恋と願いはよくせよ

静まり返った屋敷の廊下の床板は隅々まで掃除が行き届いていて、窓から零れる月明かりを浴びる箇所に埃ひとつないことが見てわかる。
隣では俺の手を繋ぐが前に顔を向けずずっと俺に目を向けていて、そのくりっとした瞳から繰り出される視線を受け続け、なんというか、居た堪れなかった。


「なーに炭治郎」

一度しのぶさんの元へ行く歩みを止めて、視線に耐えきれずに名前を呼ぶと俺に合わせても止まる。返事をしながら手を放して俺の背中に腕を回し身体をぴたりと摺り寄せた。
会ってから一時足りとも離れまいとずっと俺にくっ付いている様子に、越しに目が合った善逸が目を細めていた。
違う、決して俺はこうしたくてを呼び止めたのではない。

は、太陽は平気なのか?」

視線に耐えきれなかったことと、ふと気になったことがあったのだ。歩みを止めたおかげで結果的に視線よりも甘えられることとなってしまったが、肩を掴みその身体を離した。本当に、人間の、それも子供ではなく一人の女性のような柔らかさに頭が働かなくなるから控えてほしいのだが、はそんなこと、わかりもしていないのだろう。
尋ねた俺には離されつつも、眉は下げずに嬉しそうに話した。

「炭治郎よくわかったね!そうなの、私太陽苦手みたいなの」

すごく熱くて、と続けたに確信した。大元の鬼と同じくして、太陽に当たればにかかった血鬼術も解けるのだろう。苦手と気付く辺り、人間の姿になってから一日以上は経過しているのか。

「あとね、怪我がすぐ治るの」
「すぐ?」
「うん!ここに来る途中熊に襲われてね、私炭治郎に会えずに死んじゃったのかなって思ったんだけど、気付いたら元通りだったの!すごいでしょ」

褒めてほしそうに、自慢するようには瞳を輝かせた。そんな表情で話す事柄ではないのに、無邪気なその姿に胸を打たれる。
口角を上げるの頬にそっと触れると睫毛が揺れる。

「痛くなかったのか?」
「痛かったけど、大丈夫だよ。心配してくれてるの?」

普通の怪我では鬼は消えない、太陽に当たると消えてしまう。それは血鬼術にもそのまま流し込まれているようだった。
禰豆子は鬼であっても痛さに苦しむ様子はあった。強ければ強い鬼ほどそれはおそらくないのだろうと理解しているが、を人間にした鬼はそれほど人を食らっていないのだろう。
俺の胸元へ頭を擦り付け何度も聞いた言葉を口にしている。すん、と胸一杯に匂いを吸って息を吐く。

「お日さま好きだけど、炭治郎がお日さまの匂いするからいいの」

背中に回す手の力が強くなる。そばで呆れたように溜息を吐く音が聞こえてもが反応を示さなかったのは、頭上から降りかかったわけではないからだ。
目の前の善逸はあからさまに恨めしそうな視線を俺へ向け、先を歩く。

「俺先しのぶさんのとこ行ってるからな。ある程度説明しておくよ」

俺も、先に行かせるほど暫くこうしているつもりは更々ないのだが、目に余ったのだろう。善逸は肩を落としながら、時折古びて軋んだ音を出す廊下の奥へ消えていった。

「ねえ炭治郎」
「うん?」
「私ね、怪我しないから炭治郎のこと守れるよ」

は顔を上げ、瞳に俺を映して優しく微笑んだ。何と戦っているか、とか、詳しいことは知らないにしろ、怪我をして帰ってきた俺のことは覚えているからだろう。それこそ一緒に風呂に入って身体を流していた時、お湯に染みる俺の傷をぺろりと舐めていた。
自分がその代わりになる、ということなのか。普通に人間になれたわけではなく、鬼の特性を持ってしまったことで厄介な感情まで芽生えてしまったに俺は頷くことなんてできなかった。

「ありがとう
「?」

そんなことはしなくていいと、お礼を言った俺に首を傾げたの頭を撫でた。
一先ずは、君をどうするか、というところなんだ。俺の心の奥底では、最初に刀を抜けなかった時点で答えはすでに出ているのだが。
だから、今から相談しに行く、というよりは実際のところ許しを乞いに行く、に近いのだ。
の手をとってしのぶさんの元へ歩みを再開させようとした時だった。

「ひぃいいい!」

しのぶさんの部屋の方から、何かに怯える高音が聞こえた。善逸の声だ。
なにかあったのかと急いでを連れてその場へ駆け寄ると、明かりが漏れるしのぶさんの部屋の前で善逸が廊下の壁に背を預けながら座り込んでいた。顔のすぐ横には小刀が木目に綺麗に刺さっている。

「ちっ違うんです俺は!お話が!ありまして!!」
「あらそうでしたか、すみません。つい夜中に女性の部屋を覗く不届き者が現れたのかと」

中途半端に開かれた襖がゆっくりと開いて明かりが差し込むが、善逸が影に覆われる。
わなわなと身体の前で手を振る善逸に助け舟を入れようとしたが、それよりも先に俺の隣にいたはずのが善逸を覆っている影の方へ歩み寄った。

「しのっ、……」
!」

しのぶさんのことだから、鬼の気配には気付いていたと思う。ただ、敵意がある鬼ではないこともわかっていたはずだ。だからか、しのぶさんからは今、少なからず怒っている匂いがしていた。
問答無用で斬られて身体に毒を回されてしまうかもしれないと慌てた俺はを止めようとしたが、遅かった。

「今『』って、仰いました?」

だが、しのぶさんは刀を使うわけでもなく駆け寄ったの後ろ首に手刀を入れて気を失わせただけだった。
しのぶさんは倒れ込むを受け止めて俺に視線を向ける。

「……はい。血鬼術で、そうなってしまったようで」

しのぶさんの胸元へ飛び込む形で支えられているを前に、いいな、と横から善逸の声が耳に鳴った。
猫であるのことは、勿論知っている。猫が嫌いなようであまり近付きはしなかったものの、そっとご飯を用に置いたりしていたのを目にしていた。これはしのぶさんから、と俺もに伝えていたから直接触れ合うことは滅多にないものの、の中でしのぶさんは好きな人の中に入っているのだろう。
しのぶさんは小さく息を吐いた後、降ろしている髪を耳にかけながらどうぞ入ってください、と俺たちを招き入れた。
それから、眠ってしまっているを善逸に見てもらいながら俺は今知り得る範囲ののことをしのぶさんへ話した。

「俺、斬りたくないと思ってしまって……」

人間になれたと、素直に喜ぶを見て、俺は刀を抜くことができなかった。私情が入るなんて、一隊士として相応しくない行いだとは思う。禰豆子を連れていることが許可されているからといって、なんでも許されるわけではない。
正座しながら膝の上で拳を握る俺の前で、しのぶさんはそうですか、と呟いた。

「別に、斬らなくてもいいのでは」
「……へ」
「炭治郎くんがそれでいいのなら、ですが」

その表情は、俺に同情をしているわけでもなさそうだった。
あくまでもしのぶさんは自分の意見を淡々と業務連絡のように俺に伝えているようで、俺が望んでいた返答であったにも関わらず拍子抜けだった。


笑わない太陽