どれほど時間が経ったのかは定かではないけど、いつも眺めていた夜空の星の位置が朝日が昇るのはまだ先だと物語っている。
が太陽の下を歩けなくても、俺がのことを好きなことに変わりはない。自身のことも、今は解決法はわからないけど、でも、禰豆子は日の光を克服した。だから、きっとそうして今まで可能性が考えられなかったことが起こり得ると信じていたい。誰に可能性がゼロだと言われたところで、俺はこの子とずっと、このまま一緒にいたい。
「炭治郎」
願ったところで叶うはずもないことだけど、もしも願いを叶えてくれるのであれば。
夜空を眺めながら瞳を閉じた時、無造作にしていた左手が包み込まれる。
寒いからとそのまま羽織をの肩にかけていて、俺に身体を預けて寄りかかりながら眠りについていたの声に瞼を持ち上げた。
夜風に柔らかい髪質が靡いて一本一本が星明かりに照らされている。
「身体、大丈夫か?」
止められる気なんて全くないに等しかったが、顔を歪ませていたを見て恐る恐るやめるかと問えば、大丈夫だと口にしてくれたから、そのまま進めてしまった。
汗ばんで顔を上気させながら名前を呼んでくれていたその時とは裏腹には柔らかい笑顔を浮かべる。
「大丈夫。ねえ炭治郎」
「ん?」
「もうね、もう困らせるようなことはしないから、安心してね」
目尻を下げながらは穏やかな口調で俺の肩口に頭を預けた。
それは、こういうことを、もう強請らないということなのだろうか。好きだと伝えているのに、それは俺が優しいからだと、そう思っているのだろうか。
包み込まれていた左手を一度離し、俺が上から包み込み返す。
「困ってないよ」
今までずっと困っていなかったかといえば、それは嘘になるが。最初に会った時はどうすればいいかもわからずから溢れ出る俺に対する愛を受け止められなかった。自分の気持ちが固まらずにずっとどこか彷徨っていて、それがどんどん大きくなって、彷徨うことさえできなくなるくらいにはっきりとしたものに変わった。
に伝えると、は俺から身体を離して頬を緩ませた。
「あのね、私ちゃんと人間になりたいの」
「……うん」
「だから、それまで待っててほしくて。そうしたらね、炭治郎のお嫁さんにしてほしいんだ」
いつものようにふわふわとした口調で、それでもしっかりと俺に告げるに、今は方法さえわからないけど、応えたいと思った。
それまで待ってるどころか、俺は今のままのだって受け入れるつもりでいるけど、が、自身が俺と同じになりたいと願っているのであれば、いつまででも待っている。
「ずっと、ずっと好きでいてほしいの」
「うん。ずっと好きでいるよ」
「……約束ね!」
頷いた俺に、は一度目を丸くさせた後、顔色を煌めかせながら俺の胸元へと額を擦り付けた。
自分の気持ちから逃げてばかりだったことに、今更後悔をしていた。曖昧にの気持ちに背けつつも応えていた時よりも、も心の底から笑ってくれるような表情を見せてくれるし、俺も蟠りが消えて晴れ晴れとしていた。
全てが解決したわけではないけど、純真なの気持ちに応えるだけで見える世界の色が変わる。思っていた未来さえ、なんとかできる気がしてきた。
「帰ろうか。そろそろ」
「うん」
年季の入った椅子から立ち上がるとガタッと音が鳴る。俺が立ち上がったことで揺れた椅子に体勢を崩しそうになったを繋いでいたままの手を引っ張り引き寄せた。すっぽりと俺に収まる華奢で柔らかい身体が、多分、癖になっている気がした。ずっとこのまま抱き留めていたい。仮に嫌だと言われても、放すことなんてできないとその温かさに幾らか浸ってから、満天の星に包まれる丘を後にした。
「あ、流れ星!」
帰り際、丘の上からでなくともそれなりに綺麗に夜空に映し出される星々を見上げていたが声を上げた。そのままは一度俺から手を放し、両手の指を祈るように交差させて瞼を閉じた。
さっき話していたように、ちゃんとした人間になりたいと、願っているのだろうか。その願いは、流れ星ではなく、俺が叶えたい。叶えたい、というよりは、俺が叶えるしかなかった。
「なにかお願いした?」
「あ、いや。してないや」
お願い事が終わったは俺に首を傾けながら尋ねた。願うことよりも、俺がしなくてはいけないことだからその考えは頭の中になかった。ただ、それよりも俺が今に続いて願わなかった理由は違うものだった。
「勿体無い」
「うん。でも、を見ていたかった」
散々、から瞳を逸らし続けていたのに、それを埋めるように、星に願っている姿のに目を奪われていたといっても過言ではない。
口を尖らせるに素直に話せば、頬を赤らめていくその様子さえ可愛いと思うほどに、に染められている自分に自嘲した。
「私も炭治郎のことしか見えてないよ」
仄かに照れたように笑うに俺も自然と笑みが溢れた。何度も同じようなことを言われてきたけど、今までよりも一番素直にその気持ちを受け止められて、胸が温かくなった。
「あ、そうだ」
もうそろそろ、藤の家に着く。離れてしまった手をもう一度繋ごうとする前に、が思い出したように声を上げ、ずっと貸していたままだった俺の羽織を脱ぎ始めた。
「はい」
脱いだ羽織を簡単に折り畳んでから俺に差し出した。もう寒くないから返すということなのだろうけど、そもそも、寒さを感じないことはわかっていて貸していた。
が目の前に差し出す羽織を手に取ってから、もう一度それを開いての肩に掛けた。
「羽織ってていいよ。羽織、持ってないだろう?」
「持ってないけど……、いいの?」
「うん。ずっと持ってていいよ」
「ずっと?くれるの?」
俺の言動には首を傾げながらも素直に羽織に腕を通した。
この羽織をそのままにあげるのは構わない。構わないのだが。
「今度、に似合うやつを買いに行こう。一緒に」
もっとらしいものがある気がするのと、それを理由にしてまた町へこの子と行くという約束を作りたかった。理由なんてなくたって、どこへでも連れて行きたいけど、ここのところ、どことなく俺に遠慮をしているから、連れ出す理由も欲しかった。
俺の言葉には瞬きを繰り返した後に、ふわりと笑ってみせた。
藤の家に戻ると、俺たちの帰りを家の人が待っていたらしく、ありがたく夕飯もいただいてから寝床についた。は何も食べることはできなかったけど、禰豆子のこともあるから特段何かを言われることもなく、むしろお婆さんに随分遅かったねと俺たちのことを茶々を入れられていた。またお孫さんと喧嘩が始まったのを見て笑っていた。
「ねえ炭治郎」
布団は二組敷いてもらったけど、俺が一緒に寝ようとに声をかけて、一組は使っていない。
俺にくっつきながら、もう寝ているのかと思っていたに呼ばれて、俺も眠りの世界につきそうだった頭を現実へと引き戻した。
「みんなで幸せに暮らすって素敵だね」
「……うん。そうだな」
蝶屋敷だけでなく、藤の家でも今しがた幸せに過ごせたから、そう思ったのだろうか。
穏やかな口振りで呟くの腰に腕を回して引き寄せた。も俺に手を回し、今度こそこのまま眠りにつこうととくとくと鳴るの胸の音に心地よさを感じながら、意識が遠退いていった。
このまま、幸せな世界のまま、朝、いつもと同じようにおはようって、言えると思っていた。
「またね」
その筈が、目を覚ました時には隣にいなくて、貸したままの羽織は枕元に綺麗に畳んで置いてあった。
それが、もう戻ってこないことを示唆しているようだった。