恋と願いはよくせよ

夜空一面に星が煌めく穏やかな夜だった。
任務もなく蝶屋敷の縁側で一人空を眺めていれば、一筋の星が瞳に流れる。


―お兄ちゃん!流れ星に願い事を三回すると願いが叶うんだよ!


昔、禰豆子が無邪気な顔を見せながら、今日のような満天の星を見上げて口にしていたことを思い出した。
何を願おうか。そうだ、に会いたい。
瞳を瞑りその姿を思い浮かべた。
は俺が任務の帰路、神社で拾った猫だった。かなり衰弱していて、今にも息絶えそうな痩せ細った姿に放っておけず、しのぶさんには内緒でなほちゃんたちに手当てを手伝ってもらった。首輪もしていなかったことから野良猫のようだった。
『一匹でも助けることなんてしていたら、これからもずっと出会った猫にはそうしていかねばなりません』
のことがバレた時、しのぶさんはそう話していた。猫が嫌いなのに勝手に俺が連れてきてしまったことに対してではなく、自然の倫理観のようなことを俺に伝えられた。
確かにそうかもしれない。しのぶさんの言うことは間違ってはいない。でも、俺はどうもそういう、“見て見ぬ振り”をすることが苦手なようだった。
元気になったを見たら、助けてよかったと心から思った。
しのぶさんもそれを見て俺のしたことを『否定はしませんが』と零していた。
すっかり元気になったに、もう自由にしていいんだぞと屋敷の外へ放ったけど、は頻繁にこの屋敷へ出入りするようになった。かなり懐かれてしまったようで、これに対しまたしのぶさんを呆れかえらせてしまった。
けれど、最近は姿を見せなくなっていた。猫は死期が近付くと姿を消す、とアオイさんから聞いた時から少し心配でいた。自由にやれているならいいのだが、あんなに頻繁に会いに来てくれて、俺に懐いてくれていた猫がぱったりと姿を消してしまったことに寂しさを感じていた。

「たあ~んじろ~!!」

もうとっくに流れ星は消えてなくなっているだろうに、夜風にあたりながらに会えればいいな、と願っていたところだった。
突然、庭の方から俺を呼ぶ声が聞こえて瞼を持ち上げる。声のした方へ顔を向けると、全く覚えのない女の子が俺の元へ手を振りながら駆け寄ってきた。

「……、」

鬼、なのか?
その子からは敵意も悪意も感じない。だが、人間ではないことは匂いでわかった。人には独特の匂いがある。覚えがあるような匂いも混ざっているような気がするが、今にも俺の元へ飛び込んできそうなその子からはうっすらと鬼の気配がした。
だとしたら、迷わずに頸を斬るのみだった。
地面に立ち上がり、腰に携えていた刀を鞘から引き抜こうとした瞬間。

だよ~!」
「……え、うわあっ!」

走り寄りながら、今しがた俺が思い浮かべていた子の名前を出され、つい固まってしまった。それが嘘であるならば俺は気にせず刀を抜いていただろう。が、どこかで覚えのある匂いとその名前は一致していたのだ。
不味い、と思った時には時既に遅し。その子は俺へ両手を目一杯広げて勢いのまま懐へ飛び込んできた。
体制を崩しつつも、すぐに立て直せるよう受け身をとった。背中が冷たい床板と激突する。立て直さないと、そう思ったが、その子は足をバタつかせながら俺に頬を擦り寄らせるだけだった。

「ふふ、炭治郎~」

一体何が起こっているのか理解が追いつかず、俺はその子に覆い被さられたまま何とか頭を整理しようと脳内を回転させた。
鬼の気配は僅かだがする。それは確かにこの子からだ。しかしこの子自身から敵意は全く感じない。そしてこの子は今自分のことを『』だと言っていた。
……の飼い主、か?いや、もしかして。でも何のために。駄目だ。全く理解ができない。
この子は何者なのか、正直にこの子自身から聞き出そうと上体を起こした。この子は俺から離れず俺の上に跨ったままだ。

「君、誰だ?どうして俺の名前を知っているんだ」

いつまでも頬を擦り寄らせているその子の肩を掴み顔を離す。月明かりに照らされるその子の顔付きは子供、というわけでもなく年は俺と同じくらいのようだった。言動が小さい子供のようだったからその違いに思わずたじろいだ。

「?私はだよ?炭治郎、『俺は竈門炭治郎。会えて嬉しいよ、』って言ってくれたじゃない」
って、俺の知っているは……、」
「おいどうした炭治郎すごい音が、って、ええ!?なにこんなところでおっ始めようとしてんだ!?」
「いやっこれは違う!!」

名前も匂いも同じだが、そんなことはあっていいのだろうか。何かの罠なのか、ただ、周りにもそういう気配はまるでしない。
自分でも何が何だかわからずに頭を悩ませているのに、屋敷から俺の声を聞きつけた善逸が顔を覗かせ騒ぎ立てる。確かに、この状況ではそう見られてもおかしくはない。
俺は縁側に座り、その子は俺の上に跨って向かい合っているのだから。

「その可愛い子ちゃんどこから連れ出してきた!!」
「あ、善逸!」
「すまないちょっと黙っててくれないか!」
「ごめんなさい……」
「いや、君じゃない!」

そばで騒ぎ立てる善逸に叱責すると、自分が叱られたのかと勘違いしたのかその子はわかりやすく眉を下げた。
というか、善逸のこともこの子は知っているのか。
名前を呼ばれた善逸は俺のこと知っているの……?と嬉しそうにしながら大声を出すのをやめた。理由はどうあれ一先ず静かになったから安堵した。

「みんな知ってるよ。でも、炭治郎が一番好き」

星空を背景に、微笑みながらそう話す目の前の子に胸がどくりと跳ねたのはここだけの話。
視界に広がるそれに思わず生唾を呑み込んだ。そんな俺を知ってか知らずか、動けないでいる俺にその子はふわりと顔を寄せ、赤い舌を見せた瞬間唇に生温い感触がした。

「……え」
「たぁんじろぉおお!?」

唇を、ぺろりと舐められた。まだまだ片付かない頭で、すぐに反応ができなかった。
そんな俺にその子は接吻、というよりは騒ぐ善逸に気にも止めずずっと唇をぺろぺろと舐めている。覚えがあるようなないような、いやあって当然なのかもしれない。
薄っすらと記憶の中のそれと一致しそうになったところで、無意識に開いてしまった口の中で舌先がぶつかったことで我に返り、慌てて両肩を掴み押し返した。

「……どうして?」

その子の奇行を止めた俺に、わかりやすく顔色を変えて悲しそうにする。少しだけ、いや正直に言うとかなり胸がばくばくといっている。しっかりと女性の身体をしている子に身を寄せそういうことをされているんだ、しない方がおかしい。ただ、そういうのはお互い合意の上でやるべきことであって、この子おそらく、そういうわけではないだろう。

「どうしても何も、突然そういうことは、」
「突然じゃないよ。炭治郎、沢山チューしてくれた」
「……炭治郎」

善逸の低い声が耳に鳴る。視線だけそっちへ送ると、まるで信じられないものを見たかのように目を見開いていた。今にも、なにか勘違いをしてまた騒ぎ立てられそうだった。

「身体撫でて一緒にお風呂入って一緒に寝てくれた」
「、それはっ」
「炭治郎、お前最低だな」
「待て!違う!」
「覚えてないの?」
「覚えが!ない!?尚更最低だ!見損なったよ俺は!!」

うおお、と折角静かにしてくれていたのに善逸は床に突っ伏して喚き始めた。本当に、みんな起きるから辞めていただきたいのだが。そもそも善逸だって気付いているだろう、この子からうっすらと鬼の気配がすることを。
一先ず、しゅんと小さくなっているその子の頭を撫でると心地がいいのか目を瞑る。
それから念の為、まだ本人の口から聞けていない、確信に迫る言葉を口にした。

「君、って、元々俺が助けた猫だったか……?」
「え、?ほんとに?」

名前を聞いた善逸がピタリと泣き止み顔を上げたのが視界の隅に映る。
はくりっとした大きい瞳を開き、ぱあっと表情を明るくさせ、首を縦に振った。

「お星様にお願いしたら、人間になれたの」

頬を綻ばせるは鮮明に、その後ろでは蝶が月明かりに照らされた羽根をひらひらと羽ばたかせているのがぼやけて映る。
星に願ったら人間に?いや、それは違う。そんなおとぎ話のようなこと、この世に起こるはずがない。ただ一つ、俺が知り得る範囲の話で言えば、自我はあるし過去のことも覚えているそれは、血鬼術だ。
そんなことも知らず、目の前の猫であったはずのは願いが叶ったとばかりに満足そうに笑い、その唇を俺へ押し付けた。


夜にないた