熱が頭の中にじんじんと籠って朦朧とする。ただ、こうして身体中が熱いときの方が日の呼吸の精度も上がり、誰にも気付かれなければこのまま鍛錬を続けていたかった。
「またですか!もうしのぶ様に言いますからね!」
「ごめん、もうちょっとだけ黙っててくれないか……」
意識がぼんやりとして、稽古中に倒れたのか気付けば俺は病室だった。
まだきよちゃんはしのぶさんには俺が高熱で倒れたと知らせてはいないらしく、俺の許可を得てからそうしようとしたことに感謝した。
涙を流しながら首を横にぶんぶんと振るきよちゃんには罪悪感が募るが、少し休めば平気だからこのまま稽古を続行したい。
「駄目です~!!」
「きよちゃん、」
「どうしたの?大丈夫?」
病室の扉からひょこっとが顔だけ出した。俺ときよちゃんを見て大きな瞳で瞬きを繰り返しながらトタトタと俺が横になっている寝台まで歩み寄る。
弱っているところなんて見せたくはないと変に意識してしまい、身体を起こして心配そうに首を傾げるに作り笑いを浮かべた。
「大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないです!」
安心させるようにへかけた声はすぐさまきよちゃんに否定される。
心配はかけたくない。それは、だけでなくみんなにも同じだ。俺が勝手に熱があるまま鍛錬をしたいだけだから、俺のことは気にしなくてもいいという振る舞いを見せなくてはいけない。
けど、きよちゃんの様子には俺を見据えて、そっと額に手を伸ばした。
冷んやりとした手の平が覆うように触れてほんの少し籠った熱が冷めるような気がした。
「おでこ熱いよ?」
「……うん。でも大丈夫だから」
「でも辛そう。汗すごいよ」
「いいんだ、このままで」
額に触れるの手をとって離した。このままだと、熱のせいかずっと触れられていたいと変な気を起こしそうだった。
俺が放した手をはぎゅっと胸の前で握り締める。きよちゃんのようにわかりやすく俺を心配する、というよりは、言葉とは裏腹に熱も汗も尋常ではない俺の様子の相違に不思議そうに俺を見据えていた。
「少しだけ冷ましましょう!アオイさんに解熱剤を調合してもらいます!」
「でも薬草が減ったらしのぶさんにバレるだろう?だから大丈夫」
「大丈夫大丈夫って、もうバレていいです!!」
うわあん、と寝台に顔を沈めて涙を流すきよちゃんの頭を撫でた。いつもこうして三人には黙ってもらっているけど、その度に心配をかけてしまう。もっと上手く俺が誤魔化せればいいだけの話なのだが、中々それもできずにもどかしさが増すばかりだった。
「ごめんな。お願いだから内緒にしていてくれないか?」
「炭治郎さん……」
「も。俺たちだけの秘密。な?」
に見つかってしまえば、三人よりも騒いでしまうだろうか。がこの病室に顔を出した時、咄嗟に頭に浮かんだことは起きなかった。
言い方もずるかっただろうか、は俺の言葉にすんなりと頷いた。
あまり心配をされなかったことに、ほんの僅かな寂しさを感じてしまっているのはおかしな話だ。少し休んだ後、その考えを払拭するように竹刀を手に取った。熱が出ているときの方が調子がいいはずが、今日は上手くいっていない感触だった。
今度は自分が倒れてしまう前に限界だと感じた時点で身体を動かすのをやめた。いつも以上に汗ばむ身体を拭ってから、自室に戻り横になる。開けたままの窓から冷たい風が吹いて気持ちいい。窓の外へ顔を向けると、日は沈んで薄暗かった。
そろそろ夕食の時間になるけど、予めきよちゃんへいらないと言っておいて正解だった。横になってから、もう動くことができなそうだ。
病室で一度休んで鍛錬を再開したきり、は俺に姿を見せていないが、いつものようにアオイさんたちの手伝いをしているだろうか。頭の中に薄っすらとその後ろ姿を思い浮かべたところで意識はふつりと途切れた。
どれくらい経ったのか、体感では随分と寝てしまっていたような気がするけど下の階から夕食はもう終わったのかガチャガチャと皿洗いをしながら水を流す音が聞こえてくるから数時間、といったところだろうか。もアオイさんの隣でそれを手伝っているのだろう。
枕元にはきよちゃんたちが用意してくれたのだろうか、お盆におにぎりとお茶がのせられていた。
そろそろ俺の部屋にも戻ってくる頃だろうか、だったら心配させない為に、食欲も全くないのだが、取り繕わなければならない。
「いないねえ……」
上体を起こすと、薬も何も飲んでいないから当たり前ではあるが頭痛に顔を歪ませた。
寝れば明日には回復しているとは言い難い。上手く、が戻ってきたら『もう大丈夫』と笑えるだろうかと悩ませていたところに聞こえたのはきよちゃんたちの声だった。
「ちゃん、どこ行っちゃったのかな」
「炭治郎さんのお部屋には?」
「炭治郎さんしかいなかったよ」
がいない。その言葉に寒気とは言い難いそれよりも冷たいものに全身が凍えたような感覚に陥った。
用意してくれた食事に手をつけるのも忘れ、布団から起き上がりふらついた足取りで廊下の光が溢れる襖を開いた。
「あ、炭治郎さん!」
「がいないって本当?」
「え、あ、はい、夕方になるまでは一緒に洗濯物畳んだりしてたんですけど……、あ、駄目ですよ炭治郎さん休んでいなくちゃ!」
部屋から飛び出した俺にきよちゃんが気付き俺も元へ駆け寄った。回復なんて全くしていないことは荒い息遣いに気付いていると思う。
探しに行こうとする俺を止めようとするがそれを聞かず階段を降りて屋敷の扉を開き飛び出した。がどこに行ったのかなんてわかりもしないのに、冷静にはいられなかった。
元々熱も下がっていない、それに足してがいなくなったという焦りからか、頭の中は混濁として視界もぼやけてきた。屋敷を出たはいいものの一歩が重い。探しに行きたいのに、また意識が途切れそうだった。
「大丈夫?」
目の前がぐらつき、辛うじて意識はあるものの冷たい地面へ倒れ込んでしまいそうになった時、探していた子の声が聞こえた同時に身体が支えられた。
支えられた、というよりは倒れそうに前のめりになった俺がその子へもたれ掛かっている状態であるが、聞きたかった声と求めていた匂いに安堵してそのまま身体を預けてしまった。
「お、おもい……」
当然、が俺をこのまま支え続けられるわけもなく、その場へ座り込んで正座するの肩口に頭を預けた。
の匂いの他に、鼻の奥がツンと刺激されるような匂いもする。覚えている。これは、と採りに行った薬草だ。
昼間、きよちゃんとのやり取りを見ていたがすんなりと頷いたのは、これを採りに行くと決めたからなのだと腑に落ちた。
「炭治郎?」
失いかけている意識の中で、の身体に腕を回してきつく抱き締めた。俺の腕の中にはしっかりと存在していることを確かめるように、苦しそうな声を出しても放せなかった。
「そばにいてくれ」
最初にかける言葉の正解はきっとこれではない。でも、一番伝えたいことだった。
薄れ行く意識のまま、口にしたことを自分の耳にも聞いて、座っていることすらできなくなった俺は多分、そのままを押し倒すように巻き込みながらその場に倒れ込んだ。
炭治郎さん、と焦った様子で俺を呼ぶ声も遠くで聞こえた気がした。
後から聞けば、俺は全く覚えていないのだがが採ってきてくれた薬草をアオイさんが調合してくれて、それを飲んでから病室で横になったらしい。お陰様でふと目が覚めた今、前よりは随分と頭の中がすっきりとしていた。
俺が寝ている寝台には椅子に座り頭を預けて寝ていた。片手は俺と繋いだままだった。がずっと握ってくれていたのか、俺が放さなかったのかはわからない。
そばにいてくれ、と、その言葉通りにずっとそばにいてくれたのだろうか。ふわふわの髪の毛へ撫でるように触れると肩がピクリと動いた。
「……炭治郎、」
「ごめんな、心配かけて」
むくりと顔を上げ、身体を起こしたと目が合った。
「大丈夫になった?」
「うん。大分良くなったよ、ありがとう」
「……うん!もう治った?」
「ほとんど」
俺が起きたことに目を丸々とさせ楽しげな表情を見せる。
まだ全快ではないことを正直に伝えると、寝台に手をつき身を乗り出した。
「そうしたら、お日様に当たるともっと元気になるよ」
「……」
「すごいんだよ、お日様ってあったかくて」
が猫だった時、確かにこの子はよく日の下で寝転がっていた記憶が蘇る。
いないと思ったら縁側で丸くなっていたりした。思えば思うほど、この子は太陽が好きなのだろう。
「窓開ける?」
がいるから、病室の窓は閉じていて暗く、今が何時なのかはわからなかったが、どうやらもう朝のようだった。
つまり、窓を開けたらの手を放さなければならないことになるのだが、はそれをわかって言っているのだろうか。
「開けない」
「開けないの?」
「うん」
頷いた俺に、は純粋に疑問を持ったのだろう。
「じゃあ、どうしたら元気になる?」
「……」
「炭治郎はどうしたら幸せになれる?私、もっと炭治郎に笑ってほしいの」
考えたことがなかった。どうしたら幸せになれるのか、なんて。家族みんなといた時は、毎日が幸せだと思っていた。でももう、その幸せは取り戻すことはできない。
取り戻すことはできないけど、新しい幸せを考えるのであれば、それは禰豆子を人間に戻して、それから、
「みんなと暮らしたい。悪い鬼がいなくなったら」
善逸や伊之助、それにとも一緒に暮らしたい。
未来の幸せを俺に聞いたわけではないだろうに、俺の答えには目をぱちぱちとさせた後、俺と繋いだままの手を両手で握った。
「お星様に願えば、大丈夫だよ!なんだってできるようになるよ!」
「、」
「私だって人間になれたんだから」
ね?と頬を綻ばせるに、俺はただ苦しかった。熱に魘されていた時よりもずっと、薬でもどうにもならない現実に息が詰まる。
君のそれは、願ってできたものではない。
「炭治郎が幸せになれるように私もお願いするね」
「……うん」
「じゃあ、私行くね。早く良くなってね」
ずっとここにいてくれるのかと勝手に決めつけていたから思わず面を食らった。さらりと俺の手を解き背を向けたの手を咄嗟に掴んで引き止める。
一応俺はまだ病人の身であるから、の判断は間違ってはいない。
俺に振り返ったから決まり悪く視線を逸らした。
「は風邪、引かないんだろう」
「……?うん!」
「なら、隣で横になってくれないか」
口を窄めながら、弱々しく呟いた。
みっともないことをしている自覚はある。だからはっきりと、目を見て真っ直ぐ伝えることができずにいた。
「狭くなっちゃうよ?邪魔じゃない?」
「邪魔じゃない」
降ってきた言葉に頷くと、俺の要望通りには寝台へ上がり、いそいそと隣へと入ってきた。
どこかへ行ってしまうことに不安でいたことに気付いた。その気持ちが心の中から払拭され、を抱きしめながら、俺はもう一度眠りに落ちた。