手を繋いだこと以外は特に何も変わらなかった。それでも、今日は会えない、明日も会えない、明後日は会えるかもしれない、明後日は俺が駄目だ、なんて、毎日のようにやり取りをしている。
もどかしさを覚えてしまう気持ちはもう隠しようがなかった。
「はー……」
溜息を吐くと幸せが逃げる、と炭治郎くんはそう話していたけど、吐いてしまうものは仕方ない。
次に会う日がなかなか定まらない、というよりはなんとなく私が避けている。ベッドに寝転がって白い天井をぼーっと眺める。何も考えていないはずなのに浮かび上がってきてしまう。炭治郎くんが。
炭治郎くんは、どうして私に構ってくれるのか。子供でも、友達でもないって言っていた。嘘を吐く時の顔ではなかったから本当だろう。
だったら、恋人候補として見てくれているんですかって、聞けたらどんなに楽なことか。そんなことを真剣に聞けるわけがない。そもそも、かわされてしまったし。
柔らかいベッドの上で仰向けにしていた体を横にする。充電器に挿したままだった携帯の画面が明るくなって、メッセージが来ていることを知らせていた。
『来週の月曜日は?』と、予定を確認するものだった。生憎、学校終わりに予定があった。夜だけど。だからそのまま『出かける予定がある』と送れば、『それは誰とだ?』とすぐに返事がきた。それに対し私もすぐに返せば、私が持っている画面は着信画面に変わり、どくりと胸が鳴る。寝っ転がりながらも携帯を耳にあてがった。
「一人って、一人でどこへ行くんだ?」
「散策に……」
「それは俺も一緒に行ったらダメなのか?」
「ダメ……ではないけど、夜遅いし」
予定がある、と言ったのは、年に一度パリ市内で開催される秋の催しものだった。街中の至る所に芸術家たちがアートを繰り広げた作品が展示されたり、アーティストのパフォーマンスやパレードがあったりと、明け方まで盛大に行われるものらしい。
多分、去年もここにいた炭治郎くんが知らないわけはないと思うけど、それの散策と言えば、ああ、それか、とやっぱり知っているようだった。
「一人だと危ないぞ?」
「危なくないよ、人通り少ないところには行かないし」
「心配だから俺も行く」
炭治郎くんは、私のお兄ちゃんか何かだろうか。そうだ、あの時、子供でもないし友達でもないと言っていたけれど、もしかしたら私を放っておけない妹のように見ているのではないか、そんな疑念が頭を過った。
「夕ご飯、どこかで食べてから行こう」
「……うん」
「じゃあ来週な!また連絡する。おやすみ!」
「おやすみ」
通話が終わった画面を見て、興味はないだろうにと、なんだか悪い気がしてしまった。
けど、時間は決めてないけどいつもより長いこと炭治郎くんと一緒にいれることに複雑ながらも浮き足立ってしまっている自分もいた。馬鹿みたいだ。
私は今まで何度も見捨てられてきたのに、またこうして、ちょっと優しくしてくれただけで惹かれてしまう自分がいた。
それでも、当日は学校から一度帰っていつもより化粧も髪も時間をかけて、服も散々悩んでから玄関前の姿見鏡で変なところはないか念入りに確かめて扉を開けた。
すっかり日は沈んでいるけど、普段オレンジ色の街灯がほんのり街を照らす景色とは一転、随所に現代アートのような展示物が設置され光を放っていた。
待ち合わせていた場所はいつも入るカフェや公園がある場所ではなく、パレードが通る川沿いの駅で、到着するとまだ15分前にも関わらずその姿があった。
「ごめんね、お待たせ」
「ああ、
」
「ていうか、来るの早くない?」
「こんな夜中に一人で待たせてたらまた誰かに声かけられるだろう」
またって、公園でナンパしてきたあのおじいさんのことだろうか。されたとしても、スルーできるから大丈夫なのだけれど。そもそもナンパなんて昼も夜も関係ない。変な人の割合は夜の方が多いかもしれないけど。
いつから待っていたのか、申し訳なくなってしまう。次から到着時間を知らせよう、と思ったけど、当たり前のように次があると思ってしまっている自分に気付いて嫌悪した。
少しヒールが高めのパンプスを履いてきたから、普段より炭治郎くんと目線が近い。服に合うような靴にしたけど、間違いだったかもしれない。履き慣れていないし、見た目しか考えていなかった自分が情けなくなった。
「……?」
「……ん?」
行こうか、と言う炭治郎くんにふと、いつもと違う香りがほんのりとしたのを感じた。気になってじ、と見据える私に炭治郎くんは瞬きを繰り返す。
「、え」
爪先立ちをして更に距離を縮め、合間に何かくぐもった声が聞こえたけど気にせず、すん、とその香りの元であろう髪の毛の匂いを確かめる為に耳元辺りに顔を寄せると、やっぱりそうだった。
「シャンプーの匂い」
そのままそこで呟いた。いつも会う時は炭治郎くんは焼きたてのパンの香ばしい匂いを漂わせているけど、今は違くて、爽やかな香りがふわっと鼻を掠める。
踵を地面へコツ、と音を鳴らしながら戻して、いい匂いだね、シャンプー何使ってるの、なんて世間話を始めようとしたけど、できなかった。言えなかった。
目と鼻の先にいる炭治郎くんは頬を赤く染め上げ、口元を抑えて私から目を逸らした。自分が何をしたのかを理解して私までもそれが移ってしまうのを肌で感じた。
「心臓に悪いことするの、やめてくれないか……」
「……ごめんなさい」
わざとらしくそんなことをしたわけでは決してない。だからといって、無意識のまま炭治郎くん以外の人にもするのかと聞かれたらそれはしないと思うけれど。炭治郎くんは、顔を寄せた私を避けたり止めたりはしなかったけど、きっと驚いて固まっていただけで。もししてたら、……どう思ったかな。
少しだけ気まずくなってしまったけど、炭治郎くんは一つ息を吐いて、じゃあ今度こそ行こう、と口を開いたのでそれについて行った。
「炭治郎くん、明日仕事は?」
あまり詳しくないから管理人さんに美味しいと言われた店を教えてもらった、と言われるがままについてきたお店は、店前の木製の椅子にメニューが書かれた黒板が立て掛けてあるカジュアルめなお店だった。
高級なお店も周りには沢山あるけどここは知る人ぞ知る、という感じのアットホームな空間だった。だからか、ふわふわしていた気持ちもほんのり収まっていく気がした。
けれども、管理人さんって、女の人だろうか。何歳くらいで、どのくらい仲がいいのだろうか。この場所を教えてくれた、間接的な恩人なのにバリバリに嫉妬してしまっている忙しい心を落ち着かせるため、一通り注文し終えた後に話を切り出した。
「明日は休み。だから夜遅くても大丈夫なんだ」
「……そっか」
「
は?」
「午後だけ。学校がこれに行けって言ってるようなものだから」
自分で聞いたくせに、明日午前中はお互い何もないことにそわそわしてしまう。だってほら、シャワーも浴びてきてしまっている。なんてはしたないと、本当に自分が嫌になる。絶対に、そんな雰囲気になるはずないのに。
そうなんだ、と炭治郎くんはいつも通りだ。お店に静かに流れるピアノのメロディーがやけに耳に響く。
「お酒、飲んでいいですか」
「え、飲むのか?」
「ダメ?」
「いいけど……」
お酒を飲むのに断りなんて必要だっただろうか。でも、一緒にお酒を飲んだことはないしなんとなく聞いてみたら、少しだけ瞳を大きくさせた。飲まない人だと思われていたのかよくわからないけど、お酒の力を借りないと私はロクに炭治郎くんと話せないと悟ったのだ。
スタッフさんを呼んでメニュー表を指差しながら伝える。炭治郎くんにも聞いたけど、俺はいいと言われてしまった。私が帰れなくなったら困るだろうって。これでは本格的に、私は炭治郎くんの妹だ。
折角美味しい料理が出てきたのに、落ち着かない。会話を続けながら、時たまその笑顔が胸を締め付けるので、壁に飾られた絵画へ視線を逸らしていた。
グラスが空になるのが三杯目辺りで、食事も済ませて外を歩こうという時だった。
「払う」
「いいって」
「やだ払う」
「じゃあ、今度コーヒー奢ってくれるか?それでいいから」
お手洗いにいけばいつの間にかに終わっていたお会計に、お酒も混じり駄々を捏ねるように言い寄ったけど、結局制されてしまった。
私だけ散々飲んでしまったのに。
さあ行こう、と椅子を引いてお店を出る。入口が若干段差になっていて、慣れていない靴のせいかふらついてしまった。
「大丈夫か?」
「……うん」
よろけた私を炭治郎くんは腕を掴んで支えてくれた。お酒のせいで、若干体が火照っている。決して、今炭治郎くんがそのまま私の手に指を絡ませているせいではない。
前髪を揺らす夜風が、熱くなる身体を冷やしてくれるようで涼しかった。
「やっぱり俺飲まなくてよかった」
「ふらついたのはお酒のせいじゃないです」
ふわりと笑う炭治郎くんに言い返してしまった。お酒飲むと、子供っぽくなるって言われたことがある。それが面倒臭い、と。
「足平気か?」
「うん」
いつもと目線が違うのに、炭治郎くんも気付いてくれたのだろうか。それは聞かないまま、手はそのままにアートに彩られた川沿いを歩いていた。途中、人混みがすごくてパレードが近くでやっているのがわかったけどまるで見えなくて、とにかくはぐれないようにだけ手だけはしっかり握っていた。
世話の焼ける人間だと思われているのか、そうでなくて期待してしまってもいいのか、光が煌めく街並みを歩く中でただただ答えがほしいと願っていた。
ビストロ