ライトアップ
お花が描かれた丸皿に魚介料理が食欲を唆る香りを漂わせている。前のお店も美味しかったけど、ここも美味しいねと話せば外れないから助かっている、と。管理人さんのネットワークに感謝しつつも私は終始落ち着かないままだった。
ただ、私が何か話題を振らずとも炭治郎くんが話を続けてくれるのでとても助かった。

「え、辞めちゃったの?」
「うん、もう今日で辞めますって連絡が来たらしい」

頬が蕩けるようなその料理を喉へ通した後、炭治郎くんの話に目を丸くした。どうやらあのマカロンちゃんは炭治郎くんへ平手打ちをした後に、出勤前であるにも関わらずお店を飛び出してしまったらしい。
後から今日は休むという連絡どころかもう出勤しません、と連絡が入っていたようで。

「俺のせいでもあるから申し訳ないよ」
「いや、違うと思うけど……」

眉を下げる炭治郎くんにそう呟いた。そんなことはないと思う。多分。決して。
炭治郎くんは、自分が関わった人に何かあるとかなり気にしてしまうタイプなのかもしれない。だから、もしかしたら誰にでもあんなに優しくて、それは気に病んでしまう自分を無意識に守っている為でもあるのかもしれないと、私にはそう見えた。

「いい人がいればいいんだけどな」
「……そうだね」

それは、本気でそう思っているのだろう。本当に、優しい人だ。心の広い人だ。私が管理人さんにでさえ嫉妬していた器の小ささが恥ずかしくなるくらいには、私とはまるで違う類の人だと改めて思わされた。

はこっちに馴染むの早いよな」

思い付いたように、炭治郎くんは話題を変えた。私もこの話題はあまり心臓に良くはない。
お酒は禁止と言われた為、テーブルに置いてある水を一口飲んで喉を潤わせた。

「そうかな」
「もう土地勘だって大分あるだろう?」
「それはそうかもしれないけど、でも今だって迷うことはあるよ。携帯ないと多分近場でも迷子になってる」

ここへ来てから、私はまだそんなに経っていないし。そんなに経っていないのに炭治郎くんとは時間よりも一緒にいる気がするのは、それほど私にとって濃い時間を過ごしているからだ。炭治郎くんにとっては、どうだろう。
そう話す私に炭治郎くんは珍しく弱音らしきものを吐いた。

「俺、最初はとんでもないところに来てしまったと思ったよ」
「そうなの?」
「ああ、気付いたら財布は盗まれてるし変なもの売りつけられそうに……というより売りつけられたし」

来たばかりの頃を思い出してか、苦笑いを浮かべた。元々、断れない気質のような気がするからそんな姿の炭治郎くんが容易に想像できた。

「でも、友達に随分と励まされた」
「高校の?」
「ああ、そうそう、のことを話したら、それブロックされてるって教えてくれたのは善逸なんだ」
「えっ話してるの……」
「ん?うん」

当然のごとく、炭治郎くんは頷いた。
それは一体、どういうていで、私は話されているのか。そこがとても気になったのだけれど、どこか遠い目を向けて話す炭治郎くんに私はどくどくと鳴らせていた胸を鎭ませた。

「友達というか、兄弟みたいなものだけどな。善逸と伊之助は」

家族が待っていると、炭治郎くんはいつもそう話している。それを聞いて、私は言葉通り禰豆子ちゃんたちのことかと思っていたけれど、多分違った。
その中に、今炭治郎くんの瞳に映るのはきっと、血の繋がりだけではない大事な、大切な人たち。
炭治郎くんのような人だから、きっと、兄弟とは言わずとも帰りを待って、炭治郎くん自身も早く会いたいと思っている人がもっと沢山いるのだろう。

「待ってくれてる人、いっぱいいるんだね」
「……うん、でもこっちでの生活も楽しいよ。は?」
「楽しいよ。炭治郎くん、前に私に会えてよかったって言ってくれたでしょ?あれ、すごく嬉しくて」

静かにそう零しながら、手にしていたフォークを一度お皿の上へ置いた。
誰かに必要とされることなんて、今までないに等しかったから。もしいたとしても、そうやって直接言葉にして、私に伝えてくれるような人はいなかった。
炭治郎くんは、私に救われたと、私のおかげで足りないものがわかったと話していた。きっとそれはほんの偶然にすぎなくて。私は、炭治郎くんの存在がそれこそ太陽ほどに大きくなっている。けれど私はきっと、炭治郎くんの特別でもなんでもない。何の取り柄もないくせに、運良くこの地で出会えて、運良く炭治郎くんの力になれただけ。
でも私はそれでよかった。むしろ、運だけでも良かったことに感謝した。

「だから、こっちに来てよかったなって思ってる。帰りたくないくらいには」
「……」
「て言っても、帰る理由も特にないんだけどね」

あくまでも、冗談らしく。小さく笑いながらそう呟いた。
黙って聞いていた炭治郎くんとの間に最初に頼んでいた肉料理が運ばれてくる。ソースの種類の説明をされて、自然と会話が途切れた。ウエイターさんが軽く頭を下げて戻っていったところで、炭治郎くんが何か話そうとするのを察した。

、」
「食べよう、冷めちゃう」

呼ばれた瞬間、手が止まっている炭治郎くんへ遮るように促した。
私は、私を待つ人がいないことを悲しいと思っているわけじゃない。少しだけ炭治郎くんが羨ましいとは感じるけど、それよりも、ただ炭治郎くんと私の間には深い溝があることを目の当たりにした気がした。

今日も炭治郎くんは払おうとしてくれたけど、それは断った。これは私に悲しい思いをさせた謝罪も含まれている、なんて言われたけど、それは炭治郎くんのせいではないし、奢られっぱなしでは流石に申し訳がたたない。渋々了承してくれた炭治郎くんとお店を出れば、少し歩こうと提案されたのでそれに頷いた。

「ライトアップされてるの近くで初めて見た……」

レストランに入る前、管理人さんと出くわした場所へ戻ると中心に聳える塔が艶やかに光を放っていた。真っ暗になる時間に、この辺りを歩かないのもあるけれど間近で見るそれは日中に見るよりも何十倍も綺麗だった。

「フランス革命の日とか、この辺り花火上がるんでしょ?」
「ああ、うん。綺麗だったよ。俺が祝われてるみたいだった」
「?」
「誕生日なんだ、その日」

携帯を出してカメラを起動させる。どうしたら綺麗に撮れるか角度を決めていると、不思議なことを話すから炭治郎くんを見れば笑ってそう答えた。
初めて知った、炭治郎くんの誕生日。夏なんだ。ぴったりだな、なんて。

「そうなんだ」

綺麗だったっていうことは、どこかで見ていたのだろう。ベーカリーの辺りからこの塔は見えない。誰と、見ていたのかな。来年の夏はもう炭治郎くんはいないから、一緒には見れない。
綺麗に撮れる角度も忘れてカシャ、と一枚ぼんやりとしたままシャッターを切った。

「……なあ、
「あ、ねえ、あっちいこうよ、ゆっくり見れそう」

携帯を持つ逆の手を炭治郎くんが包み込む。誤魔化すことなんてできないことはわかってる。でも、誤魔化したいという私の気持ちもきっと伝わっているだろう。
私が指を差した公園の入り口。そこへ入ると芝生の公園はライトアップされている塔を眺める人がそれなりにいた。公園は暗くて周りがよく見えずにいるけど、その分塔が綺麗に見えた。
開放されている芝生に座り夜風にあたる。もうだいぶ冷えてきた。触れている手だけが、ただただ熱くて。

「炭治郎くん」

周りは、カップルしかいない。暗いからよくは見えないけどシルエットでわかる。
みんな、目の前の塔を見ているのと、周りなんて気にしていないのと、仮に気にしていたとしても暗いから何をしていてもわからないような空間だった。
繋がれた手はそのままに、隣に座る炭治郎くんへ寄りかかった。

「今、何しても周りはわからないよ」
「……、」

いなくなってしまうのであれば、それまででもよかった。折角私は運よく炭治郎くんのような人に出会えたから、少しでも縋りたかった。
優しいなら、もっと、手だけじゃなくて、妹のように思わないで、温めてほしい。そのせいで後から身を削るような寂しさが襲おうとも、目の前の陽だまりに手を伸ばしたかった。
炭治郎くんは一度私の手を放し、両肩を掴んでぐい、とそちらを向かせた。暗くてよかったと心の底から思った。
ゆっくり、ゆっくり近付いてくる炭治郎くんに煩い胸の音を響かせながら瞳を閉じた。

「…………」
「……?」

けれど、待てども待てども、それは降ってこない。控えめに瞼を開けば、すんでのところで止まっている炭治郎くんと目が合ってしまい、けれども囚われたように、その瞳から目を逸らすことはできない。

は、嫌なのか?」
「……」

尋ねるように、そう零した炭治郎くんの手に力が込められたのが肩から伝わった。

「俺は、周りにそう思われていいと思ってる。というより、そう思われたい」

静かに、けれども芯のある声でそう続けた。胸の音が一層大きく聞こえる。
期待していたことは、勘違いではなかった。ちゃんと、私のことを想ってくれていた。
炭治郎くんは、真っ直ぐで、正直だ。私は怖いから、言葉なんていらないと思ってたのに。有耶無耶な関係でいいと、逃げ腰だったのに。そんな考え、炭治郎くんには頭の片隅にもないのだろう。だから、このまま進ませることなんてしたくないのだと、曇りのない瞳を見てそう感じた。

「ごめんね」
「、嫌だ」
「っ、」

私が呟いた一言に、炭治郎くんは一瞬瞳を大きく揺らして苦しそうな表情を見せた。掴まれた肩にさらに力が込められて、少し痛い。

「すまない、好かれてると思ってたんだけど、……何がダメなんだ、教えてほしい。遠回しに避けられてる理由もわからなくて。本当にすまない……」

徐々に声を小さく、萎れていく炭治郎くんの瞳は伏せられていく。絶対に、気付かれているとは思っていたから、もうその言葉には驚かない。
勘違いをしている炭治郎くんの頬にそっと手を伸ばし、触れると綺麗な赤い瞳は私を捉えてくれる。

「違うの、そうじゃなくて」
「……」
「炭治郎くんは、強いなって思って。私、弱くてごめんね」

好きなのに、縋りたいのに、自分に逃げ道を用意した。その優しさを、温かさを私は利用してしまおうとした。
そんな自分を好きになってくれる人がいることに、視界が滲んでいく。冷たい風が吹いても、頬に触れている手も掴まれている肩も、全部熱い。
本当に、ごめんなさい、私も小さく謝れば、炭治郎くんは私の肩を掴む手を緩めて少しだけ詰めていた距離を離した。

「そう見えるなら、俺は、みんながいたから強くなれたんだと思う」

真剣な面持ちで、決然とそう話した。
ピアスを揺らしながら、私と同じように炭治郎くんは片手を私の頬へ添える。

「だから、には俺がいるから。それでも強くなっていけばいい」
「……うん」
「俺、が好きだよ。は?」

さっき、自分で言ったくせに、もう確固たる事実であるのに。私の口からそれを聞くまではきっと、何もしないのだと。焦ったくもあったけど、その方が胸がいっぱいになるほど嬉しかった。
あの日の夜と同じように、けれどもはっきりと、優しく微笑む目の前の彼を見ながら答えた。

「私も好き」

ふわりと顔を寄せた炭治郎くんに、私はもう一度瞳を閉じた。
何度も確かめるように重ねられる、蕩けるような甘いキスにこのまま溺れてしまいそうだった。
ライトアップ