イチョウ並木
日本と同じように、この地にも四季があるのは知っていたけど、街の景観や設置されている街灯がアンティークなだけあって、路上に植えられた木々が紅色に染まる景色が新鮮だった。
バイトも入っていない今日、ある程度散策も済んだ今は家に帰ってゆっくりしているのがお決まりであったのだけれど、あまりに綺麗に染め上げられた紅に惹かれて折角だから紅葉の写真でも撮りにいこうかと思い立った。
写真フォルダにもここでの写真が増えてきた。どんな撮り方をしてもおしゃれに見えてしまうので写真の腕が上がったような気にもなってしまう。風景ばかりで人とか食べ物の写真は少ないけれど。あって公園で最初に食べたジェラートやカフェでのラテアート、あとは炭治郎くんから貰ったパンくらいだった。

「……」

公園へ行く途中、炭治郎くんが働くベーカリーの少し手前で立ち止まってしまった。一番最初に貰ったパンも美味しかったし、公園で話してから貰ったパンも、差し入れに持ってきてくれたパンも全部美味しかった。


ーー炭治郎のこと好きじゃないなら、ハッキリとそう示してーー


買いに行こうか、迷った。紅葉で彩られた公園でベンチに座りながらゆっくり食べるのも悪くない。悪くないけれど、この前言われたことが頭を過った。
正直私は、炭治郎くんが働いているから買いに行くか迷っているところはある。そんな邪な思いを持って買いに行くなんて失礼にあたるんじゃないか、と。
外壁が深緑色の店内に近付いて、こっそりとお店の端からガラス越しに店内を覗いた。今日もマカロンちゃんは元気に笑顔を振りまきながら接客をしている。きっと、学校や仕事に行く前にあの笑顔を見れることに付加価値を見出しているお客さんも多いのだろう。
それをじいっと見ていると、常連のお客さんのような老夫婦と、確かボスさん、と炭治郎くんが呼んでいた人が話している声が傍で聞こえてきた。お店の入り口の方で何やら話し込んでいる。

「お!」

本当に気さくそうな人だな、とそちらも見ていると目が合ってしまった。それだけではなく、多分私へ片手をひらりと上げられたので、ろくに会話だってしたこともないのにそのフレンドリーさに圧倒させられながらも軽く会釈をした。
老夫婦との会話を終わらせて、その人は中へ入っていった。炭治郎くんは、私のことをあの人に話しているのだろうか。だから片手を上げられたのだろうか。もしそうだとしたら、私はなんて言われているのか。知り合い、いや、友達、かな。炭治郎くんは多分、少し話せばみんな友達だと認識しそうな人のような気がした。

!」
「!」

お店のガラスに片手をついて俯きながら悶々としていると、今考えていた人の声が真横から降ってきて肩が飛び跳ねた。多分、素敵だとは思うけど私が苦手な表情をしているだろう炭治郎くんに恐る恐る顔を上げると、やはりそうだった。
前よりも、眩しく輝いて見えてしまっている。

「会いに来てくれたのか?」
「ちが、」

お店に入らない私を、きっとボスさんが会いに来たと勘違いして炭治郎くんにそう伝えたのだろう。
違う、と声に出そうとした言葉を濁す。まごつく私に炭治郎くんはきょとんとしている。

「……うん、そう」

顔は見れなくて、足元を見ながら小さくそう呟いた。嘘を吐いても、きっとバレるのだろう。心の中で盛大に溜息を吐いた。

「でも、パンも買おうと思ってたの。公園に行こうと思って」
「公園?」
「紅葉を、観に行こうと思って」

言い訳がましいことも付け足して、つらつらと言葉を重ねた。好きじゃないなら、ハッキリそう示せと言われたけど、それはもう会わないということになるのだろうか。離れるならきっと今の内なのかもしれない。それは自分でもわかっているけど、でも、無理だと思った。
ガラス越しの店内にいるであろうその子へ視線を向けると、接客をしながらもこちらに気付いている様子だった。

「炭治郎くんが作ったの、買ってくね」
「一緒に行こう!」

早くこの人から離れたいと、顔を俯かせたまま横切ろうとした私の腕を掴まれた。これだけで、私の心は騒ついてしまう。

「もう今日は上がりなんだ、少し待っててくれるか?パンも俺が買う!」
「え、いやそれは、」
「嬉しいんだ、会いに来てくれたのが」

見上げた炭治郎くんは、眉を下げて、薄く頬を赤く染め上げながら笑っていた。その表情に私は断ろうと思っていたのに言葉が出なくなって、こくりと頷いた。後でな、と告げる炭治郎くんの背中を見送って、マカロンちゃんの刺々しい視線が痛いのでお店の死角になるところで待っていた。
まだまだ日の入りは遅くて、時間は夕方にも関わらず昼間のような明るさだった。行き交う学生や観光客、犬の散歩をしているマダムを眺めていると本当にほどなくして炭治郎くんが戻ってきた。
夕ご飯はまだ一緒に行けていないけど、会うときはいつもカフェに入ったり公園を歩いたり。だから今日炭治郎くんと公園を歩くことは何も変わったことではないのに、私の気持ちが変わってしまっているせいで落ち着かなかった。

「わー……綺麗」

葉が色付き始めてからはこの公園には足を踏み入れてはいなかった。ジェラートを食べていた場所は足元が秋色の絨毯で敷かれているようだった。
同じ場所なのに、あの時とは景色がまるで違うイチョウ並木は、あの頃よりも落ち着いた雰囲気を漂わせていた。
途中、ジェラートを買ったお店で今日はコーヒーを買って、空いているベンチに座った。ただ二人でいるだけよりも、こうして目的があれば心の中の騒ついた気持ちもいくらか落ち着く気がする。
スリーブのついたコーヒーを口にして、ホッと一息吐いた後、写真を撮ることを思い出して携帯を取り出した。

「写真、本当に好きだよな」
「人並みだよ、多分」
「俺も撮ろう。禰豆子に送ったら喜びそうだ」

コーヒーをベンチに置いて、向かいのイチョウ並木へカメラを構える私を見て炭治郎くんも携帯を出した。一瞬映ったロック画面には通知が沢山来ていた。私とはまるで違うな、なんてそういうところで違いを突きつけられたような気がした。私なんて今は炭治郎くんくらいしかメッセージを送ってくれる相手はいないのだ。あとはたまに叔母さんか、マリーさんのシフトの連絡くらい。
離れていても炭治郎くんと連絡をとっていたいと思う人は沢山いることなんて、考えなくたってわかる。

「……禰豆子って、誰?」

それでも、炭治郎くんからでてくる女の子の名前に気にならないわけがなかった。
カシャ、と隣で音を鳴らせる炭治郎くんへ呟く。
写真を撮るのも忘れて携帯を膝に置いた私に、炭治郎くんはあれ、と声を上げた。

「そっか、話してなかったか!妹だよ、禰豆子は上から二番目で長女なんだ」
「妹、」
「ああ!もう春には帰るのに、電話する度に早く帰って来てってよくせがまれるんだ」

家族の名前だったことに胸を撫で下ろしたけれど、今さらりと告げた一言にまた胸がズキリとした。
春には、帰ってしまう。
ずっと一緒にいられるなんてそんなことを思っていたわけではないけれど、その事実に影が差した。
炭治郎くんには、待ってくれる人がいる。おかえりってその帰りを待ちわびている人がいる。
持っていた携帯をぎゅ、と握り締めた。

「仲良しなんだね」
「うん、喧嘩も滅多にしないよ。ああでも、一番下の六太は結構騒がしくて叱ったりは多かったけど」

嬉しそうに、懐かしむように炭治郎くんはそう話した。炭治郎くんも、早くみんなへ会いたいと思っているのだろう。
いいな、と素直にそう思う自分と、嫌な感情が押し寄せる自分に思わず溜息を吐いてしまった。

「何の溜息だ?」
「え、吐いてた?」
「思いっきり」

心の中で吐いたと思っていたのに、表に出てしまっていたらしい。私のこの複雑な感情、匂いでわかってしまうんじゃないかと思ったけど多分、炭治郎くんはあまり言わないようにしているのだと、なんとなくそう思った。
何の溜息だろう、これは。会うたびあなたに惹かれていく溜息です、なんてそんなことだって言えるわけもなく。

「幸せが逃げるって言うぞ」
「幸せ……、そうだね」

逃げる幸せもないから大丈夫、と言おうと思ったけどただの構ってちゃんな気がしたからやめた。慰めてほしいわけでもない。
巡る思いを振り切るように、一枚も撮っていなかったイチョウ並木へもう一度携帯を向けて写真を撮った。

「……、」
「あ、!」

私を呼ぶ炭治郎くんの声に被せるように、少し離れたところから高めの声が聞こえた。そちらへ顔を向けると、落ち葉が広がる開けた道からこちらへ駆けてくるクラスメイトがいた。
学校が近いから、会っても不思議ではないのだけれど、反射的になぜだかまずいと思ってしまった。
私へ駆け寄って来たその子は、当然のように私と炭治郎くんを交互に見る。

「彼氏?友達?」
「友達」

絶対に聞かれると思ったから、間髪入れずにそう答えた。動じたりはもうしない。カフェでの二の舞になる。
平坦に答えた私にクラスメイトはそっか、とつまらなそうに一言。
クラスメイトです、と話すその子に律儀に炭治郎くんは自分の名前を教えていた。

「炭治郎はずっとこっちにいるの?」
「いいや、春には帰るんだ。家族が待ってるから」
「へえ、家族思いなんだね!」

私はこの子と打ち解けるのにある程度時間がかかったにも関わらず、炭治郎くんはリズミカルにポンポンと会話を続けていた。こうして、彼は友達を自然と増やしていくのだろう。
温くなってしまったコーヒーを飲みながらその様子を見ていると、その子は私へにこやかに笑顔を向けた。

、家族思いの人が好きって言ってたよね!いいじゃん炭治郎!」
「えっ」
「お似合いだよ!とても!アルフィなんかより全然!」
「待って、好きとは言ってな、」
「あ、そろそろバイト行かなきゃ!じゃあまたね~!」

最近、私と同じようにバイトを始めたと言っていた。チョコレート屋さんと言っていたような気がするけど、そんなことは今はどうでもよかった。
陽気に片手をヒラヒラとさせて背を向け去っていく。
嵐が去った後のような静けさが炭治郎くんとの間に流れ、嫌な汗が吹き出してしまいそうだった。非常に気まずい。


「……」
「なあ、
「……はい」
「アルフィって?」

だらだらと心の中で冷や汗を滝のように流していたけど、聞かれると思っていたことは掘り下げられず、私にとってはまるで気にしていなかった箇所を炭治郎くんは疑問に思ったようで。
よかったと思いながら炭治郎くんを見れば、真剣な眼差しをこちらに向けていた。

「クラスメイト……」
「……好きなのか?」
「え、いや、アルフィが好きなのはさっきの子」

いつの間にかに、太陽は沈みかけて辺り一面はオレンジ色が広がっていた。黄色が広がる木々に差し込むオレンジ、目の前には赤みがかった瞳と、温かい色で包まれているのに私の心の中は穏やかではなかった。
答える私に炭治郎くんは、そっか、と真っ直ぐ私へ向けていた視線を目の前のイチョウ並木へ戻し頬を綻ばせていた。
そんな反応、やめてほしい。私が、期待してしまうから。
家族思いが、っていうところには触れないくせに、よくわからない。
それからは、今日お店であったこととか、ほぼ炭治郎くんが話をしてくれて私は相槌を打ちながらたまに質問して、薄暗くなって来たところで今日はそろそろ帰ろうか、と切り出された。
先に立ち上がる炭治郎くんは私へ手を差し出す。

「暗いから」
「私は、子供じゃないんですけど」

今までも、この暗さの時に一緒にいた時は何度もある。何を今更、と思いつつその手を無視することはできなかった。けれども自分の手を伸ばすかどうかも躊躇っていると、炭治郎くんは包み込むように私の手をとった。

「子供として扱ってるわけじゃない。もっと言えば、友達でもない」
「……じゃあ、なに」

歩き出して、そう尋ねる私に、炭治郎くんは眉を下げて微笑むだけだった。
イチョウの葉がヒラヒラと舞って、どこからかハーモニカの音が聞こえてくる中、途中重ねただけだった手の繋ぎ方をさりげなく変えられた。
イチョウ並木