「恋人かい?」
懐から硬貨を出してお婆さんへ手渡そうとした時に放たれた一言だった。
日が落ちる前に、と鴉に急かされ向かった町ではまだまだ店も開いているような時間だった。早く到着したからには町でそれとなく、ここで平和に暮らしている人たちを脅かさないように配慮しつつ聞き込みをしていた。
その中でふと目にしたものに誘われるように足を運べば、反物の一部を使ったような髪留めが並べられていた。
「いえ」
リボン、というらしい。町で学生らしき女の子たちがよくつけているものだ。改めてそれをまじまじと見ながら、に似合いそうだな、なんて浮かんできてしまったのだ。
帰りをきっと待ってくれているその姿を想像して、勿論似合うだろうし、そして喜んでくれるだろうと一つ選んだのだ。
お婆さんに首を横に振りながら硬貨を手渡した。
「なら好きな子だね」
「え、」
「男が好きな女思いながら選ぶ顔ってのはわかりやすいんだよ」
「……」
空になった俺の手にお婆さんは俺が選んだリボンを手の平に置いた。
その髪飾りを眺めながら、自分でもわかっていない気持ちを掘り起こそうとしたが、日が沈みかけ影が伸びてきていることに気付き、お婆さんへお礼を言って懐にしまった。
早く帰って会いたい。そして笑っていてほしい。それだけは確かな気持ちであると胸に留め、空を見上げ鴉の行く手を追った。
「炭治郎おかえり!」
帰った時に、が無事に今のままの姿で俺を待っていてくれるかなんて保証はどこにもなかった。知らない内にを人間にした鬼が頸を斬られているかもしれないし、日の光に焼かれているかもしれなかった。
太陽が昇り始める前に屋敷に戻ると、寝ていなかったのか起きてすぐだったのか、戸を開ける音に気付いたが満面の笑みを浮かべながら飛び込んできたことにひどく安堵した。
「ただいま」
「どこか怪我してない?」
「してないよ」
トタトタと廊下を駆けてきて懐に擦り寄ってきたは俺の頬を撫でるように触れる。前にを庇った時に傷がついた場所だ。
大きな怪我はないし、藤の家で休ませてもらってから戻ってきたから特段身体に痛みが走ることもない。心配そうな表情を向けるの頭を撫でるけど、眉は下がったまま。
「私聞いたんだよ、しのぶから」
「何を?」
「炭治郎は人を襲う鬼と戦ってるんだって」
胸の奥で嫌な音が鳴った。
どこまで、聞いたのだろうか。それを聞いてはどう思ったのだろうか、いつかは猫に戻り記憶をなくしてしまうと知ったらはきっと、素直な子なんだ、わかりやすく表情を曇らせるだろう。
不安げに瞳を揺らすの手は俺の頬から離れない。
「帰ってきてくれてよかった」
怪我をして帰ってくることは知っていても、詳しいことは今まで理解していないはずだった。
ただ、頬から手を放し俺に腕を回して首元に顔を埋めるの様子からおそらく、自分が血鬼術にかけられて人間になったことまでは知らないように見て取れた。
しのぶさんも、俺がに伝えてないことに自分の口から話すことではないと判断してくれたのだろう。
すう、と大きく息を吸って身体に回した手が強まった後、はそっと顔を上げる。
「私も何かできることないかなって考えたの」
「一緒には連れていけないぞ?」
「わかってるよ。太陽の下に出れないし……。でもね、炭治郎喜ぶと思って、採りにいったの!」
「何を?」
「たらの芽」
目尻を下げて柔らかく笑みを浮かべるに、胸の奥がどくりと跳ねて熱が込み上げてくる感覚がした。
猫が人間になったという事実と子供のような言動に忘れがちになるが、この子は多分、誰が見ても人目を引くような顔立ちをしていると思う。思わずその艶やかな表情に見入ってしまっていると、廊下の奥から声が上がった。
「!どこへ行ってたの」
後ろから名前を呼ぶ声には俺から手を放し振り返る。
目を見張り心配そうな表情をに向けながら声をかけたアオイさんが歩み寄る。俺の姿も目にしおかえりなさい、と小さく告げた。
「たらの芽採ってきたの。さっき厨房に置いておいたよ!見た?」
「え、ああ、あれはが……」
不安げにしているアオイさんとは裏腹にあっけらかんとしたに面を食らっているようだった。
その様子と、が今しがた『さっき』と発していたことに俺の中でも薄々と何があったのかが浮かび上がってくる。
「朝ご飯にしてね」
「」
どこへ行っていたのか今尋ねたということは、今の今まではこの屋敷にはいなかったということだ。もう朝日はすぐ登ってきそうだというのに。
呟いた声にはすぐに振り向く。
「帰ってきたのは、ついさっきなのか?」
戸は閉めているから太陽の光は入ってこない。それでも、もう日が昇っていることは廊下の窓から差し込む日差しでわかっていた。
の手首を掴むとは一瞬肩を震わせ、困惑した表情を浮かべる。
「もう太陽登ってるんだぞ?」
「炭治郎、」
「君は太陽に当たれないんだから、もっと気を付けないと駄目だろう」
「でも」
「でもじゃない。開けた場所で太陽が上がってたら、取り返しのつかないことに、」
「た、炭治郎さん!」
怒鳴ったりはしないものの、捲し立てるようにへ詰め寄った。
俺がこうして帰ってきたのに、危うく、一歩間違えればはここにいなかったのかもしれないのだ。そう思ったら、つい刺々しく言葉を浴びせてしまった。
アオイさんに止められ一度我に返る。はうっすらと口を開けたまま瞳を揺らしていた。
無意識に手首を掴む手に力が入っていたのに気付き手を放す。
「……ごめんなさい」
瞳の奥に怯えた色を見せ、俯いては呟いた。
違うんだ、怖がらせたかったわけじゃない。むしろ、背筋が凍ってしまいそうなほどの怖さを覚えたのは俺の方なのだ。
の髪に触れるとぴくりと肩を揺らす。
「俺も怖がらせて、ごめんな」
髪に指を絡め、梳くように流した。折角、俺の好きなものを採ってきてくれたのに、まだ俺は何もこの子へ言っていない。
少しだけ屈んで目線を合わせるとは長い睫毛を揺らす。
「ありがとう」
当たり散らしてしまった分、精一杯思いを込めたつもりだった。きっとは笑ってくれるだろうと思っていた。けれどもその予想に反しては再び俯き、俺の羽織を摘んだ。
「……どんどん好きになる」
「……」
「炭治郎は、どうしたら私のこと好きになってくれるの」
ほんの少し顔を上げ、頬を染め上げたと瞳が交わる。
俺の前から、いなくなってほしくないと、心の奥底からそう感じている。それは、この子のことが好きだからなのだろうか。ただ、俺にとって大事な子であることに変わりはない。
「、炭治郎さん任務から帰ってきたばかりだから」
「、ごめんなさい」
「朝ご飯作るの手伝ってくれる?」
出かかった答えが言葉になる前に、アオイさんが柔らかく俺との間に入るように声をかける。
は摘んでいた俺の羽織をそっと手放して謝った。アオイさんに頷いてから俺に後でね、と一言告げて厨房へと足を運んだ。ふわふわと揺れている髪の毛を見て思い出す。
懐にしまったままの髪飾りを渡しそびれたことを。