白夜
人混みを通り抜けて、床板が木製の橋を通りかかった。橋の向こう側には屋根が球状になっている宮殿のような建物がライトアップされていた。
歩行者専用となっている橋を歩くとコンコンとヒールのおかげで独特な音が木の音が鳴り響く。
橋の片側に三つ四つ寂しく並んでいるだけの街灯に近付くと木の板の僅かな隙間から真下の川が見えた。

「ここの柵、前は南京錠で埋め尽くされてたんだって」
「へえ、そうなんだ。どうして?」
「恋人たちが自分たちの愛に鍵をかけて、その鍵を川へ投げ入れることで永遠の愛が手に入れられるって」

それなりに歩いたせいで、足が痛くなってきてしまった。それをバレたくなくて、ここへ来る前に得ていた知識を話しながら橋の真ん中に設置されている木製のベンチへ腰掛けた。

「詳しいな、そういうの好きなのか?」
「……それなりに」

でもないけど。多分私は、そういうのに少なからず憧れを持っているのだ。自分で誰かとそういうことをするのなんて、想像しただけで恥ずかしさに火が出そうになってしまうけど、いいなって、普通に思ったりする。

「炭治郎くんは、こういうの興味あるの?」
「こういうの?」
「あまり興味ないでしょ、アートとか」

人並みに、隣ですごいなって光を放つ展示物に感想を述べていたけれど、そこまで興味があるとは思えない。
炭治郎くんはそういうことか、と呟いた。

が好きなものに興味があるから」
「……そんな、物珍しいもの見るような感じで言わないでください。初めて言われた、そんなこと」
「そうなのか?」
「変わってるね」
「はは、なら変わってていいや」

それは一体どういう意味なのか。よくわからない。よくわからないことが沢山、増えていく。わかっているのは、私の中のこの気持ちだけだった。
目の前で流れる川に、ナイトクルージングの船が通りかかる。ああいうのも素敵だなって思うけど、きっと私に縁はないのだ。

「このイベントの名前、眠らない夜って言って、太陽が一日中沈まない白夜にちなんでつけられたんだって」
、酔うと結構喋ってくれるんだな」
「……」
「黙らないでくれ」
「炭治郎くんの隣にいると、いつもそういう感じになるの。真夜中なのに太陽に照らされてるみたいになる」

内側から光が溢れる船を眺めながら、思っていることを初めて炭治郎くんの前で言葉にした。私が眩しいって言っていた理由はこれなんです。
炭治郎くんの言う通り、私は酔うと少し饒舌になる。反応がない炭治郎くんをちらと横目で見れば、ばちっと一瞬だけ目が合ってすぐに逸らされた。

「初めて、そんなこと言われた。俺はそんな大層な人間じゃないぞ」
「みんな言わないだけで思ってるよ」
「みんな……」
「……」
「みんなに思われてても、にそう思われてるのが、一番嬉しいかもしれない」

困ったように笑うから、今度は私が顔を逸らしてしまった。もっとお酒飲めばよかった。明日になれば記憶がなくなっているくらいに。それくらい私は恥ずかしいことを言ってしまった気がする。
口を噤んでいると、炭治郎くんは立ち上がった。手はずっとそのまま。

「折角なんだ、もう少し色々見に行こう」
「……」
「足大丈夫か?」

いつも、こんなに聞かれないのに。やっぱりヒールが高いパンプスを履いていることを気にしてくれているんだ。
夜で本当によかった。自分がどれほど顔が赤いのかは今、わからない。

「大丈夫じゃない」
「じゃあ、もう少し休もうか」
「おんぶして」

俯きながら、駅まで送って、と、小さく小さく呟いた。
引いただろうか。私は、元々こういう面倒臭い女なのだ。優しくされたら、簡単に期待してしまうしそれ以上に甘えてしまう。
炭治郎くんは今までずっと繋いだままだった私の手を放した。咄嗟に顔を上げてしまったけど、炭治郎くんは私に背を向け屈んでくれていた。
控えめに炭治郎くんの背中に身体を預けながら肩に腕を回すと、膝裏を抱えられてひょいと持ち上げられた。

「君、酔うとそうなるんだな」
「……酔ってない」
「はいはい」

呆れたように笑いながら話す炭治郎くん。
目を閉じて、肩に回している腕を更にぎゅ、と強めながら頭におでこをくっつけると、爽やかな匂いが鼻を掠める。揺れる髪の毛がくすぐったいけど心地いい。
思ったよりも広かった背中に胸がどくりどくりと響いている。

「重い?」
「重いとでも言うと思うのか?」
「重いよ、私」
「そんなことない」

体重の話では、ないんですけどね。真意は口にしないまま、回した手のところでちょうどゆらゆら揺れていた花札のピアスに触れた。

「昔、禰豆子が朝弱くて毎朝担ぎながら学校行ってたのを思い出すよ」

駅に近づいて来ると、人通りも増えて来る。多分ここまで歩いてきた中に心を震わせるような展示もあったのだろうけど、目を閉じていたからわからない。少しもったいないことをしてしまったと思いつつ、禰豆子ちゃんのことを思い出された方に意識を持っていかれた。
やっぱり、妹か。
今日終電何時までだっけ、朝まで動いてるよ、なんて同い年くらいの人たちの賑やかな声が聞こえて来る。
ズキリと胸が痛む感覚がそうさせたのか、その声に被せるように、そっと口を薄く開いた。

「好き」

聞こえるか、聞こえないか、幻聴か聞き間違いか、そのくらい小さい声で。
気付いてほしかった。でも気付いてほしくなかった。私は弱いから。振られてしまうのが怖いから。

「……、
「なに」
「……いや、なんでもない」

何も私は言っていない、そんな声色で返事をすれば、炭治郎くんからそれ以上何かを問われることはなかった。
地下鉄には入らずに、タクシーで帰ろうとここで大丈夫、と降ろしてもらった。
今日はありがとう、って、炭治郎くんは私へお礼を言った。それはこっちのセリフなのに、どうしてそういうのが炭治郎くんは心の底から言えるのだろう。その人柄に惹かれるのはきっと私だけじゃない。
こちらこそ、なんて短く返して、眠らない夜のはずがいつもより少しだけ長い夜になっただけで終わった。
車の窓に頭を預けて空を眺めていた。星は全く見えない。それでも私の心の中よりは綺麗な夜空だなと、家に着く間ぼんやりと瞳に映していた。

次の日、途端に昨日自分がした言動が恥ずかしくなった。穴に篭りたくなって、とにかく謝らないといけないという使命感に駆られ、目覚めた昼前に昨日はごめんねと連絡を入れた。すると、『慣れてるから大丈夫』と返ってきた。
おぶられたことだけではないのだけど、その他は改めて深く聞き返されると私もなんとも言えなくなってしまうのでありがたかった。

「ねえー昨日炭治郎といたでしょ、私見ちゃった!」
「え」

昼過ぎに教室へ到着すれば、私を見たクラスメイトが開口一番にそう話した。
学校単位でパリの芸術を楽しめ、なんて言われていたけど、人も多いしパリと言っても市内の至る所で色んなパフォーマンスがあったから知り合いに見つかるとは思っていなかった。

「誰?炭治郎って」
の未来の彼氏」
「いや、」
「ああ、もう彼氏になった?」

話を聞いていたもう一人の子がこちらに顔を向けて楽しそうに話に入ってくる。
そうなの?と瞳を輝かせる。本当にこういう話題が好きなことが窺える。彼氏じゃないと首を横に振れば残念そうにするのがいかにも、だ。

「でも好きなんでしょ?ね?そうだよね?アルフィじゃないよね?」
「アルフィではないよ」
「炭治郎だよね?」

二人でいるところを一瞬見られただけなのに、そんなに私が炭治郎くんのことを想っているのがダダ漏れだったのだろうか。もしくは、自分が安心したいからあまりよく知らない炭治郎くんを私にプッシュしているのか。
でも、どちらにせよその問いにわからないなんてもう言えるはずがなくて。

「うん……」
「よかったー」
「今度会っても前みたいにあまり色々言わないでね」
「オッケー!」

安堵しているクラスメイトに一応念押しをする。
今度って、あるかはわからないと思っていたけど、昨日炭治郎くんが言ってくれた。今度コーヒー奢ってくれ、って。
次、コーヒーだけではなくランチくらいは私が出したいので、一日置いた後に次いつ会えますか、と送ったその日の夕方のことだった。


『もう会わないから。店にも来ないでほしい』


返ってきたメッセージはそれだった。
それを見た瞬間、胸が張り裂けそうだった。
私は、振られたのだ。優しさに付け入って、我儘しすぎたせいだ。
日差しが降り注ぐ炭治郎くんの周りはずっと明るくて温かい。けれど、私に夜が明けることはないと、幸せなんて訪れないと、夢から覚めた現実を改めて突きつけられた気がした。
白夜