恋と願いはよくせよ

しのぶさんに頼まれた薬草は、一つ隣の町を越えた山にあるようだった。日がよく当たる場所に生えているから昼間の方が探し易いらしいが、隣で町の光景に瞳を輝かせているも一緒だから、既に日は沈んでいる。
町に降りる前までは俺の手を繋いで時折身体を寄せてきたりしていたが、栄えた町の様子に心躍らせているようだった。

「ねえ炭治郎あれなに!」

一つ一つ、何か目新しい物を見つける度には指をさして俺を引っ張っていこうとする。勝手に一人でどこか行ってしまわないだけ安心ではあるが、は猫だった時にこういう町には縁がなかったのかと疑問を持った。
出店に並べられた色とりどりの絹糸に感極まった声を出す。店の人もその様子に優しい眼差しを向けている。

「これはなにに使うの?」
「お嬢ちゃんが着ている着物を仕立て上げるのに使う糸だよ」
「仕立て?どうやってやるの?」
「興味あるのかい?」

誰に対しても人懐っこいのは、やはり猫の時から変わらない。を拾って屋敷に連れ帰り元気になった後、善逸や伊之助にもすぐに懐いていた。元は飼い猫であったのならば、野良のまま生きていくのははなから無謀であったのかもしれない。
大きく頷いたに、上品な店のお婆さんはそばに置いてあった針山から針を一本抜いた。それと同時に、俺の手を繋いでいたの息が少し上がったのが伝わった。手が僅かに震えている。どうしたのかと顔色を窺えば、お婆さんの手元を見て怯えているようだった。

「こうして針に糸を通してね、」
「……、」
「布と布を合わせて縫っていくんだよ」
「、ぁ」
「?どうしたんだい」

作り途中の巾着だろうか、お婆さんは絹糸が並べられた机の引き出しからそれを取り出してに見せるように二針縫った。
明らかに様子がおかしいにお婆さんは首を傾げつつ糸と針をへ手渡そうとした。

「やってみるかい?」
「お婆さん、折角ですがすみません。あまり時間がなくて」
「あら、残念ねえ。また時間ある時にいらっしゃい」
「はい。ありがとうございます。ゆっくり見させてください」

小刻みに震えているの代わりに返事をして、針から遠ざけるように足早にその場を去った。
お婆さんが針を見せた時から体温も少し高くなっていたから、おそらく震えているのはその針のせいなのだろう。
大通りから離れて細道に入り、足を止めての頬を包み込んだ。

「大丈夫か?」
「あれ、嫌……」
「…………」
「怖い」

一言震えた声で呟いてから、は縮こまった身体を俺へ寄せた。
人懐っこい理由は、おそらく元々は飼い猫であったことに間違いない。そして、拾った時にところどころ傷があったのは、人為的にやられた箇所もあったのだろう。おそらく、針のような物を使われたのだ。
の不安を和らげる為、背中を摩ると震えは徐々に収まってくる。

「炭治郎、」
「うん、大丈夫」
「どこにも行かないで」

蚊の鳴くような声で、は俺の胸元から頭を離さず背中に回した腕を強めた。
の記憶の中にいる最初の飼い主は、どんな人間だったのだろうか。声とは裏腹に力の限り俺を抱き締めるに、胸の内が縛り付けられるようだった。

「行かないよ」

俺が君の前から消えていなくなることはないだろう。もしあるとすれば、それは、君の方だ。
を生み出した鬼が消えてしまえば、君は元の姿に戻る。それはいつあってもおかしくない。今この瞬間に戻ったっておかしくはない状況なのだ。
ふわふわな髪を梳くように撫でるとは俺を見上げる。透き通る瞳が瞬き一つすると、目尻に溜めていた涙が頬を伝った。
町の様子に嬉々としていたに、飼い猫であった時のことを聞くなんて無粋な話だと悟った。頬を濡らす涙を親指で拭うと、は顔を俺へ向けたまま瞳を閉じる。
何をして欲しいのか、察した俺はそれに応えるようにそっと唇を合わせた。
昨日のようにはせずに、軽く触れただけで離すとはそれで満足してくれたらしい。随分と気持ちが落ち着いたのか身体を離し、来た時と同じく手を繋いだ。
求められたからした、それだけであるのに物足りなさを感じてしまっている自分を頭から振り払い、予定通り町を抜け薬草を採りに山奥へ入った。

「あった、これだ」

日は沈んではいるが、開けた場所を目安に目当ての薬草を探していると、数カ所に生い茂っているのを見つけた。一つ採って、これと同じのを探してくれとに渡すと、は愉快そうに頷き、手にした薬草を見比べながら同じのを摘んでいた。

「これで合ってる?」
「合ってるよ。ありがとう」
「私、炭治郎の役に立ててる?」
「立ててるよ」

随分と数を採ってきた薬草を受け取りの頭を撫でた。これだけあれば当分は事足りるだろう。
褒められたことに気を良くしたは満足げに頬を緩ませる。その表情に、自然と俺も笑みが溢れ出ていた。
帰り際、来た道を戻っているとまだ所々店は開いている。絹糸を売っていた店はもう店仕舞いなようで胸を撫で下ろした。
はさっきのことがあってか、あれはなにこれはなに、と俺を引っ張ることはしなくなったが、一点を見つめ足を止めた。それにつられ俺も歩みを止めての視線の先を追うと、紙芝居屋だった。
薄暗い辺りの中で蝋燭の灯りが不気味な雰囲気を醸し出していた。周りには子供が集まり、今から始まる話を怖がりながらも心待ちにしているようだった。反応からするに、怪談話か何かなのだろうか。そして、はそういうのには抵抗はないのだろうか。

「そこの二人も一緒にどうだい」

食い入るように視線を向けていたと、その様子を横目で見ていた俺に気付いたお婆さんが手招きをする。
周りにいた子供たちも一斉にこちらへ振り向き、顔を明るくさせた。

「お兄ちゃんたちも来てよ!」
「このババアの怪談怖いんだぜ」
「お前、今日猪に喰われて死ぬぞ」
「ひいっ!」

思った通り、俺たちを輪の中へ呼んだお婆さんは怪談を話す人のようだ。
『ババア』と発言した子に背筋が凍る冗談を告げている。
最初に俺を呼んだ子がこちらまで駆けてきての腕を掴む。

「お姉ちゃんたちいた方が怖くないかも!」

怖い、と思っているのに聞きたくなるのは子供ながらの探究心に掻き立てられているからなのだろうか。
腕を掴まれたは特に驚いた様子も見せずに楽しそうに頷いた。少なからず、にも同じような探究心があるのだろう。
俺たちが輪に加わりお婆さんの周りへ囲うように座ると、お婆さんは紙芝居を使うわけでもなく、これは実際に私が聞いた話、と語り始めた。


糸は結ばれない