「それからその女の子を見た人は、誰一人いなかったと……」
「…………」
「その代わりに、女の子に誘われた子供が見つかった。見るも無惨な亡骸となってな」
「ひぃい……!!」
お婆さんの怪談が話終わる頃には、すでに辺りは真っ暗だった。
お婆さんの隣でゆらゆらと揺れている蝋燭の灯りがお婆さんの顔を下から照らし、声色と共に表情で子供たちを脅かせていた。
真剣に聞いていた子供たちはそのお婆さんに身を震わせ、俺の隣に座って聞いていた子は俺の腕を両手で掴んでいる。
お婆さんはその反応を見て薄っすら笑みを浮かべながら立ち上がった。
「知らない人についていくんじゃないよ。ほら今日は帰んな」
「はあーい」
もう締めだとお婆さんは手を叩き、子供たちを解散させた。
女の子に掴まれていた逆の手はが掴んでいたが、はお婆さんの怪談話に怖がっている様子はなかった。話の途中、横目でのことを見ていたが、ずっとはお婆さんの話を興味津々として食い入るように聞いていた。怪談話が好きだったのか、聞いたこともない話に興味本位で耳を傾けていたのかはわからない。
散り散りになる子供たちと同じようには立ち上がり、帰ろう、と俺に笑みを浮かばせた。
「怖くなかったのか?」
お婆さんが話していたのは、とある町で誰も見たことのない女の子が町で暮らす子供と仲良くなり、山奥に誘い出すと町の子供だけが忽然と姿を消し、数日後に死体となって見つかるという話だった。
子供だからといえ、安心して近づいて知らないところに行かないように、という警告も踏まえた上での怪談話のように感じ取れたが、かなり背筋の凍る話だったとも思う。
屋敷までの帰り道、に尋ねると首を縦に振った。
「炭治郎が隣にいたから」
ふわりとこちらを見上げて笑うに、胸の内が一瞬熱くなった。
俺が隣にいたことは関係なさそうに興味ありげにしていたが、本当にそうなのだろうか。
は目を細めながら嬉しそうに頬を緩ませて歩く。
「私、『お姉ちゃん』だって。炭治郎も『お兄ちゃん』って呼ばれてたでしょ。猫だったらそんなことなかったよね、嬉しいな」
いつもこうして、ころころと話を変える。突然になんの脈絡もなく好きだと俺に告げたり、子供のように嬉しかったことを俺に笑顔で話す。
が人間になりたいと願っていたのは、本当に、俺と同じになりたかったのだと、隣に並びたかったのだと星空を見上げながら話すを見てそう気付いた。
「なら、『お姉さん』らしくしないとな」
「らしく?しのぶみたいに?」
「うーん、そうだな……、しのぶさんみたいに落ち着いた女性は『お姉さん』って感じがするな」
「炭治郎はそういう人の方が好き?」
あまり、頭の中で考えた発言ではなかったのだが。は俺の手を軽く握って首を少しだけ傾けた。やることなすこと、全てお婆さんの回りで怪談を聞いていた子供のようなのに、いつも俺を見る瞳は子供ではない。
視線を逸らし、返答を迷っているとは俺の後ろへ顔を覗かせた。
「お花畑!」
大人びた表情を見せたかと思えば、こうして俺の手を引っ張り目の前で見つけたものへと楽しそうに駆けて行く。
答えずに済んだことに心苦しくも安堵しながら、手を離して花畑に飛び込むを見据えていた。
「いい香り」
月明かりの下で開けた場所に花が生い茂っている。そういえば、猫のに花を見せた時、匂いを嗅いでとても気になっているような素振りをしていたことを思い出した。
花畑の真ん中で、すぅ、と空気を吸い込んでいる。
穏やかに吹いた風に、花もの髪もふわふわと揺れていた。
その場で屈んだの姿は花畑に埋もれ視界から消え、歩み寄ろうとしたがカリカリと背負った箱の中から音がした。
今は太陽は出ていないから、と同じく自由にできる。禰豆子を箱から出すために一度がいた場所から視線を背け、箱を下ろした時だった。
「鬼ィ!!」
花畑の奥から獲物を狙うような荒々しい声が聞こえ、振り返ると刀を片手に今にもがいる場所へ一太刀入れようとしている隊士だった。
今更庇えない、間に合わない。一心不乱にの名前を大声で叫べば、一度に斬りかかろうとした隊士が俺を視界に入れたことで隙ができたのだろう。
振り被った刀はには当たらなかったらしい。姿は見えないが花畑の一部が人の動きに合わせて揺れていることでがかわしたのだとわかった。
「刀を抜け!鬼だ!」
「違う!!」
禰豆子のことはもうほとんどの隊士へ知られているようだが、のことは蝶屋敷に来た隊士しか認識していない。
、というのが今斬りかかろうとした子のことだともおそらくわかっていない。俺の声を無視して隊士の一人は再びへ斬りかかった。
「っ、!」
「なっ……にして、」
の頸目掛けて刀を振るうそれから庇うように、花畑からを抱え上げ距離をとった。横に降ろしたは俺を見て目を見張っている。針を目にした時のように呼吸が荒い。
「鬼、じゃないのか……?」
「血鬼術なんです。血鬼術がかけられているだけで害はありません」
最初は、俺ものことは鬼だと一瞬だが捉えた。だから、鬼の気配がするに刀を向けたこの人がしたことは間違っていない。
固まっているを俺の後ろへ腕を引き手を握ると、かなり震えているのが伝わる。
訴えるように告げた俺に、その人はそうか、と呟いた。
「炭治郎が害はないって言うなら信じるよ」
「……ありがとうございます」
暗がりですぐに判断がつかなかったが、蝶屋敷で顔を合わせたことがある隊士だった。漸くその人は刀を鞘にしまい、俺も全身に入っていた力が抜けた。
この辺りで鬼が出たら烏に伝えて教えてくれ、とその場から花を散らして去っていった。
には詳しいことは話していなかったが、今の会話でわかってしまっただろうか。後ろへ振り向くと、は口を噤んで瞳を揺らしていた。怖かっただろうか。当然だ、命が危険に晒されたんだ。そう考えればむしろ、落ち着いている方である。
「どうして守ってくれたの」
小刻みに震えている身体を抱きしめようと、腕を伸ばしたところだった。は俺の腕を掴み、小さく呟く。の言葉に対し理解が追い付かなかった。
「炭治郎、怪我してる」
「ああ、これは大丈夫、」
「私が何か悪いことしちゃったのに、どうして炭治郎が怪我するの」
を庇った時に刀の先が俺の頬を掠めた。ひりついた痛みはしたが気にしていなかった。それどころでもなかった。暗かったから血が出ていたことにもその人は気付かなかったのだろう。
目と鼻の先で涙を零しながらは俺の頬に傷を避けるようにそっと触れた。
「ごめんね」
「、」
「私何か悪いことしちゃったんだよね。だから斬られそうになっちゃったんだよね」
「違うよ、どうしてそんなことを」
「だって悪いことをしたら痛めつけられるから。それで捨てられちゃうから」
頬に伝う涙はそのままに、は感極まった様子で俺に話し続ける。その瞳は、捨てられた子猫のように俺の瞳には映った。
は俺から手を離し、着ている着物を握り締めて俯いた。
「私、すぐ治るから。もう今は助けてくれなくても大丈夫だから」
「……」
「だから私のこと、捨てないで」
日輪刀で斬られたら、そうも言わないだろう。
この様子から、俺とあの人がしていた会話は頭に入ってはこなかったのだろうが、が俺を見て震えていた理由はわかった。
自分が襲われたことに対してではなく、を庇った俺が怪我をしたことに、だ。
自分のよく知らないうちに痛めつけられて、捨てられて。
「炭治郎は、すぐ治らないから……」
「は悪くないよ」
言葉が出なかった俺に、は控えめに顔を上げ、蚊の鳴くような声を零す。
一度彷徨わせた手をの背中へ回し抱き寄せた。悪いのは君じゃない。俺がこうして怪我をしているのも、元を辿れば君を人間にした鬼のせいなんだ。
「でも、」
「俺は本当に大丈夫だから。が痛い目に合わなくてよかった」
俺はこの先も、守らなくていいと言われたって守るだろう。すぐに治るとは言え、そんなことを理由に無闇矢鱈と傷付けたくはない。
顔を上げたの頭を包み込むように撫でた。
「捨てないし、自分のことは大事にしなきゃ駄目だ。女の子なんだから」
溢れ出る涙は留まることを知らないようだけど、俺はこの子の涙の止め方は知っている。頭を撫でていた手をそのまま頬へ滑らせた。
蕾から満開となって夜風に揺れているこの花のように、いつものように俺の隣で笑っていてほしい。
そんな願いを込めながら、そっと唇を落とした。