機械的な鐘の音が教室のスピーカーから響き渡り授業の終わりを知らせる。まだ先生の話は途中だったが、鐘が鳴ればもう誰も咎められないと終わりの合図もなく一斉に授業は終わりだと机の上を片し始め、黒板の前に立っていた先生からも溜息が漏れる。
「炭治郎、俺たちも行くぞ!」
先生が教室を出て行くのを目で追うと、廊下では隣のクラスへと人が流れていく様子が見える。
何だろうと思いつつ机の上を片している俺に話しかけてきた善逸にも、生まれるよりも前、所謂前世の記憶はあるらしい。
縁というものは不思議なもので、あの頃と変わらない、顔触れがこの学校には揃っていた。俺が前世の記憶を思い出したのはこの学校で善逸や伊之助に出会ってからだけど、禰豆子は前世の記憶なんてものはおそらくない。この先いつか思い出すかもしれないけど、わざわざ思い出させたりすることはない。前世なんて、今は関係ないのだから。
「行くって?」
「隣のクラスの転校生を目に焼き付けに!可愛いんだってさ、転校してすぐに仲良くなっておけば……」
「…………」
「なに!そのリアクションは!お前ないわけ!?可愛い子か気になるなあわよくば連絡先聞きたいなとか、そういうのないわけ!?」
関係ないとは言っても、こうまで記憶の中の前世と同じだと笑ってしまうところもある。善逸も思い出したのはこの学校に入って俺と出会ってからだと、そう話していた。
わざわざ前世をことを思い起こすような会話はしないけど、いつかの放課後、校庭で弱った猫を見つけて動物病院まで運んだ。その猫は首輪をしていて幸い飼い主が引き取りに来たけど、善逸が『お前は変わらないな』と呟いたのを聞いて、お互い前世の記憶があること、それからのことも懐かしむように話した。
「転校してすぐに色んな人から押しかけられたら疲れるだろう」
「いやいやそういう子こそ早めに仲良くなっておかないといけないんだよ!わかる?早い者勝ちなのよ縁なんて!」
「そうだすまない、俺今日弁当なくて食堂なんだ。気にせず伊之助と外で食べに行ってくれ。今日は禰豆子やなほちゃんたちも待ってるし」
「ああ、うん。伝えておくよ……って、俺は行くからな!見に行っちゃうからな!俺だけその子と仲良くなっても嫉妬するなよー!!」
善逸の声を背に受けて、俺は教室を後にした。
月に何度か、中等部の子たちとみんなで中庭で昼ご飯を食べようと決めている日があった。
その度に俺はいつも思い出していた。本当はここに、転生した今でもが隣にいてくれたらいいのにと。人間の姿であったらそれはこの上ないことだけど、猫の姿のでも、同じ時代をまた生きていたいと思った。
ただ、そうなると余計に俺は寂しくなったりするだろうか。会ってみないとわからないことだけど、でも、そんな都合のいい話、それこそ魔法のような、奇跡のような話なんて起こり得るだろうか。
「ねえ、どんな人が好き?クラスにかっこいいと思う人いた?それか先生!宇髄先生とかすっごくイケメンじゃない?」
「初日でそんな質問する?」
珍しく、ガヤガヤと開放感ある校内の食堂で昼休みを過ごしていた。昨日米を炊き忘れて、ある分を使っていたら禰豆子と竹雄の分だけでなくなってしまった。茂も花子も給食があるし六太も保育園だから問題はない。
こうして兄妹がいてこその長男でいられると、改めて生まれ変わった今もこの家族の元に生まれてよかったと心から思う。
日替わり定食の魚を口に運んでいると、女の子たちの声が隣のテーブルから聞こえてくる。隣といっても、ちょうど柱が間にあってその姿は見えないのだが。香辛料の匂いも香ってきて食べているものまで安易に想像できた。
初日、ということはつまりさっき善逸が話していた転校生の子なのだろう。見に行くと話していたけど、善逸はこの子に会えたのだろうか。
「だってかわいいから、好きな人被ったらどうしようと思って。一応ね、一応」
『』と、その名前に反応してしまい箸を使っていた手を止めた。名前は、のことを思い出す前から無意識に反応してしまうことがあった。前世を思い出してから、自分が反応してしまっていた理由がわかって肩を落とした。
あの子は猫だったけど、俺や善逸、みんなのようにこうして転生しているなんて奇跡のような話だ。
「太陽みたいな人」
「えーつまりどういう人~?」
同じ名前の子を見かける度に、失礼にも落胆してしまう自分にも嫌になり、無闇矢鱈と追ったりしないことにした。
席を立った俺に、その会話までは聞こえなかった。
次の日の朝、寝付きが悪かったわけではないが、夜明け前に目が覚めた。いつもならもう少し経った後に起きてパンを捏ねているのだが、今日は六太の運動会で店が休みだった。だからまだ起きている必要はないのだが、なんとなく外へ出て朝の澄んだ空気を吸いたくなって外へ出た。
家の近くには神社があった。昔から、何か胸の中がむずむずと感じる神社であるとは感じていたけど、それも記憶を思い出してからは理由が明確になり、ふとした時にこうして訪れていた。塗装の剥げた鳥居も今は綺麗になり、境内も年始には多くの参拝者が訪れるほどには立派な建物になっている。あの丘も、今は街が綺麗に見降ろせる丘としてしっかり境内の奥からの道も整備されていて、ベンチもいくつかある。雑草だってまるでなく、花火大会の日は見晴らしの良さに人がそこへ集まるくらいだった。
そうして俺が知る場所とは程遠い景観になりつつあるけど、もしかしたら、会えるなら、またここで会えるのではないかと心の片隅で安直にもそう思っていた。
朝日がそろそろ登る頃、石段を一段一段登っていく。この石段は、記憶の中のあの頃から変わっていない。登った先のあそこで、は猫に戻ったのだと記憶に焼き付いている。
「…………、」
人間であったが俺の目の前からいなくなった時、はこの場所にいた。任務の帰路、ふと立ち寄った時に、匂いが鼻を掠めたのだ。その時と同じだった。
記憶上に匂いなんてものは存在しないけど、それでも不思議なことに、初めて香ったはずの匂いのはずが、今、懐かしさを感じていた。
あの時と同じように石段を駆け上り、随分と登りやすくなった丘の上までの道を一心不乱に走る。
駆け上って出た先には、藍色の空が広がる中で一人、女の子が街並みの景色ではなく、フェンスに手を置き空を眺めていた。
上がった息はそのままに、その子の元へ呆然としながら歩み寄り、俺に気付いたその子と目が合って立ち止まった。透き通った大きい瞳、風に揺れるふわふわな髪。全部、記憶の中のその子と同じだった。
お互い、視線を交えさせていたのは数秒だろうか。それがやけに長く感じたけど、その子ははたと我に返る素振りを見せた後、くしゃりと笑いかけた。
「ごめんなさい、見惚れちゃってたみたい」
声も、そのままだった。気恥ずかしそうに笑うその子に俺はろくに声が出せずに、言いようの無い昂りに心が打たれていた。
「君、は……」
「?」
「猫、じゃないのか……?」
初対面で、何を口走っているのだろうと自分でもわけのわからない言動をしていると思う。でも、わけのわからない、奇跡のようなことが起きているのは事実で、そんな現実に平常心でいられるわけはなかった。
震えながら出した俺の言葉に、その子は瞬きを繰り返した後に柔らかく笑ってみせた。
「どういう意味?私、猫っぽい?確かに寒いのは少し苦手だけど」
笑顔だって、俺の記憶に焼き付いていて、俺が好きな笑顔そのものだった。
もし、この子がそうであるならば。似ているだけでなくて、あの子が願ったことなのであれば。
「あ、朝日だ」
街のずっと向こうから、太陽が顔を出し街を照らし始めた。その光に気付き、目の前の子はほら、と指を差す。ここはまだ角度的にも日陰になっているが、整備された道の方はもう明るくなっている。コンクリートが太陽の日差しにチカチカと光を放っていた。
「今日も暑くなりそうだね」
俺の隣を横切って、その子は来た道を帰ろうとする。
来た道、は、その整備された日が照りつけている道で。太陽の日差しに笑顔で消えていってしまった光景を思い出して、思わずその子へ振り返って勢いのままに名前を呼んだ。
名前だって、あの時は俺がつけた名前であるし、この子が本当に俺が会いたかった子かも今は定かではないのに。けれど、そんな事実的な確証はなくとも、感じ取っていた。
俺が名前を呼んだその子は歩みを止めて俺に振り返る。
「どうして、私の名前を知ってるの?」
「……」
「……?あなたは?」
呟いた俺にそう尋ねた瞬間、の後ろから日が差し、辺りを照らし輝かせた。
は消えていない。しっかりとそこに存在している。いい天気、と眩しそうに太陽に瞳を眩ませて、日差しを遮るように額の前に手を当てている。
「…………馬鹿だ、俺」
俺はずっと、ずっと前から猫が人間になれるなんて、そんな夢のような話あるわけがないと否定していた。魔法のような、おとぎ話のようなことは起こらないのだと。
掠れた声で呟いた俺には太陽から目を離し、俺へ視線を向けた。
「……えっ!どうして泣いてるの?ごめんね、泣かないで炭治郎、っ」
ぼやけた視界の中で映るの驚く表情に、自分が無意識に涙を流していたことに気付いた。ただ、そんな自分の涙さえどうだってよくて、心配そうにしながら俺の元に歩み寄るをそのまま抱き締めた。
「炭治郎……」
「うん。俺、竈門炭治郎。会えて、……会えて本当に嬉しいよ、」
「……嬉し涙?」
「うん、そうだよ」
沢山、沢山願えば、叶うんだ。君の願い、叶ったよ。沢山願ってくれてありがとう。
抱き締めながら思いの丈を綴る中で、すっぽり俺に収まるも腕を俺の背中に回しぎゅっと身体を寄せた。
青空よりも星空をよく眺めているあの時、小さい嫉妬なんてしていないで俺も少しくらいと一緒に星空に願うことくらいしたらよかったのだ。
「そっか。私も嬉しい。なんだか懐かしい匂いがする。温かくて優しいお日さまの匂い」
すん、と俺の胸元へと顔を寄せたまま匂いを目一杯吸い込んでいた。妙な擽ったさが心地いい。
一度の両肩へ手を置き身体を離す。控えめに顔を上げたと至近距離で目が合い、頬がほんのりと赤くなっているのを見てじわりと胸が温かくなった。
「今度、……いや、今日」
「うん?」
「一緒に外でご飯を食べないか?」
首を傾げていたの瞳が徐々に徐々に丸く、キラキラと輝きを放っていく。それだけで、返事はもう十分に見えたけど、は大きく頷いた後に髪を揺らして満面の笑みを見せた。
「私がお弁当、作ってくるね!」
「……、うん!ずっと楽しみにしてたんだ」
ずっと、ずっと前から、君としたかったこと、一つずつ叶えていきたい。
だから今日は星空の下じゃなくて、君が大好きな太陽の下で沢山話をしようか。