朝目覚めて視界に飛び込んできたのは、ぐっすりと気持ち良さそうに寝ている女の子の寝顔だった。それも、目と鼻の先で今にも触れてしまいそうなほどに近かった。
心臓が止まりそうになりつつ、そろりと後ろへ下がって落ち着きを取り戻す。
そうだ、この子はだ。起きてその姿を見て、夢ではなかったことを身を以て実感した。
しのぶさんと話してから、確かしのぶさんは私と寝ましょうと提案していたけど、が俺と一緒がいいと駄々を捏ねて聞かなかったのだ。
しのぶさんはおそらく、害はないと判断はしているが観察がしたいのだろう。俺もそれがいいと思って、元は猫と言えど女性同士だし、しのぶさんのところへと促したけど頑なに俺から離れなかった。
仕方なしに一緒には寝たけど、猫の頃と違い今は一人の女性の姿をしているのだ。同じ布団は流石に不味いと用に一式敷いた筈なのに、朝起きたらこれだった。
「んう……」
俺が布団を少しずらしてしまったせいか、気持ち良さそうに寝ていたは眉間に皺を寄せ、ゆっくりと瞼を開いた。猫だった時と変わらないその綺麗な瞳をパチパチとさせてから、布団に手を付き起き上がってから俺に顔を寄せた。
「おはよう炭治郎」
唇に柔らかさを感じた後、はふわりと笑って見せた。
硬直している俺に、は首を傾げ窺うように眉を下げた。
「してもいいんだよね?ダメ?」
あからさまに、それこそ猫耳や尻尾があれば垂れ下がっていることがわかるほどには悲しそうにしていた。
いいよ、とは言えなかった。俺はのことをそういう風には見ていない。でも、俺の他、誰かにこういうことをしてしまうのは避けたい。
それならばやはり、本当は人間でないから、いいのか。そんな考えが頭の中を張り巡る。
「「皆さーんご飯ですよ~!」」
一階の厨房の方から、三人の揃った声が聞こえてきた。も扉の向こうへ視線を向けている。
「、俺着替えるから先に行っててくれないか」
の質問には答えずに、話を逸らすように部屋から出て行くように促した。流石に、女の子の前で着替えられるほど肝は座っていない。ある程度の羞恥心は持ち合わせている。
は俺に視線を戻し、何食わぬ顔で口を開いた。
「どうして?いつも見てたよ」
「いや、それはそうだけど……」
俺の部屋で飼っていたから、朝も夜も、当たり前のようにの前で着替えていた。だがそれはが猫であったからであって、人間の女の子の前で着替えるのは、気が引ける。それをどう伝えれば、はわかるだろうか。
頭を悩ませる俺に対し、は首を傾げたままだ。
「着替えだけじゃなくてお風呂だって一緒に入ったし、炭治郎の、っ」
「そういうことを口にしては駄目だ!」
あらぬ事を声に出そうとしたの口を慌てて片手で覆った。
確かに、確かに見られてはいる。猫であった時の記憶、その辺りだけ抜き取ってほしいのだが、どうやら覚えているらしい。その割に鬼になった時の記憶が曖昧なのは、身体に衝撃が走ったからなのだろうか。
ともあれ、当たり前ではあるがこの子にはそういう教養はないようだ。目を丸くしているから手を離し、一つ息を吐いた。
「いいか。そういうの、他のみんなにも言ってはいけない」
「どうして?」
「が人間でいるのならば、そうしなくちゃ駄目だ。猫とは違うんだ」
この教え方は、少し狡いだろうか。猫に戻りたくないと言っていたから、はずっと人間でいる為に、人間に近付きたいと思っている筈。でも、こう言えばは聞いてくれるだろう。
案の定、は大きく頷いて意気込んでいる。
「わかった!私人間になったから!」
「うん。じゃあ、先に行っててくれないか?なほちゃんたちを手伝ってほしい。猫だったらできないことだ」
「わかった!」
そういうや否や、は立ち上がって襖を開け、一階へドタドタと駆けて行った。
が部屋からいなくなったことに深く息を吐き、布団から腰を上げ、閉めていた窓を開けた。降り注ぐ日差しを片手で遮りながら目を細める。
薄暗かった部屋が明るくなって、やっと俺に朝を告げたようだった。
外の空気をいっぱいに吸ってから、二つ敷いてあった布団を片付けて着替え始める。
今は楽しそうに人間の姿を満喫しているけど、夜になればを人間にした鬼が人を食らっているのかもしれない。それを思うと、素直には喜べない自分もいた。
「ねえ炭治郎まだ、ゃっ!!」
「!?」
どうすることもできないことに頭を捻らせていたせいか、の匂いにはもう慣れているのも相まって、俺の部屋に戻ってきていることに気付かなかった。開けっ放しだった襖から顔を出したに、さっき俺が開けた窓から溢れる日差しがその身を襲い、顔の表面を燃やしていた。
廊下へ突っ伏しているへ駆け寄り部屋の襖を閉める。一瞬だったから、もう陽光焼けは止まっている。
「」
顔を両手で覆っているの背中に手を当て声をかける。はゆっくりとその手を離し、俺へ顔を向けた。
表面が焼け焦げていて、折角可愛い顔をしているのに、皮膚がただれてしまっていた。
「朝ご飯用意できたよ!」
「……え、」
「どうしたの?大丈夫?」
まるで、何事もなかったかのように嬉々とした表情を見せるに思わず面を食らって固まってしまった。顔は焦げてしまっているのに、もう痛くはないのか。
俺が心配そうにしていたから、逆に俺のことを心配したのだろう。
「……は大丈夫なのか?」
「?」
「顔、焦げてしまって」
その焦げた頬を片手で包み込む。ふわふわとしていた筈なのに、今はその感触はザラザラとしてしまっている痛々しさが伝わる。
は呟いた俺に、ああ、と声を上げた。
「大丈夫だよ!すぐ治るから」
人間になった時、やはり何度か太陽の日差しを浴びてしまったのだろう。少し焼けることには慣れている。でも、熱くて痛いのは変わらないはずだ。
徐々に治りつつある頬を手の平で感じながら、顔を顰めた。
「ごめんな」
「どうして炭治郎が謝るの?」
「いや……、可愛い顔なのに、すまない」
俺がが来る前に気付けば、この顔は焼けることはなかった。一瞬でも痛い思いをさせてしまったことに胸が軋んだ。
謝る俺に、は目をぱちくりとさせてから微笑んだ。
「大丈夫だよ。私人間になれたことだけでも嬉しいから、見た目なんてなんだっていいの。このままでも全然平気だよ」
心配してくれてありがとう、と俺の肩に腕を回し、ザラザラの頬を擦り付けた。
人間に、なれたわけではない。いつかはこの子は、猫に戻ってしまう。ただ、そんなことは言える筈もなく、の背中に手を回し抱き寄せた。
「あ、でもね」
顔が治ってきた頃に、みんなが待つ朝食が並べられた部屋まで手を繋いで歩いていた。さっきの話の続きだろうか、は俺の方へ向き目尻を下げた。
「炭治郎が好きだと思うような人にはなりたいな!」
瞳を輝かせながら無垢に笑うその姿が、胸にいたく響いた。