだそうで、そこはかとなく伊之助の気持ちはわかるらしい。
人に迷惑をかけなければ咎められることはない。あと、数学ができていれば。

「なんだこれ」

面倒臭そうに伊之助もプリントを後ろに回し、プリントを摘み上げた。
配布されたプリントは進路希望調査とい記されたもの。私は卒業したくないと思っているのに、こんなまだ一学期が始まったばかりの春に卒業後のことを聞かされるなんて、私の答えは一つしかなかった。

「舐めてんのかァ」

正直に私はこの進路希望用紙に卒業後のことを記したのに、問題ありと放課後コーヒーの匂いが鼻を掠める職員室に呼び出されてしまった。

「舐めてるように見えるんですか?」
「見えないと思っていることが不思議でならねェ」

早急にその日の内に提出し、その日の放課後職員室に来いと直々に告げられ私は胸に期待を膨らませたのに、不死川先生は第一希望欄に”不死川先生の妻”と書かれたその箇所をボールペンで刺し、これはなんだと私を睨むのであった。

「私は本気です!」
「これで三者面談する気か」
「顔合わせですね」
「ふざけんな」

むしろ三者ではなくお互いの家族を呼んで私たちの将来について話せばいいと私は思っている。この不死川先生のデスクに飾られたご家族と共に…、という冗談はさて置き。
私はほぼほぼ私用に配置された不死川先生の隣の椅子に座る。

「でもまだ五月ですよ?」
「だから出すのは決まってからでいいって言ってんだろォ」

不死川先生は赤ペンで私が書いた第一希望欄に二重線を引き、却下と書いてプリントを手渡した。
先生はそう言うものの、特にやりたいことも不死川先生のお嫁さん以外には特にないのである。
今までだってのらりくらりと部活にも入らずに平凡な生活を送ってきた私には例えば炭治郎のようなパン屋を継ぐとか、そんな大層な夢も希望も自分に持ち合わせていないのだ。ただ、そのことに苛まれているわけでは特にない。
凄いな、夢がある人はキラキラしているなあ、と他人事のように思うだけなのだ。

「私は先生の妻になることで夢も希望もある未来を描くことができると思うんですよね」
「……」
「あ、私だけじゃなくて、先生も一緒にね!先生のことも幸せにしますよ私。毎日美味しいご飯を作って疲れた時はマッサージして、宇髄先生がうざいって話も沢山聞きます!」
「おーい聞こえてんぞ、お前成績1にしてやるからな」
「お風呂も毎日ピカピカにして先生が好きそうな入浴剤入れて、そして夜は同じベッドで……聞いてます?」

つらつら隣で私が描く将来を口にしていたが、気付けば先生は私の話に耳を傾けていなかったようで、どこかのクラスで回収した数学のプリントの点数をパソコンに入力しているようだった。聞いていたのは宇髄先生だけだったらしい。
いつもいつも華麗に無視を決め込む先生に私は口を尖らせた。

「先生の将来の夢はなんですか?」
「はァ?」

突拍子もない私の質問に、先生は無視を決め込めなかったようでパソコンから目を離し私を呆れ顔で見た。

「先生も書きましょうよ、これ。進路っていうか、将来の夢?」
「子供じゃねェんだ」
「大人が将来の夢を描いて何が悪いんですか!」
「……」

日は沈みかけ、夕暮れで職員室はオレンジに包まれていた。
私に言われるようなことではないと思うけど、例えば先生がこうしたい、というような未来があるのであれば私はそれにふさわしい人間になりたいと、そう思った。
先生は面を食らったような表情を見せた後、少し考える素振りをした。
それから、一つ息を吐いた。それは、溜息ではなく、私には何か自嘲したようなものに聞こえた。

「別にねェよ」
「……」
「とりあえずそれは決めたら出せ。頭良いんだから言われないでもできんだろォ」

流石に、これ以上第一希望を奥さんとして提出はしないけれど。でも、さっきの溜息が気になって、下校時間となり職員室を追い出されても私の頭からは先生のことが離れなかった。

「(将来の夢、あるのかな…)」

冗談で発言したつもりはないけれど、一瞬でも思い描いた夢があるのであれば、知りたいと思った。
オレンジが差し込む廊下を歩いていると、横切るクラスから笑い声が聞こえてくる。

「お、!」

ひらりと私に手をあげたのは炭治郎だった。一年生の時同じクラスで、それからはそれなりに仲良くしている。ちなみに二年生の時は今炭治郎の隣にいる善逸と一緒だった。ここに伊之助も含めた三人で仲がいいのは校則違反で悪目立ちをしている校内では周知の事実だった。悪目立ち、と言っても冨岡先生が厳しすぎるだけなのだけれど。
なぜ仲がいいのかは多分、冨岡先生に校則違反で呼び出されることが多くてとか、前に聞けばそんな理由だった気がする。

「もう下校時間だから帰らないと怒られるよ~」
「うわほんとじゃん!また冨岡先生に怒られるよ早く帰るぞ炭治郎!」

二人で一緒に何か動画を見ていたのか、机に立てかけていた携帯を片し荷物をまとめ教室を出るのを折角なので待っていた。

「炭治郎のクラスって担任の先生誰だっけ」
「悲鳴嶼先生だよ」
「三年間悲鳴嶼先生じゃん!善逸は?」
「それ聞く…?」
「ああ、なんとなくわかった…」

げんなりしている姿から察するに、冨岡先生だ。毎日毎日同じように怒られているんだろう。一瞬、黒く染めてきた時があったけどあの時はみんなで似合わないと大笑いをしたのが懐かしい。善逸は金髪が似合っていると思う。

のクラスは実弥先生だろ?」
「あ、気安く名前で呼ばないでください」
「いや、玄弥と一緒だし…」

私は不死川先生のことを名前で呼ぶのなんて恥ずかしくて呼んだ事はないのに、さらりと名前で呼んでいる炭治郎にジェラシーを感じてしまった。

「玄弥は玄弥、不死川先生は不死川せん…、」
「?どしたの」

呼び方一つに典型的な面倒臭い女感を出しながら下駄箱を開けて、一度固まった。
それに気付く善逸は上靴を持って私の元まで歩み寄り私が固まった原因である下駄箱を覗いた。

「……ラブレターじゃん!!??」
「ちょ、うるさい!」

ヒエエ、と目を飛び出し驚く善逸を叱咤し、私は飾り気のない二つ折りにされたその手紙を手にした。

「誰から!?誰からなの!?」
「善逸、騒ぎすぎだ」
「だってこんな青春エピソードを目の当たりにするなんて思わないじゃん!今時!?下駄箱に!?ラブレター!!??」

騒ぐ善逸を炭治郎が抑える。二人に見られないよう私は少し距離を置いてからその手紙を少し胸を煩くさせながら開く。
相手が誰であろうと私は不死川先生が好きで、それは変わらないのだけれど、誰かに好きでいてもらえている、というのはやはり嬉しいものだった。

「……」
「なんて!なんて書いてあったの!!」
「……なんでも!」

その紙をポケットにしまい、私は靴を履き替えた。

「なんでもなくはないでしょうに!ねえどうなの誰からだったのなんて書いてあったの返事はどうするのおお!!」
「もーうるさいなあ!」

炭治郎に抑えられながらも私の後ろで騒ぐ善逸に秘密、と告げて私は駆け出した。一緒に帰ろうと思っていたけど、そんな気分ではなくなってしまった。
一人になったところで、ポケットにしまった紙を再び取り出し開く。


―不死川先生あんたのこと嫌いだよ―


ラブレターなんてとんだ平和ボケだ。それは名前すらない、私の心を抉る一言だった。