がいなくなった日、日はもう出ていたから日差しも遮る山奥や、もしかしたらと思って星を観に行った丘の上も探し回ったけど、その姿は一向に見当たらなかった。
一人で帰って来た俺に、もしかしたら猫に戻ったのかもしれないとアオイさんや善逸が声をかけてくれたけど、だったらこの屋敷を気に入っているはずなのに猫の姿でここに現れないのだっておかしな話だった。
どうして何も言わずに忽然といなくなってしまったのか、わからなかった。けど、あの日が俺に「待っていてほしい」と話していたのは、俺の側からいなくなることを考えていたのだと胸が痛くなった。気付けなかった自分にも嫌気がさした。いなくなったということは多分、自分の中で沢山考えて見出した答えのはずで、はそういうことを考えるわけはないと勝手に決めつけていた。
「なあ、いたか?」
「いねえよ、迷信だろどうせ」
がいなくなってしまったことなんて、まるで関係がないように鎹烏が鳴いて鬼の頸を斬る。その帰路で、星がよく見える丘が近いこの町に訪れるのは何度目か、そろそろ日が昇りそうな時刻だというのにも関わらず弟と同じような年の子たちが向かいから歩いてくる。
「今日も収穫なしかー」
「絶対俺が捕まえてやろうと思ったのにな、幽霊」
頭の後ろで手を組みながらその子はつまらなそうに呟いて俺の横を通り過ぎていった。
こんな時間に出歩いているのは、鬼の存在を知っているならしないことなのだが、そんなことを話したところで『幽霊』を探している彼らには逆効果だろう。
後ろ姿が小さくなっていったところで止めていた足を動かし、ふと藍色の空を見上げた。と初めて会った時の空の色と同じだ。朝日が昇る間際、明るい星だけがちらほらと空に散っている。
こんな時間に探したところでいるわけはないのだが、それでもこの空を見て、屋敷へは少し遠回りになるけどあの丘へと向かった。
「……、」
鬼と戦ってすぐ、休むことはなくそのまま歩いて来たから神社の階段を昇る足取りがほんの少し重かった。そんな中で、草木と古びた鳥居の匂いに紛れて覚えのある匂いが鼻を掠めて一度足を止める。
どくどくと跳ねる心臓に、重かった足なんて気にもならず階段を駆け上がるとその匂いはどんどん強くなる。境内の裏の荒れた小道、伸びきった枝に頬が切られていることさえ意識が向かないままに突き進んで開けた場所へ出た。
「……」
風で揺れる草原に混じり、こじんまりと椅子に座って星に祈るように手を合わせているその子の姿が目に留まる。走っていたせいか、もう会えないと思っていた子が目の前にいることへの昂りか、息が荒くなる。
「!」
「!……、炭治郎」
止めていた足を走らせ名前を呼ぶと、肩をピクリと跳ねて大きな瞳で俺を捉える。久しぶりに交わった視線に声に、込み上げてきた感情が抑えきれなくなった。
「久し、っ」
椅子から立ち上がって、普通の会話のように話しかけようとしたを駆けてきた勢いのままに抱き締めた。離したくない。逃がしたくない。もう勝手にどこかへ行ってほしくなくて、きついくらいに腕の中へ閉じ込めた。
「……っ」
「……泣いてるの?泣かないで炭治郎」
色んな思いが込み上げてきて溢れ出た涙に気づいて、少しだけ腕の力を緩めた俺に顔を上げたが頬に触れた。
「頬っぺた切れてる……、痛い?」
「っ痛いよ……痛くて、苦しかった」
「……、」
「どうして、……突然、いなくなるんだ、」
眉を下げて心配そうに見つめるに掠れた声を出すと、何かに気づいたような表情を見せた後に気まずそうに口をすぼめた。
「そっか、ごめんね。もっとちゃんと言った方がよかったんだよね。炭治郎はきっと私は何もしなくていいって言ってくれると思ったから……」
「……」
「私、このままだといない方がいいと思って。言わなくてごめんなさい」
ちゃんと、それを言えば、俺が納得してを手放すと思っているのだろうか。
いない方がいいって、誰かに言われたのか、それとも俺がそう仕向けてしまったのだろうか、いずれにせよの考えていることは俺にとっては何もいいことはなくて、頬に触れているの手をとって包み込んだ。
「違う、言う言わないじゃないんだ。いなくならないでくれ」
「うん、でも、困ってたでしょ?」
「困ってない。君がいない方が困る」
「うん、あの、でもね、このままだともっと困っちゃうから。けど、私猫には戻りたくないし、記憶、なくしちゃうのも嫌なの」
段々と声を小さくしながら、終いにはその瞳を逸らされた。悪いことをしていると思っているからだろうか。
俺が、は猫に戻った方がいいと考えていると、はそう思っているのだろうか。例え、今更が自身が納得して猫に戻りたいと話したところで、俺はそんなことに納得できないだろう。それに、記憶をなくすって、聞かれていたんだ。しのぶさんと話しているところ。少し様子が可笑しかったのはそのせいだったのだと今更気が付いた。
「炭治郎いると私、炭治郎のことが好きな気持ちを抑えられないの。一緒にいればいるほど好きになっちゃうの。いつ猫に戻っちゃうかわからないのに、嫌でしょう?」
逸らしていた瞳を再びこっちへ向けて、頬をほんのりと赤くさせながら眉を下げて笑った。そんな表情までできるようになったことに、胸が苦しくなる。
「私が我慢できたらいいんだけど……」
「嫌じゃないし我慢もしなくていい。俺、のことが好きだって言ったよな」
我慢なんて、そんなことは必要ない。こうなることがわかっていたのに最初にを斬れなかった俺の責任で、が考え込んで背負うことではない。
「うん、でも……悲しませたくないの」
「だから、がいない方が、」
「聞いて炭治郎」
俺の言葉を遮るように、けれども透き通った瞳を輝かせ、穏やかな口調で俺に言い聞かせるように首を少しだけ傾かせた。
何かを、信じている時の表情だ。
「ちゃんと今度は、炭治郎が悲しい顔しないように、本当の人間になれてから会いに行こうと思って」
「…………」
「やっぱりね、ここが一番星が綺麗に見えるんだよ。太陽昇るまで見ていたくなるの」
「、」
「いっぱいお願いしてたんだよ。あ、炭治郎が幸せになれますようにって、それもちゃんとお願いしてるんだよ」
違う。そうではない。
願ったところで、君の願いは叶ったりはしない。そんな魔法のようなこと、起こり得ない。それなのに、ずっとそれを信じて願えば人間になれると無垢に待ち続けている姿に胸が締め付けられる。
「ちゃんと人間になれたらね、炭治郎としたいことが沢山あって。一緒に買い物に行って、青空の下でお弁当食べて、日向ぼっこして……、」
乾いた視界に映るの瞳が俺とは対照的に、潤んでいた。
また、俺は勘違いをしていた。無垢に待ち続けているわけではない。俺の前からいなくなってから、何日も何日も願い続けて、それでも人間になれない自分にその可能性はないと思ったって不思議ではないのだ。
「きっと、きっとね!なれると思うの!でもね、私が人間になれた時、他の子が炭治郎の隣にいたら嫌だなあって思うんだけど、でもいつになるかはわからないから、約束はしたけど、炭治郎が困っちゃうのは私も苦しいから、だから……ちょっとだけでも、私のこと覚えててくれたら、それでよくて、」
「嫌だ」
呟いた一言に、は瞳を揺らした。
ずっと好きでいる約束をしたから一度離れることなんんて、そんなこと首を縦に振るわけがない。もう、俺がどれだけのことを想っているのかがまるで伝わってない気がした。
「……うん、わかった。我儘言ってごめんなさい」
「一緒に帰ろう」
包み込んでいた手を握り締める。嫌だと呟いた俺に俯いていたが顔を上げ、くりっとした瞳が大きく見開かれる。
が迷わないように、もう本当のことを隠したりもしない。隠したせいでは今も勘違いをして、少ない可能性を信じて星に瞳を閉じている。全部話した上で俺の気持ちも伝えたい。それが、今俺との間に感じる溝が埋まる方法だと思った。
腰に回していた手をの髪の毛に絡ませ頭を抑えるようにして、薄く開いたままの唇へ確かめるように口付けた。唇の熱と柔らかさが伝わり、そっと離すと開いたままの瞳から片方、涙が溢れていた。
「……、でも、」
「帰ろう」
頼み込むように、息を切らしながら。聞きたくないと拒絶するようにの口から出かけた言葉を遮って、後頭部に回したままの手でぐい、と胸元へと引き寄せた。
「そばにいてほしいんだ」
「……炭治郎優しいから、そう言ってくれると思ったの。でもね、」
「違う。君の為じゃない」
「……」
「俺の為なんだ」
でも、でも、と頑なに自分の主張を曲げない。そんなの、だって望んでいることではないはずなのに。が俺を思って、考えて出した答えがそれなら、俺は俺の為ににして欲しい願いはこれしかない。
「……このまま、一緒にいてもいいの?」
「うん」
頷いた俺に、少しの間を置いてからの腕が俺の背中に回り、やっと伝わったのだと繋いでいた手も放し、両腕で俺も抱きしめ返した。
どれだけの時間、そうしていたのかはわからない。
辺りも随分と明るくなってきたところで、日の当たらない場所に行かないとまずいと離れた時だった。
からではない、紛れもない鬼本体の匂いと気配がした後に強い風が吹いて、瞬きの一瞬で目の前からがいなくなった。
「これ、俺が最初に作った人形だろ」
禍々しい気配と声のする方へ向きながら刀を抜けば、猫の後ろ首を掴むように片手でを持ち上げている鬼が木の上の影から俺を見下ろしていた。