いざ渡そうとすると、なぜか言葉が喉奥で留まり、代わりに他の話題を口にしていた。
の喜ぶ顔が見たいと選んだもののはずが、本当にこれでいいのか、何と言って渡せばいいのか、そもそも元は猫なのだから髪留めなんて用途すらわからないのでは。そんな思考があとひとつのところで止まらせていた。
屋敷の屋根の上で夜風にあたりながら町で買ったリボンを手にする。
日中からずっと渡せずにいることに小さく息を吐いた。
「なに持ってるの?」
「!」
任務帰りの日で身体を休めるためにと稽古はしていなかった。夕食を食べ終えた後、湯浴みをしてくるから、とを部屋に置いたままだった。
戻ったときはきっと寝ているだろうから今日は渡せそうにない。時間が経てばたつほどにどんどん渡し辛い状況に自分を追いやってしまっていることは理解していたが、そんな折にその本人から声をかけられた。
前を向けばはいくらか慣れたように瓦に手と膝をついて登ってくる。
「まだ寝てなかったのか」
危ないからと前と同じく手を差し出せば、は俺の手を掴む。ぐ、と引き寄せたは腕の中にすっぽりと収まり『さっぱりした匂い』、と舌ったらずに呟いた。
ぐりぐりと額を擦り付けた後、は俺に瞳を合わせて口を尖らせた。
「待ってたんだよ。炭治郎、ずっといなかったから寂しくて」
いなかったのはほんの数日なのだが、まるで長い年月も会うことができなかったような口ぶりだった。
こうして明らかな好意を向けられているのに、どうしてか俺はの背中に回した片手に持つものを渡せない。普通に渡せばいいだけのことなのに、これを選んだ時に言われたお婆さんの言葉が頭にちらつき、その“普通”がわからなくなっていた。
「炭治郎?」
「あ、うん、ごめん。少し風にあたりたくて」
「私も一緒にいる」
「冷えるぞ」
「大丈夫だよ。あ、そうだ!これは?なに?」
極寒の真冬というわけでもないが、夜風が吹くと少しだけ肌寒い。風邪は引かないらしいが俺が気にしてしまう。
女の子は身体を冷やしてはいけないと羽織を貸そうとすれば、は思い出したように俺から離れ隣に座り手元に目をやった。
不測の事態であったがからこれを見つけてくれたおかげで、少なからず贈りやすくなった気持ちでいた。
「かわいいね!髪につけるやつ?」
「うん、そうだよ」
リボンをまじまじと見つめは尋ねた。しのぶさんたちが髪飾りをつけているから、それは理解しているようだった。そしてこの子は今、このリボンへかわいいと感想を述べた。
変に意識してしまっていたが、その言葉だけで安堵しへ手渡そうとした。
「禰豆子に?」
「、」
「喜ぶね!」
中途半端に差し出したまま、その笑顔に固まった。
俺が想像していたは、例えば誰かに贈り物かは聞いたとしても、その誰かは自分かと期待に瞳を爛々とさせていた。
つまりは、いらないのだろうか。
町で反物や化粧道具の前で嬉々としている女の子たちとは違い、はそういうお洒落が好きというわけでもないのだ。
自分の顔が焦げてしまった時だって気にしなかったのだから、考えれば辿り着いた答えだったかもしれない。
一度頬を綻ばせるから視線を落とし手元のリボンを見据える。
「…………」
「?、」
それから再びに目を向け、何も言わないまま腕を掴みこちらへ引き寄せた。
体勢を崩したの両手が俺の胸板に触れる。見上げたの髪へそっと指を絡め、手にしていたリボンを留めた。
やっぱり、悩みながら選んだ甲斐があった。よく似合っている、と、思う。
は目をぱちくりとさせながら、おそらく俺の瞳に映る自身の髪を見て顔色を明るくさせた。
「わあ、かわいい!」
リボンをつけているその姿も、素直に喜んで可愛らしい笑顔を見せる表情も、全て俺がほしかったものだった。
へ贈ると決めたのだ。今更、渡さないなんて選択肢は俺の中には存在していなかった。
悩んでいたことが馬鹿らしくなってしまうほど、は俺の瞳を見てリボンに手を当てながら口元を緩めていた。
「似合ってるよ」
「うん!禰豆子にも似合うと思うよ」
わざとらしくでもなんでもなく、心からそう思っているような声色では俺が留めたリボンをするっと解いた。
穏やかな温もりに包まれていた胸の中が突然に冷えてくる。
喜んでいたのに、なぜ取ったのか。そしてなぜ、返すね、と俺に差し出すのか。
「……いらないのか?」
「?」
「に貰ってほしくて選んだんだ」
先程まであたっていた夜風がやけに冷たく感じる。
はくりっとした大きい瞳をぱちぱちとさせて睫毛を揺らした。
それから、蚊の鳴くような声で呟いた。
「私にくれるの?」
「……うん、そうだよ」
「……名前もくれて、これもくれるの?」
貰いたくないわけではない。無意識に、誰かに何かを贈って貰えるような自分ではないと思っていたのだろうか。
消え入りそうな声と信じられないとばかりに向けられる眼差しに、もう一度俺はの手元からリボンを掴みふわふわとしている髪の毛へ留めた。
月明かりに頬を上気させたが映え、高揚した気持ちを抑えきれないとばかりに俺の懐へ飛び込んだ。
「一生大事にする」
一生、と、その言葉に仄かに罪悪感が募ってしまうものの、それよりも今こうしてが心から嬉しそうにしていることに俺も胸を熱くさせていた。
顔を上げて俺の頬へ自分の頬を擦り付ける。くすぐったさにもどかしさを感じているとは俺と瞳を合わせた。目と鼻の先で微笑むに思わず生唾を呑み込んだ。
そのまま顔を傾けながら近付き、唇が触れそうになるのを制止せずにいたが、間際でぴたりとそれは止まった。漏れる息が微かに顔にあたり胸の内がじりじりとする。
「ダメなんだった」
「……、」
「でも、あのね、あの、くっつくのはいい?」
もうすぐそこであったのに、は一度俺から離れ、眉を下げながら俺の手をとった。
自分の中で導き出した答えの通りには俺に触れてくる。俺が困ることはしたくないと、そう話していたけどにとって今しようとしていたことは、俺が困ると認識しているらしい。困る、というよりは、もっと違う、混濁とした感情を煩っていた。
「うん、いいよ」
ただそれはからしてみれば"困る"意外に当てはまるものはなかった。
遠慮を覚えてしまったらしく、そんなものいらないと思う俺も、に徐々に徐々に染められていることを示している。
任務に出る前、が尋ねていたことに改めて首を縦に振れば、わかりやすく表情を明るくさせてから俺の背中に腕を回した。
「」
「うん?」
「今度、どこか一緒に行こうか」
もっと喜ばせたい。柔らかくてこちらまで温かくなるような笑顔が沢山見たいと、そんな思いが押し寄せてきた。
「は何がしたい?」
頷かないことはないだろうと返事を聞かずに問えば、は俺を見てから考えるように視線をずらす。
それから思いついたように、楽しそうに声を上げた。
「青空の下でね、ご飯食べてるのいいなって見てたんだ!炭治郎とそうしたい」
無垢に願いを思い描くに心臓が軋む。
太陽が好きだけど、辛くないと話していた。今までずっと、そういう素振りも見せていた。
「……あ、ごめんなさい。怒らないで、」
でもこの子は、本当は昼間に外へ出たりご飯を食べたり、普通の女の子らしく、人間らしくありたいと思っているはずなんだ。
難しい表情をしてしまった俺には自分の言葉に気付き、瞳を揺らした。
俺にはどうすることもできない歯痒さに胸が痛くなる。
「炭治郎と一緒にいれたら、なんでもいいの」
そんな俺に、まるで心配しないでと伝えるかのように艶やかに微笑んだの髪が揺れた。