冷たい風が辺りを吹き抜けて草木を揺らしていく。
バクバクと嫌な音を響かせる心臓を必死に抑え、こちらへは見向きもしないを捉えている鬼へ刀を握り締める。
「やっぱ見た目はこれが一番できてんな……」
「ん、ぐ、」
「これに洗脳となると俺の力じゃ足りねェのか……?まあいいや、やってみねえとわからねえし、改良してみるか」
「っ待て!!」
独り言のようにボソボソと人間らしく顎に手をあてながら呟いた後、苦しそうに顔を歪ませるを肩に担いで森の奥へと日差しから隠れるように入っていくその鬼を追った。
声を張り上げた俺に、そういえば人間がいたな、なんてめんどくさそうな視線を向けられながら指で何かを操作するように俺へ仕向けた。
何かが前方から来るかと思えば何も来ず、代わりというにはやけに役不足な気配が後方からして向かい合えば、小さな子供が二人、鬼のように俺に襲いかかろうとしていた。
木の上を渡り歩いて攻撃を仕掛けてくるなんて、鬼殺隊でもない人間ができる芸当ではない。それに、この子たちからは仄かにのように鬼の匂いが入り混じっている。
さっき、見た目がどうと呟いていた鬼の話も加味して、おそらくこの子たちは人間ではないのだろうと匂いがした瞬間瞬時に理解して、攻撃を受け流すようにその子たちの勢いも使って日の当たる方へと投げ飛ばした。草木の隙間から差し込む日差しを浴びると、その子たちの身体は燃えるように塵なり、そこからおそらく本来の姿である犬へと戻っていった。
太陽が昇る前、町の子たちが話していたことを思い出した。幽霊というのは、この子たちのことではないかと。
「炭治郎!」
「勝手に喋るな」
「っ、!?」
「!!」
犬となって辺りを彷徨う様子を見ている限り、今俺に攻撃を仕掛けたことなんて頭の片隅にもなく、本当に、本来のままであった。
後ろから俺の名前を呼ぶ声に、今は考えている場合ではないと振り向けば、勝手に喋ったと理不尽に腹を立てた鬼がの顔面を爪で引き裂いていた。
顔を両手で抑えるを目にし、腹の底から怒りが込み上げてくる。
「その子を放せ!!」
「!?くそっ!」
怒りのままにを担ぐ鬼へ追いついて、その腕へと斬りかかれば俺の斬撃から逃れようとした勢いで自分の身体と斬り離れた腕がぶつかりが吹き飛ばされる。その先は森から抜け、太陽が当たってしまうと一瞬背筋が凍ったが、そこは神社の境内の前、石段であった。まだ神社のおかげでここは日陰になっている。
石段に身体を叩き付け痛々しく血をこびり付けさせているの元へ駆け寄る。
「、大丈夫か」
受け身も取れずに、普通なら全身打撲もいいところだ。それなのに、はその身体を小さく震わせながらも俺へ苦しそうに笑顔を浮かばせた。
「うん、治るから、大丈夫だよ」
顔は、の言う通りにもう治りかけている。血も止まり引き裂かれた皮膚もいつも通りに戻ろうとしている。
でも、治ると言ったって、痛いことには変わらない。痛くなければ、こんなに苦しそうに、無理に笑っていない。
「そうそう。別に治るんだから大丈夫だよ、俺のお陰だな」
「っ!!」
「なんだあ、そいつは人間じゃねえからお前らの守る対象でもないだろうが」
のこのこと斬られた腕を元に戻しながらこっちまで歩み寄ってくるその鬼へ睨みをきかせれば、一瞬面を食らったような表情を浮かばせてから捨てるように息を吐いて言い放った。
「そもそもそれは俺の駒だぞ。俺に返せって話だ」
「はモノじゃない!」
「うるっせェな、ここでお前とお喋りしてるほど俺も暇じゃねェ……、ああほらもう時間がねェ!!退け!!」
「退かない!!」
境内の影も届かない、石段の下の方から徐々に日が迫りつつある。それを見て、どうしてもを捉えたいと手を伸ばす鬼の腕を斬り、から距離をとらせるように境内の前へと斬撃で吹き飛ばし転がる鬼へと逃げられないようのし掛かった。
それほど強い鬼ではないことはわかる。上弦、いや下弦ほどの実力もないだろう。その実力があれば、すでにを連れて俺から逃れることができているだろう。案の定、死期を察した鬼は目に見えてわかるほどの動揺を見せている。
「待て、待て待て待て斬るな斬るな斬るな!!話せばわかる!!な?」
刀の切先を頸元にあて、力を入れればこの鬼はここで塵となって消える。鬼殺隊として、鬼の討伐は絶対だ。倒せた鬼を私情を挟んで倒せないなんて、そんなこと許されない。
刀鍛冶でも、俺は判断ができなかった。俺の代わりに判断してくれる人がいたから、俺は自分を律し鬼の頸を刎ねることができた。
「……なんだ、話がわかるじゃねェか」
切先をあてたまま、黙っている俺に話が通じたのだと薄っすらと笑みを浮かばせる。こいつの話を聞いて譲歩してやろうという気なんて更々ない。だが、今すぐに斬ることができない理由があった。理由ができてしまった。
「動物を、人間にして何を企んでいたんだ」
「あ?ああ、それな、子供を誘き寄せる為だよ。若い子供が一番美味えからな。子供を誘き寄せるには子供が必要だろう?奴らは太陽に当たれば消えるし、証拠隠滅だ」
を人間の姿にさせたのは、紛れもないこの鬼だ。自分が子供を食らいたいが為に、動物を人間にして誘き寄せて、自分は太陽にさらされる危険もなくその子供を食べていたと、その言動に許しを請われたところで見逃すことなんてできるわけがなかった。俺に、なんの柵もなければ。
「友達だと思って俺が作った駒にのこのこついてくるだろう?んで俺を見て腰を抜かすんだよ。騙されて俺に食われるあの怯えた顔はたまんねえなあ!っひっ、!!」
自ら話出して気分が乗ってきたのか口を滑らす鬼へと顔の横へ刀を突き刺した。
けど、これ以上、俺は何もできなかった。自分が情けなくて仕方ない。大事なものを守りたいのに、それを守るには何かを失わなければならない。どっちを選ぶかなんて、天秤にかけることすらできずにいた。
「……?ああ、そうかお前、俺が斬れねェんだな」
「、!」
「俺を斬ると、あれは猫に戻る。それで斬れねェんだろう」
いつまでも鬼から退かず、それでいて頸を斬らない俺に疑問を持つのは当然のことだった。
にやりと牙を見せて笑う鬼に迷いが見透かされ、唇を噛み締めた。
「ただの猫だぞ?あれは。あっははは!ほら斬ってみろよ、ほらほら!できねえのか?あっははははは!」
「……っ!!」
「おーい!お前、なんだっけ?だっけ?お前は置いといてやるよ。一生こいつと幸せに暮らせるぜよかったなァ」
形勢逆転だと、優位な立場に躍り出たと嘲笑うように口角を上げながらに声を上げた。怒りが止まらない。それは、この鬼への怒りだけではなくて、自分へもだ。俺はいつも、判断が遅い。
「おい退け!てめェは『あの雌猫愛してるんでどうか動物を人間の姿にする鬼の頸は斬らないでください』って柱に土下座でもしとけよな!」
に最初に会った日。あの日にこうなってしまうことは薄々気付いていた。でも、その判断が間違っていたなんて決め付けたくもない。子供のような我儘で、傲慢だ。鬼は倒さなければならないのに、とも一緒にいたい。離れたくない。
「猫に腰振る間抜けな人間で誠に申し訳ございませんっ、てな!あーはっはっ情けねえ野郎だなァ!」
どうしたら、斬らずにといれる、戦闘不能にするしかないか、でも鬼の身体は再生する。そんなことが可能なのか。もう太陽もすぐそこまできている。このままだと、この鬼もも塵となって消えるだけだ。
どうする、どうすればいいと、日が差し迫っているであろう場所にいるを見ると、ずっと俺と鬼のやり取りを転がった石段に座り込みながら見ていたのか、はたと目が合った。それから、俺の視線に何か気付いたように一瞬だけ目を見開いた。
「炭治郎、大丈夫だよ!っ、」
「!」
着物の裾から伸びてでた足元が差し迫る日に焼け顔を歪ませた。けれどは一向にそこから動こうとしない。そのままだと、君は猫に戻ってしまう。
一度自分の足元を見てから、もう元に戻っているいつもの可愛らしい笑顔を俺に向けた。
「私、炭治郎のお日さまみたいな笑顔が好きなの!」
「、」
「私に名前をくれた時から好きなの。だからね、炭治郎が会いに来てくれてすごく嬉しかった。一緒に帰ろうって言ってくれて嬉しかった」
無理して笑っている笑顔ではない。俺が好きな笑顔のはずなのに、言葉とは裏腹にが考えて、今しようとしていることが嫌でも想像できて喜べるはずもなかった。
「最後まで私のこと、元に戻したくないって思ってくれて嬉しかった。本当だよ」
「最後じゃない、最後じゃないから、早くそこから、」
「炭治郎の願いは絶対に叶うよ!幸せになれるよ!こんなに頑張ってるんだから」
俺が動こうとすれば、ここぞとばかりに逃げようとする動作が伝わりそれもできなかった。見ていることしかできない。ただ見て、迷っていることしかできない。失いたくないのに、手を伸ばせない。最後にするつもりなんてないのに、最後まで俺は悩んで、何もできずにいた。
「えっと、えっと……、」
そんな俺に、は思いついたように後ろで日差しを受けながら笑いかけた。
「ありがとう」
鬼のいない世界でみんなと暮らしたい。俺はにそう話した。それは、君も入っているのに、どうして、君が諦めてしまうんだ。
その“ありがとう”だって、こんな悲しい時に使うものではない。そのありがとうは、間違っている。約束だってしたのに、戻りたくないと、そう言っていたのに。なあ、。
身体が照りつける日差しに包まれて、その笑顔はポロポロと俺の前から塵となって消えていった。