『昨日はごめんね』と届いたメッセージを見て、多少酔いが回っていたようだけど記憶はあるのだと安堵した。
色々と昨日の言動には確認したいことがあったけど、が応えてくれるかはわからない。
酔った時の人の言動には、あまり左右されてはいけないものだとは思っている。
呟いていた一言はハッキリと聞こえた。でもそれが本当なのか、匂いは嘘は吐いていないことがわかったけど、お酒が回ってあの時だけそういう気になっていただけかもしれない。腕を肩に回され、俺の背中に胸を必要以上に押しあてていたのだって、普段ならしないだろう。そういうのを気にしない子だとは思えない。もしも心臓が背中にあれば音が伝わっていただろう。

「炭治郎休憩行っていいぞー」
「ありがとうございます!」

昨日の休みは、一日中ずっと考えていた。どうしようもないことを。
今度、とに言ったからには勿論また、というかこれからも会うつもりではあったけど、連絡を取ることに躊躇っていた。
好かれてはいる、多分。けど、それと同時に悲しい匂いも入り混じっている。それが気になって、今までから会いたいと言われたことがなかったことも相まって、例えば他にももしかしたら好きな人がいたりとか、前付き合っていた人のことを忘れられずにいるのかとか、そんな一人で考えてもどうしようもないことに頭を悩ませていた。

「炭治郎ってアートとか興味あったんだね、去年そんなこと一言も言ってなかったじゃん」

帽子を取って木製の椅子に座り、テーブルに突っ伏しながら携帯を眺めていた。ポン、と通知が入って飛び起きたけど、善逸からで失礼ながらも落胆してしまった。
肩を下げる俺の後ろから、物を食べながら話す声が聞こえてくる。

「行儀悪いぞ」
「はいはいうるさいうるさい」

この子はいつも何かを食べながらも気にせず話しだす。手にしているお皿の上にのっているのはこの時期限定のモンブランだった。
俺の指摘には無視して隣に座り栗がささったままのフォークを俺へ向けた。

「一昨日、先輩が見たって。あの子といるところ」
「ああ、いたけど」
「好きなの?」

随分と乱雑に、吐き捨てるような聞き方だった。好き、というのは街を光らせていた美術品や音楽のことではなく、のことを言っているのはわかった。

「手繋いでたって。付き合ってるの?」
「付き合ってはない」
「じゃあ好きなの?」
「好きだよ」

知っていきたい、って思っているのは今でも変わらない。それに重なるようにして徐々に自身にも惹かれていった。多分、が俺に足りないものを教えてくれたあの日から、芽生えていたんだと思う。
すんなりと一言告げる俺に、フォークをカタ、と皿の上に置いた。俺の方へ身体を向け腕を掴まれる。す、と顔を寄せられた瞬間、何をされるのか察して身を後ろへ引きながら肩を押し返した。途端にまた面白くなさそうな顔を見せる。

「何よキスの一つや二つ。減るものでもあるまいし」
「彼氏いるんだろう?」
「炭治郎と付き合うまではね」

そう吐き捨てたように告げた後、ハアッと短い溜息を吐き、椅子に座り直した。減るものではないとは言ったけど、確実に、俺の中で何かが減るのは確かだ。減らないのだとしたらそれは、しかいない。
ふと、一昨日同じようなことがあったと思い出した。あの時は、顔を寄せられて、正直キスをされるのかと思った。ただ身体は今のように瞬時に動かなかった。そういう、一つ一つの小さな動きでさえにも翻弄されてしまっている。情けない。けどそれは好きだからという感情の上であることに違いはなくて、だからこそ以外の子とそういうことをするだなんて以ての外だ。

「どこがいいのよあんなハッキリしない子」
「……ハッキリしないか?というか、話したことあるのか?」
「え、ああ、お店に来た時、ちょっとね!」

二人が話していたことなんて見たこともないしどちらからも聞いたことがなかった。疑問を向けると、一瞬挙動不審になったのが気になった。嘘を吐いている匂いはしない。
それでも、隠し事をしていそうな匂いも鼻を掠めたけど、テーブルに置いていた携帯の画面が明るくなってそっちに気を取られた。
また善逸か、向こうは今はもう深夜だというのにまだ起きているのかと思いながら画面の内容を確認すれば、思いがけないメッセージが届いていて胸が熱くなった。

「うわ、なに、向こうも好きなの?炭治郎のこと」
「勝手に覗くな」

置いたままの携帯を手に取りメッセージは開かずに画面を暗くした。
からだった。それも、初めてから予定を聞かれた。『次いつ会えますか』と。自然と口元が緩んでしまいそうになるのを抑えて、シフトを確認してから送ろうと、浮き足立ったままロッカーへ雑に携帯を放り込んで階段を降りた。今日も何か新しいパンが作れそうな予感がした。

「休みたいとこあるなら変えてやってもいいぞ」

退勤間際、キッチンの壁に掛けられたカレンダーを見ながらシフトを確認しているとボスさんが俺の肩を叩いた。ニヤニヤと笑みを浮かばせながら。

「はは、いえ、大丈夫です」
「夜遅くデートしてたらしいじゃねえか、持ち帰ったのか?次の日休みだったか、」
「持ち帰ってません」

続けられる言葉に被せるように否定した。
次の日午前中は何もないと話していた時は、そういうのが頭に全く浮かばなかったと言ったらそれは、正直なところ嘘になる。だけど、まだ付き合ってもいないしはお酒を飲み始めてしまったし、そんな状態でそんなことできるわけがない。不誠実な人間だと思われてしまうだろう。
一人この店の知り合いに知られてしまうとどんなことでも従業員ほとんどにこうして話が回ってしまう。
それはこうしてシフトの交代理由に寛容になってくれるメリットでもあるにはあるけど、あれこれと聞き出されるのは複雑だった。

「男ならさっさと一発決めてやれ!」
「うわ!」

どんっと背中を押され、前によろけて頭を壁にぶつけた。鈍い音がなったが痛くはない。ボスさんは高らかに笑ってゆっくり大股でキッチン台へ戻っていった。
その後ろ姿にお疲れ様ですと声をかけ、直近のシフトを頭に入れた俺は二階の休憩スペースへ戻り、着替えるよりも先に携帯を開いた。が、おかしなことに気付いた。

「……ん……あれ?」

来ていたはずのメッセージはどこにもない。それどころか、の連絡先すら俺の携帯から消え去っていた。
間違えて消してしまったのか、いやでもホーム画面にメッセージが来たのを確認してから携帯は開いていない。そもそも、もしかしたらが送ってくれたメッセージ自体が俺の幻覚だったのかと疑ってしまう。

「お疲れ様~」
「あ、なあ」

気の抜けた声を出し首を回しながら休憩スペースに入ってきた、唯一の証拠人。声をかけた俺を面倒臭そうに見ている。

「さっきから俺にメッセージ来てたよな?」
「……そうだっけ?」
「え、いや、君さっきメッセージ覗き込みながら『向こうも好きなの?』って言っていたじゃないか」
「そうだっけ~?休憩中のことなんてそんな覚えてないよ、じゃあね~着替えるから!」

まるで俺から逃げるように、愛想笑いを浮かべてその子は荷物を持って更衣室へと足早に去っていった。
休憩室に残された俺の額にはじんわりと嫌な汗が流れてくる。
連絡先がわからないと、会えない。俺はの学校も今更だが知らないし、住んでいるところも知らない。

「……いや、バイト先は知ってるな……」

呟いた独り言が冷たい休憩室に溶け込んだ。
元々来たばかりの頃はバイトはしていなかったはずだけど、今、心底がバイトを始めていてよかったと思った。
ただ、あのカフェは終わるのが早い。なぜか俺の直近のシフトは遅番が続いていた。三日は音信不通が続くことになる。


「あら、じゃあ私が教えてあげるわよ」
「本当ですか!ありがとうございます!」

予定を聞かれたまま音信不通はまずいと、朝、出勤前にのバイト先を訪ねた。ラテアートが評判の奥さんへ経緯を説明して、せめて伝言を頼もうとすれば奥さん経由で教えてもらえることになった。
新しく登録され直したの連絡先。今までの履歴はなくなってしまったけど、とりあえずこれで一安心だった。
奥さんもとい、マリーさんと呼んでと言われたバリスタ渾身の栗が描かれたカフェラテを楽しんでから、店をでてに直近の予定の連絡を入れた。けれど、その返事は夜まで待っても返ってくるどころか、見てくれた形跡もなかった。
電話もしたけど、繋がらなかった。

「それお前、ブロックされてんだよ!」

試し、なんてまた失礼にあたるが、こっちが夜、向こうは朝の時間帯に善逸へ同じように電話をかけたら普通に繋がって、普通にでてくれた。
のことは善逸は知っている。俺が前にが描いてくれたというラテアートの写真を載せれば善逸だけ事細かに聞いてきて、それからこちらからは話はしないけど進捗があったかどうかを頻繁に聞かれていて、それに応えるというやり取りをしていた。

「……いや、がそんなことをするわけない!」
「ブロックだって!お前ブロックされたことないからわからないんだろ!それね、断言しますよ?100%ブロックですから!!」

ちゃんに何をしちゃったんだよ、と携帯の向こうからでも煩いと思ってしまうほどの喚きが聞こえてきた。

「でも、俺は何も、」
「しちゃったんだよ知らないうちに!炭治郎、お前は高校の時からそうだよ変わってないんだよ、女の子たぶらかすのもいい加減にしなさい!」
「たぶらかしてなんてない!」
「他の女の子にもやさし~く声かけたりしたんだろう?そりゃ自分だけが好かれているなんて思わないさ!まあ俺は誰に声かけてもあしらわれるんだけどね!?」

アドバイスなのか罵倒なのか自虐なのか、騒ぐ善逸に少し携帯から耳を離しながらも懐かしさを覚えた。こうして電話をすること自体、久しぶりだった。
わーわーと一人で喋り続ける善逸に暫く無言で耳を傾けていると、でも、と落ち着きを取り戻し切り出した。

「炭治郎が仲良くしていた子に突然毛嫌いされるなんて俺はないと思うから、理由聞いてみたらいいんじゃないか。バイト先に行けば会えるんだろ?」
「……うん、ありがとう!」

携帯の奥で、善逸さーん、と禰豆子の声が聞こえた。俺の実家で善逸は俺がいない間、店を手伝ってくれている。禰豆子に近付きたい、というのも理由の一つだとは思うけど、男手があることに助かっていることには変わりはないから非常にありがたかった。
善逸との電話を終えて、俺はもう一度耳に携帯をあてがった。

「ようどうした炭治郎!」
「遅くにすみません、シフトの件なんですけど……」

相談すればその後、ついでにと言って喜ぶプレゼントだとか、観光客はあまり知らない穴場スポットだとか、延々と愛について語らせてしまい電話を切ったのは0時を超えてからだった。けど、二つ返事で了承してくれたことに心から感謝した。