恋と願いはよくせよ

太陽が沈んですぐ、が行きたいと言った打ってつけの場所へ向かっていた。久しぶりに来たこの町の空気は穏やかだった。
乾いた風が吹き抜けて隣を歩くの髪が柔らかく靡く。

「疲れてないか?」
「炭治郎と一緒だから平気」

少し歩いたから、足取りが重くなっていないかは気にしていたけど、尋ねた俺には繋いだ手を強めながら答えた。
が『星を観に行きたい』と話した日、もしかしたら俺について来て、しのぶさんとの会話が聞かれていたのではないかと脳裏を過った。ただ、だとしたらは今俺の隣でこうして朗らかな笑顔を見せていないだろう。
きっと、戻りたくないと、どうすればいいのかと俺へ瞳を滲ませて現実から目を背けてしまうと恐れていた。どうするべきかとに聞かれたら、俺は心苦しくも何もしてやれることがない。泣き止ませ方だってわからないと思った。
けれどそんな素振りも見せず、偶々早く起きてしまったのか、思いついたように俺に笑顔を向けていたから、俺はそれに安堵していた。

と初めて会ったところ、覚えてるか?」

町に着く頃にはすっかり日は落ちてあたりは真っ暗だった。時折荷車が灯りを燈しながら通っている以外には町はしんと静まり返り、静寂に包まれていた。
今、ここからでも空を見上げれば星は沢山散りばめられているのだが、はあの星空を知っているだろうか。

「うん。大事な場所」

繋いだ手はそのまま、は俺の腕に身を寄せた。と会った時は朝方であったから満天の星を目視することはできなかったが、藤の家のお婆さんの言う通り、きっと環境からして綺麗に星が沢山見れる場所なのだと頭に浮かんでいた。
その丘へ向かう前に、一度藤の家へ立ち寄った。季節外れに藤の淑やかな香りが鼻を掠める。

「まあまあいらっしゃい。今日は妹ちゃんは?」
「いってらっしゃいって言われちゃいました」
「あらそう、で?またこの辺りで鬼が?物騒ねえ」

ごめんください、と敷居を跨ぎ声を出せば、屋敷の扉が重々しく開いて懐かしさを感じてしまうくらいには久しぶりだったお婆さんが顔を覗かせた。
小さくなった禰豆子を箱に入れていたのに最初は驚かれていたが、今日はその妹がいないことの方が気になられたようだった。
口に手を当て眉を下げながらも首を傾げる姿が若々しく見える。

「いえ、違うんです。ただ、今日もしよければ泊めていただきたくて」
「あら!炭治郎くん、そんなに私が恋しくて戻って来たのね。いいわ折角だから……、」
「あ、すみません、違います。俺にはこの子がいるので」

あの時同様、迫るお婆さんへ片手を上げて制すると、お婆さんは俺の隣でやり取りを見ているの方へ視線を流した。
頭から爪先まで、鋭い視線でを品定めするかのように目を上下させているが、は首を傾げたままだ。お婆さんは一度から視線を外し、小さく息を吐いた。

「はーん、いたのか」
「はい」
「なんだ、ウブな男がいいってのに、」
「婆ちゃん何してんだよまた迷惑かけてんじゃないだろうな!」
「うるっさいねえあんたは風呂掃除終わったのかい!」

始まってしまった、と屋敷の奥からズカズカとこちらまで駆けて来たお孫さんとの言い争いに苦笑した。
会話の中で風呂掃除が終わっていないことが判明し、風呂掃除も他のことも俺にやらせてくださいと頭を下げながら、図々しくも泊まらせて欲しいと改めてお願いすれば、そんなことはしなくても泊めると快く頷いてくれた。
後でまた戻って来ますと一言告げて、の手を引っ張った。

「炭治郎」
「ん?」
「『いたのか』って、どういうこと?私のことだよね?」

町を出て灯り一つない砂利道を歩く中での俺を呼ぶ声が虫の鳴き声に混じり聞こえて来た。
暗がりに慣れた視界の中では眉を顰めて不思議そうに俺を見据えていた。
お婆さんにそう聞かれて、間髪入れずに素直に頷いた。俺の中で、は紛れもなくそういう存在だったからだ。

「俺にとって、大事な人ってこと」

の無垢な瞳の中に映る自分は、今まで見た中で随分と穏やかな面持ちを浮かべていた気がする。
俺の言葉には徐々に顔色を明るくさせ、頭を俺の胸元にぐりぐりと擦り付けた。
星を観に行くのが少し遅れてしまいそうだったけど、俺もの髪を撫でて顔を寄せた。
神社の石段をゆっくりと登り、更に境内の奥の丘へと歩みを進める。前に来た時よりも随分と木の枝が伸びて邪魔になり、本当にこの場所を知っている人はまるでいないのだと思い知らされる。もう少し人が通っていたら道らしい道には多少なりともなっているはずだ。
に草木が引っかからないよう退かして進んでいると、やっと見えてきた草原に開放感が生まれる。

「わあ……」

ずっと俺の後ろにいたが暗がりの中に浮かぶ数多の星々に、数歩前に出て目を奪われているようだった。
が最初、この場所にいたのも人が来ないからだけでなく、きっとこうして星が綺麗に見える場所というのがお気に入りだったのだろう。
周りを見渡すと、が隠れるように小さく丸くなっていた古びた椅子が目に入る。
座ろうか、と星に負けじと瞳を輝かせているに声をかけ、随分と昔からあるであろう椅子に腰掛けた。傾いてはいるが、壊れたりはしなそうだ。
前は、俺といれたらどこでもいいと話していた。それは自分が太陽の下に出れないにも関わらず、太陽の下でご飯が食べたいと俺の前で口にしてしまったことへの代わりでもあるのだろう。

「流れ星、流れないかな」

暫く会話もせずに、月も出ていないお陰か余計に眩く夜空を煌めかせている星々を眺めていた。
そんな星空に魅了されたままでいると、不意にが静かに呟いた。

「今度はね、ちゃんとお願いするんだ」
「……何をだ?」
「太陽の下、歩けたらいいなって」

星空を観に行きたいと話していた理由は、単純に俺と出かけたいという理由だけではないことが今、胸に染み込んでいくように伝わった。
星に願って、人間になれたと思っているのだから、もう一度星に願ったて不思議ではない。でも、それだけではどうすることもできないやるせなさに唇を噛み締め、流れ星を待つの肩に手を回し引き寄せた。

「……炭治郎は優しいね」
「……優しくできてるかな、俺」
「優しいよ。だから私、炭治郎のこと好きになったんだなって思うの」

星を見上げていたが引き寄せた俺をその瞳に捉える。柔らかく微笑んでいるその表情に胸が熱くなる。
目尻を下げていた瞼をゆっくりと閉じる。こんなにも、普通の女の子のようなのに、本当の姿にいつか戻ってしまうなんて、信じられないし、信じたくもなかった。

「きっと、私の他にも沢山いるんだろうね。炭治郎のことを好きに思っている子」
「……どうして、そんなことを言うんだ」
「そう思っただけだよ」

の口から、他の誰かが、なんて聞いたことはなかった。これも心境の変化なのか、それらしく俺に誰か、他の人がいるかもしれない、なんて可愛らしく思ってくれているだけなのであればそれは俺にとっては胸が弾んでしまうようなことだけど、そんなわけではない気がした。
寂しさを感じさせてしまっているのだろうか。そもそも、俺はに直接何も伝えていないのだからそれも当然なのではないかと心付いた。

「あったかい。お日様の匂いがする」


星を眺めるのはやめて、引き寄せた俺の懐で瞳を閉じたまま気持ちよさそうに、今にも寝てしまいそうになっているの髪の毛へ手を絡ませた。

「好きだよ」

心地の良さか、眠りについてしまいそうだったの睫毛が揺れてぱちっと大きくて丸い瞳と視線が交わる。
この反応だとやっぱり、さっき大事な人だと伝えていたのは別の意味で捉えられていたのかと心の中で薄く笑った。
は俺の一言に瞬きをぱちぱちと繰り返している。

「どういう“好き”?私と同じ“好き”?」
「うん」
「……私に恋してくれてるの?」
「うん、そうだよ」

間違いでないと、自分にも言い聞かせるようにしっかりと頷いた俺には元々大きかった瞳を更に丸くさせ、口元に笑みを零した。

「ほら、願ったら叶ったよ」
「今願ってたのか?」
「うん。ちゃんとした人間になって、炭治郎が私のことを好きになってくれますようにって」

太陽の下を歩けないから、俺はの気持ちに応えられないのだと考えていたのだろうか。そんなことはない、と、断言は今更できない。半分は合っているようなものだ。いつか戻ってしまうから。戻ってしまわないのであれば、俺はもっと前からに素直に気持ちを伝えていただろう。自分のことしか考えていなかった。
もう悲しませたりさせたくないと、の手を取り指を絡ませた。が瞳を閉じたのが合図と受け取って、いつものように、けれどいつもよりも胸の温かさを感じながら優しく口付けた。
ふわりと重なった唇を離し、目と鼻の先で瞼を持ち上げると目が合う。一瞬強く風が吹いて、ずっとここへいると冷えてきそうな夜半に名残惜しいけれどそろそろ帰ろうかと立ち上がろうとした。

「……、」

風が吹いてからの俺の一寸の動きに気付いたのか、は控えめに俺の羽織を摘んだ。
口をギュッと噤んで視線を泳がせながら、何か声に出す前に絡めたままの俺の手を掴み直してから自身の胸へと触らせるように持っていった。寸でのところで手首に力を入れて止める俺には眉を下げた。

「もっと、触ってほしいの」
「…………」
「……したいの」

自分が口にしている意味は、わかっていないわけではないだろう。そういうことがしたいとも以前に話していた。
控えめに、けれども強請るように俺を見上げるに俺自身感じたことのない昂りが胸の内側から身体中に波打っている。

「……だめ?本当の人間じゃないから、気持ち悪、っ」

躊躇っていたのは、が今口にしようとしていたことではない。聞きたくないと、わからせるようにさっきした口付けよりも自分でもわかるほどに荒々しく重ねた。
抑えられないと思った。途中でがやっぱり、と言い出してもそんな自信はなかった。けど、こうも求められて、更にはあらぬ方向へ勘違いをしているに糸がぷつんと切れたような音がして、そのまま着物の中へ手を滑り込ませ柔らかいそれに馴染ませた。

「あ、ったんじろ、」
……、っ」

首筋に舌を這わせながら頭上から漏れる甘い声に背筋がぞくりとする。触りたい、反応が見たいという思いが先走り、帯の結びに手をかけた時、ガタッと椅子が音を鳴らして揺れた。
一度手を離して我に返るが、胸元がはだけているを前にして、このまま大人しくやめられるほどぼ理性はもう残ってはいないし、そもそも、この子自身も求めている。
ただ、欲望のままがっついてしまったとゆっくりと深呼吸をした後、羽織を脱いで草むらに敷いた。やめてしまうのだろうかと不安そうな表情に見えたの腰を支えながら両膝裏を抱えて椅子から降ろし、髪と着物が汚れないよう羽織の上へ緩く押し倒した。

「炭治郎……?」
「ごめん。俺も初めてだから上手くできるかわからないけど、優しくはする。絶対」
「……」
「でも、痛かったりしたら言ってほしい」
「……うん、大丈夫」

心配そうに俺の様子を見つめていたが頬を染めながら笑ったのを見て、俺も草むらの中に沈み込んだ。
眩い星空さえも忘れてしまうくらい、何度も名前を呼び合った。


一生分の恋幕