恋と願いはよくせよ

そばにいればいるほど、避けることのできない来るべき未来に思い澱む。歯痒さに胸が軋む。
わかっていることなのに、無邪気に笑うに本当のことなんて話せずに、ただの思いと時が流れることに身を任せていることしかできずにいた。
俺がどうしたいのかは、わからない。でも、薄々自分の気持ちには気付き始めている。

「あ、炭治郎!」

熱ものお陰ですっかり良くなって、いつも通りの一日を過ごしていた。熱がないとやはり日の呼吸の精度は下がってしまうのだが、何日も連続して熱を出していたら身体が持たない。
病室でと寝ているのをしのぶさんに発見されて、結局のところバレてしまって『自分の限界を無視して身体を酷使することはいただけません』と忠告されてしまったというのもあるが。
夕食の後、風呂から上がり屋敷の廊下を歩いていると丁度厨房から出てきたと出くわした。
俺の姿を見たは足取り軽くこちらまで駆けてきてふわっと飛び込んでくる。

「……
「うん?」
「…………」
「炭治郎?」
「あ、いや……。手伝ってくれてありがとうな」

気付き始めている言葉を声に出そうとしても、喉の奥で留まってしまう。声に出したら、それが本物になってしまって、待ち受けていることに耐えられなくなってしまいそうだった。
我に返り、俺を見上げるの頭を撫でた。これでさえも、いつかは俺の前から。

「今日ね、アオイに魚捌くの教えてもらったの」

一緒に部屋に戻り、布団を敷きながらは楽しそうに話した。俺といる時以外でも、は屋敷のことを手伝う中で楽しみを見つけているようだった。
寝る前に今日はこんなことがあった、との口から聞くのも俺にとっては日課になっていた。蝶屋敷のみんなに溶け込んでいることに安心している反面、それと同じくらいに現実に目を背けた感情も胸の中に蓄積されていく。

「私どんどん料理できるようになってきてるんだよ。炭治郎知らないでしょ」
「うん、ごめん。知らなかった」
「今度ね、私が最初から最後まで一人で作った料理食べてね」

まだ一人じゃアオイみたいに凝った料理はできないけど、と小さく口を尖らせながら付け足した。いじけているような様子に自然と頬が緩んだ。
部屋の明かりを暗くしてから布団に入る。

「ねえ炭治郎」
「ん?」

横になった俺に、も隣で布団に入ったかと思えばまだ寝ていなかったらしく、が敷いた布団の上で正座をしているのが影でわかった。
俺も身体を起こしての方へ向く。暗がりではっきりとはわからないが、俺に手を伸ばし襟元を掴んだ。

「くっついて寝てもいい?」
「……」
「いいよね?」

俺が熱を出して半ば無理やり隣に寝かせたのは、俺の様子が可笑しかったからだと考えているのだろうか。
熱を出していたからそういう気になったのかと問われれば、絶対にそうだとは言い切れない。でも、その一言であの時の俺の言動を片付けられるのは釈然としない。

「炭治郎たちは、鴉に呼ばれたら出たっきり、帰ってこない人も沢山いるんでしょ」

部屋に流れる沈黙に、俺がの手を取ろうとする前にからポツリポツリと言葉が降りてきた。
また、誰かから聞いたのだろうか。でも、蝶屋敷で手伝いをしているのだからもうこういうことは知らないという方が不自然だ。

「炭治郎がいなくなったらって考えたら、怖くなった」

表情はわからないが、多分いつも俺に笑いかけてくれる笑顔とは程遠い顔をして俯いているのだろう。
怖いと話すに、もしかしたら俺も、今表情は見えないと同じ表情を普段見せているのかと頭に過ぎった。

「私も役に立ちたい」
「……薬草、採ってきてくれただろう?」
「うん。でも戦えないから。私も剣士になれる?」
「それは……、」

人間というわけでもないはなれないし、なってほしくはない。決して気持ちを蔑ろにしているわけではないが、一緒に戦うことだってしてほしくない。
すぐに治るから守らなくていい、とは前に話した。だから、もし一緒に任務に行って鬼と対峙すれば、は俺を助けるために自分が傷付くことを選ぶだろう。
は、傷付かなくていい。

「なれないんだ」
「、」
「炭治郎が迷う時って、大体私の言うことを否定するんだよ」

握り締めていた服を放し、は俺の方へ身を近寄せながら頬に触れた。
俺が思っているより、ばずっと色々と考えている子だと実感した。それは、この姿で俺と最初に会った時よりもずっと。
人間としてここで暮らしていることで、自身の中でも、例えば俺に遠慮をするようになるくらいには変わってしまったのだろう。

「いつか炭治郎がいなくなっちゃうことを考えたら、その、私、」
「……」
「困ることはしたくないって、思ってるんだけど……」

泳ぐ瞳が捉えられるくらいには、目が暗がりに慣れてきた。
綺麗で邪心なんて知らないような透き通った瞳に吸い込まれそうだった。間近に迫った瞳に釘付けになっていると、唇に柔らかい感触がしたことに気付く。

「やっぱり、嫌なの」

がこれをしなくなってそれほど経ったわけでもない。けど、懐かしいと思ってしまうのは俺がずっと望んでいたことだからなのだろうか。
そっと触れただけで一度離れたは眉を寄せて唇を噛み締めている。

「好きなの。炭治郎が好き。でも、嫌われたくないって思うのと、私がこうしたいって気持ちがね、ぐらぐらしてるの」

迷っていることも悩んでいることも、俺とは違っては全てを口にする。本当に、心の底から素直で、それはきっと人間になったからではなく、自身が元々こういう子なのだろう。
俺の前では膝立ちをして距離を詰める。ゆっくりと近付いてきて、ギリギリのところで止まるが何も言わない俺にそのまま唇を合わせた。
屋根の上で、俺がしたことの真似だろうか。唇に舌を這わせて薄く開いた俺の口の中へそれを入り込ませてくる。迷いながらなのか、遠慮がちであるからか、それが妙に擽ったくて、もどかしくて、求めるようにの頭に手を回して俺から舌を絡ませた。
してはいけないことをしている、そんな背徳感が胸を熱くさせた。

「ん、……ふ、」
「……、」

が、俺がいなくなってしまうと怖いと話しているのと、俺も同じなんだ。それなのに、俺はのように言葉にすることもできずに、の気持ちに中途半端に応えることしかできていない。
声も、反応も、俺しか知らない。でも、もっと知りたい。
水音を響かせながら口付けたまま、空いている方の手で腰に触れるとピクリと揺れる。その反応がもっと見たいと、そこからは本能だった。そのまま徐々に手を上へ上げて、いつも抱きつかれた時にあたる柔らかい胸に触れた。

「た、たんじ、んっ」

合間に名前を呼ばれたことで、きっと止めようとしたのだろうが加虐心を刺激されるだけだった。そんなものがあったことに自分でも驚きを隠せないが、そんなことよりも、今はこの子に触れていたいと思う気持ちばかりが先行していた。
口を塞ぐように重ねてが着ている着物の中へ手を忍ばせた。直接触れると全身に力が入ったのが伝わってくる。熱に浮かされて、もう自分では止められないと思った。

「たんじろ、」
「、!……ごめん」

だから、が俺の肩を強めに押し返したことで漸く我に返った。
から手を放し申し訳程度に距離を取ると、は一瞬困惑した表情を浮かべてから俺が離れた分距離を詰めてきた。

「あの、猫だった時はね、撫でてくれるの嬉しかったんだけど……」
「……うん、ごめん」
「そうじゃなくて。なんか、違うの。身体が熱くなるの」

触るなと、言われるのかと思った。実際、押し返されたことで俺は拒否されたのかと感じ取った。拒否も何も、そういう間柄ではない男女がすることではないのだが。

「もっと触って欲しい」

目を細めて、熱の籠った表情で俺を見上げるに生唾を呑みこんだ。
今、これ以上に触れると多分、本当に止まらなくなる。もきっと止めることはしないだろう。それで、いいのだろうか。否、いいわけはない。中途半端な気持ちのまま進めるなんて、がよくわかっていないとしても、に失礼だ。

「……これ以上は好き同士じゃないとダメ?」
「え、」
「じゃあ、炭治郎はどういう人が好きなの?」

言い淀む俺にはさっき自身で話していた通りに俺が否定すると考えたのか、俺に顔を寄せながら真剣な表情を向けた。
触れてしまいそうだけど、その気はないことは瞳から伝わってくる。居た堪れなさに視線を逸らした俺には私はね、と切り出した。

「炭治郎が好きだよ、炭治郎しか見えないの!」

もう、何度も言われていることなのに、耳にタコが出来るほどに聞いている言葉なのに、そんな俺に言い聞かせるようだった。
俺がどうしたいのかは、わからないままだった。どうしたいかに答えは出る気はしなかった。でも、自分の気持ちには気付き始めている。いや、気付いている。
俺も、怖いんだ。俺は、君を好きになるのが怖い。
真正面からその愛を受け止めて、俺もに恋をして、そうしていつかいなくなって、俺の気持ちだけ置いていかれてしまうことを恐れていた。


予防線