日差し
緑色の外壁に白と深緑のストライプの屋根は自然を思わせながらも遊び心のあるレストランだった。中には入らず外のテイクアウト専用のカウンターで強請られたジェラートを注文する。味はどうされますか、と聞かれそこで初めて気付いた。味を聞いていなかったことを。
さっき食べていたのは色からしておそらくミルクとキャラメルのようなものだったけど、好き嫌いはあるのだろうか。一度戻って聞きに行ってもよかったが、あの日あの子が美味しいと言ってくれたパンに使っていた材料の味があったからこれだけは間違いはないと思いそれにした。
ジェラートを受け取って、日が差し込むレストランから涼風が木々を揺らす道へ戻る。
その子はすでにさっきまで手にしていたジェラートを平らげていたようで、足を伸ばしどことなく儚げに風に揺れる木々を眺めていた。
木洩れ日が差し込み、ほどよく彼女の辺りを照らす。漂う奥ゆかしげなその雰囲気に思わず立ち止まってしまった。絵に描いたような光景だった。
前も思ったけど、綺麗な子だ。

「綺麗なお嬢さん!」

幾らかその様子に見入っていると、陽気に声をかける白髪のおじいさんがその子の隣へ座った。綺麗、と思っていたのは俺だけではなかったらしい。
その子は突然現れたおじいさんへ会釈をしていた。

「デートしようか!」
「ああ、デート……」
「ワイン飲む?サンドウィッチ食べる?」

フランス語、前に会った時はあまり話せていなかったと聞いていたけど、それなりに言葉はわかるようだった。
ああいうのは一切目も合わせず対応せず、無視がいいと言われているのに、来たばかりだからか流されそうになっているその子の元へ近づき歩いた。

「おじいさんすみません、ワインもサンドウィッチもいりません」
「おお、ジャパニーズ男児!」

俺が会話に割って入るとおじいさんは特に引くわけでもなく和かにしていた。ナンパに後ろめたさとか、そういうのはないようだ。
持っていたジェラートをその子へ差し出すと買わせにいかせたのは自分であるにも関わらず、躊躇いがちに受け取った。

「邪魔?おじいさん邪魔?日本の女性は謙虚で可愛らしくてとっても愛おしい」
「ありがとうございます……」
「君は彼氏?」

気にせずその子へ口説き文句を並べるおじいさんは俺を見てそう尋ねた。あからさまに一瞬だけ固まる。
全く、そういうのではないしこの子に彼氏がいたら迷惑だ。けど、俺が彼氏でないと言えばこの口説き文句は終止符を打たないだろう。嘘でも場を収めるために彼氏と伝えた方がいいと判断した俺は口を開いた。

「そ、そうです……」
「「…………」」

精一杯だった。自分なりに嘘を吐いた。これが限界だった。だからもう何も聞かずにベンチから退いてほしかった。
ベンチに座る二人は俺を見て呆気に取られ、口をぽかんと開けている。最初にこの珍妙な空気を破ったのは、ぷっと吹き出した笑い声だった。その子は口を抑えて笑いを堪えているようだけど、まるで抑えられていない。けれどもその様子におじいさんは俺を彼氏だと解釈したようで、俺の肩をポンポンと叩き仲が良くて羨ましいよと呟き去っていった。
その背中が見えなくなったところで、おじいさんが腰掛けていたその場所へ腰を下ろした。

「いつまで笑ってるんだ」
「だって、何今の顔……!」
「苦手なんだ、嘘吐くの」
「それにしたって、」
「食べないと溶けるぞ」

もうこれ以上この件については掘り下げないでほしかった。手に持つジェラートは既に部分部分が若干水っぽくなっている。向こうのテラスで食べていたら日差しのおかげですぐに溶けるからこっちの日陰で食べていたのかと点と点が一本の線で繋がった。
俺に言われて漸くジェラートをスプーンで掬い始める。

「味、聞いてなかったけど大丈夫か?」
「ああ、大丈夫です。なんでもよかったので。ありがとうございます」
「好き嫌いは?」
「多少あるけどでも、まあ、なんでも大丈夫です」

透明のスプーンで色鮮やかなジェラートを口に運び美味しい、と零す。美味しいのは本心だろうけど、なんでも、と含みを持たせたような言い方が気になった。拘りとかそういうのが、食べ物に限らずなさそうだなんて、会って二度目なのにそんなことを思ってしまった。

「学校」
「はい?」
「なんでサボったりしたんだ?」

暫く、隣で美味しそうにジェラートを頬張る彼女の横で穏やかな風と共に流れる緑の匂いを吸い込んでいた。身体中が自然で覆われたような心地の良さに当初の目的を忘れそうになっていたが、コーンを割る音がして我にかえり思い出した。
彼女は俺を見てああ……と口籠る。

「別に、特に理由はなくて」
「え、理由がないのに休むのか?」
「なんとなく……?」
「さっき色々って言ってたよな」
「色々考えた上でのなんとなく?」

俺にはよくわからない理論だった。学校は好きだった。パンを捏ねてから禰豆子を担いで学校に行き、善逸の服装チェックにいつも見逃してくれることにお礼を言って、けど冨岡先生には怒られる。昼休みはあまりにもご飯を美味しそうに食べる伊之助にお弁当を分け与えたりしながら、放課後はみんなで遊びに行ったりもした。
だから、理由もなく休むというのが理解ができなかった。

「まさか悩みを聞くぞ、なんて言ってくれるとは思ってなくて」
「何かあったのか心配になるだろう」
「うん、お兄さん優しい人なんだなーって一瞬でわかりました」

だからすんなり買ってくれるかなと思って、と言いながら割ったコーンを口にした。なるほど、俺はこの子の掌の上で踊らされていたというわけだ。
いつだったか善逸に、お前はすぐ人のことを信じるよな、なんて言われたことを思い出す。

「君はそういうの得意なのか?」
「そういうの?」
「人を思いのままに動かすの」
「……人により得意かもしれませんね」
「あまり感心しないな」

優しさに付け込まれるぞ、とも何度も忠告のようなものをされてきた。けど、幸い俺の周りにはそういう子はいなかった。と、思う。俺がそう思っているだけかもしれないが。
素直にその子へ伝えると、それには何も返答せずに残りのコーンを全て平らげた。

「ご馳走様でした。満たされました」
「それはよかった!」
「……思いのまま動かされただけなのに何で嬉しそうなんですか」

食べ終えた様子に笑顔を向けると、怪訝な顔をして俺を見つめる。何で嬉しそう、と問われても、答えはいたってシンプルだった。

「理由はどうであれ、君の役に立てたなら嬉しいよ」
「……」

結果、俺がしたことはただこの子の思い通りに動いたまでだけど、人の役に立てることは素直に嬉しいから、その通り伝えた。
その子は表情を変えずに俺を見ていたけど、一度立ち上がり背を向けた。どこへ行くのかと追おうとしたけど、近くの蓋つきのゴミ箱へスプーンを捨てに行っただけだった。
戻ってきて俺の隣へもう一度座り直す。

「だからお兄さんはみんなから人気なんですね」
「……そうかな?」
「そうでした」
「はは、でも俺が作ったパンでみんなはまだ笑顔にできてない」

あくまで、開店前のあの時間だけだった。俺が作るパンを求めて来ている人たちではない。決して不味いわけでもなくむしろ美味しいとは評判だけど、店には並べられない。並んだとしても、今のままでは霞んでしまうだろう。

「俺は店に来てくれた人、みんなを笑顔にしたいんだ!」

これを食べれば嫌なことも忘れて笑顔になれる、そんな幸せを呼ぶパンを作りたい。そんな決意表明を、この子にしたところで何も変わらないけれど真っ直ぐ目を見てそう伝えると眉間に皺を寄せていた。

「眩しい」
「ここ日陰だぞ?」
「そういう意味じゃないです」

ふう、と息を吐いて両手を絡めながら前に突き出し伸びをしていた。緑の空気を深く吸い込んでいる。

「みんなの内の一人は嫌だな」

それからぽそりと、儚げにその子が呟いた一言に、俺の思考は一瞬停止した。差し込む日差しが彼女を照らし、眩しそうに片手で光を遮っている。
静かに放たれた言葉は、俺の胸の奥底に浸透した。みんなを笑顔にしたい。ずっと、そう思っていた。俺はそれを目標にしていた。

「そういうの、わかるんですよね。ああこの人は、みんなに同じことを言っているんだなあって、特別な感じがしないというか」

吹き抜ける風のおかげで日差しは差し込んだり影になったりしている。平穏な空気が流れる緑溢れる公園の中、俺はどくりどくりと心奥から何かが湧き立とうとしていた。
多分、俺にアドバイスをしているわけでも否定しているわけでもなく、この子の中で思い出したことがあるのだろう。日差しを遮るのを諦め俯きながらそう零したその姿を見ながら、思考を張り巡らせた。
今まで俺は、誰に向けてパンを作っていたんだろうか。店に来るみんな、だった。それは一体誰なんだ。
漠然としていた。漠然と、学生に向けたパンを作った。味は確かだった。ただ、多分それは、誰にでも作れるものだった。

「まあ、私が誰かから一番に想われたいだけなんですけど。パン作り関係ないですね、すみません」
「いや」
「……、」

やけにスッキリした頭の中。謝るその子の手をとった。一瞬肩を震わせていたけど、気にせず俺は言葉を放つ。

「ありがとう!」

何ものにも代え難い高揚感が胸を脈打たせる。
もっと、もっとその人自身のことを考えなくちゃダメだ。だから、ずっと何かが足りないとそう言われてきたんだ。自分の作るパンを食べる人の姿が漠然としていた。
俺に瞳を揺らしたその子の手を放し立ち上がった。

「そろそろ行くな!今日は今までで一番美味しいパンが作れる気がするよ!」
「それはよかった、いってらっしゃい……」
「そうだ、名前!俺、竈門炭治郎!君は?」
「……です」

俺の勢いに押されがちになりながらも教えてくれた名前。目をパチクリとさせているに笑いかけた後、また、と片手を上げ一刻も早くパンを作りたくなった俺は背を向け駆け出した。

「あ!」
「!」
「学校ちゃんと行くんだぞ!」

思い出したように立ち止まり、俺の後を追うように眺めていたらしいへ振り返って声を張り上げた。

「……お兄ちゃんか」

が呟いた声は、聞こえるわけもなく俺は公園の湿った地面から乾いた石畳へと踏み出した。
日差し