夕ご飯を食べに行こう、と連絡があり日が暮れる前の公園、緑色のベンチで待っていると現れた炭治郎くんは、頬を赤くしていた。片方だけ。
「遅くなってすまない」
「いや、そんなに待ってない、ていうかどうしたのそれ……」
「はは、わかるか?」
ベンチから腰を上げ炭治郎くんへ歩み寄ると、眉を下げて笑みを零した。見るからに痛そうだ。叩かれたのだと一目でわかる。
経緯を聞くと、携帯を勝手に触ったりとしたマカロンちゃんを結構本気で怒ったら、開き直られ、おまけに平手打ちをかまされてしまったらしい。前にもあったけど今回のは結構痛かった、と笑い事で済まそうとするものだから思わずその頬に触れようとして、止めた。触ったら痛いかもしれない。
けれどそれに気付いた炭治郎くんは私の手を掴んでその頬へ触れさせた。
「……大丈夫?」
「うん、向こうも痛かったと思うよ。もっと他に言い方があればよかったんだけどな」
「優しいね」
「そうかな。それより
、俺に嘘吐いたな」
人の頬を叩いたことは私はないからわからないけど、マカロンちゃんも痛いというのは本当だろう。でも、顔を叩かれた方が痛い、気がする。
どこまでも優しい人なのだと改めてそう感じていると、炭治郎くんは手首を掴んでいた手を私が頬を触る手に重ねた。
「嘘?」
「そんなに待ってない、って。手が冷えてる」
その分冷たくて冷やされるけどって、少し怒った口調だった。
嘘を吐いたつもりはなかった。実際、そんなに待っていなかったし手なんてこの季節、日によってはすぐに冷えてしまう。今日はまだそんなに寒くはないけれど。
「待ってないのは本当だよ。炭治郎くんがあったかいだけ。いつも」
「俺、暑苦しいか?」
「そんなこと言ってない」
口を尖らせる私に炭治郎くんは目を細めて笑った。
行こう、と重ねた私の手をそのままに、すっかり落ち葉が広がり秋が終わろうとしている公園の歩道を歩く。
手は繋いでいるけど、それ以上炭治郎くんは何もしてこない。してくれないのかなって、思いつつそれを言葉になんてできるわけはない。軽い女だとも思われたくない。
期待させておいて、ずるい人だと思った。私が勝手にそう思っているだけだったら恥ずかしいことこの上ないけれど。
言葉なんてなくたっていい、むしろない方が楽かもしれない。そう思いながら指を絡ませている手に強さを加えれば、痛くない程度に返してくれた。
「あ、炭治郎ー!」
パリといえばの塔がある観光名所近くを歩いていると、遠くから炭治郎くんを呼ぶ声が聞こえた。女の人の声だけど、私は知らない声だ。
私がそちらを向くと同時に、炭治郎くんは、あ、と明るい声を上げた。こんばんは、と挨拶をする炭治郎くんの頬にその人は顔を寄せた。
日本ではあり得ない挨拶だった。挨拶だとはわかってはいるものの、その光景を目の当たりにしてモヤモヤと胸の中を曇らせてしまう。
ぐつぐつと胸の内を沸き立たせている私に、炭治郎くんは何かに気づいたかのように私を見据えた。
そういえば、炭治郎くんは匂いである程度人が喜んだり怒ったりと、そういうのがわかると言っていたのを思い出した。もしかしたら私のこういう心の狭い感情も読み取られてしまったのかと、思わず繋いでいた手を放して二、三歩距離をとってしまった。
「あら、ごめんねデートの邪魔しちゃって!」
「あ、いえ、大丈夫です!」
私に気付いたその人は大袈裟に口元に手をあてる。炭治郎くんはその人へ手を向け私にこちらは、と紹介した。
「俺が住んでいる部屋のマンションの管理人さん。美味しいところ沢山知ってるんだ」
「こんばんは~!」
「こんばんは、
です……」
ああ、この人があの美味しいお店を教えてくれた例の管理人さんか、と左手の薬指に指輪をつけていることに安堵した。いくつくらいの人なのかは見た目からではよくわからないけど、とにかくそういう気はないのだろうということは今の言動と指輪で十分窺えた。心の狭さと嫉妬心が我ながら情けない。
大きな花のピアスをつけてバニラのような香水の匂いを漂わせる管理人さんはそうそう、と思い出したように炭治郎くんへ話しはじめた。
「近々炭治郎くんが来る前に部屋貸してた子ね、またこっちに来るんですって」
「そうなんですか!知らなかった」
「もう部屋ないのに困っちゃうわ」
「はは、すみません……」
「
ちゃんと住んだらいいのに。炭治郎くん」
管理人さんは私へ目配せをした。さっきスルーしてしまったけど、この人は私と炭治郎くんが付き合っていると思っているのだろうか。
どう反応したらいいかわからない私の代わりに炭治郎くんが口を開いた。
「
は親戚の家に住んでるので」
「あら、そうなの?じゃあ炭治郎くんはあの部屋をでていけないわね」
悪気は全くなさそうにしているけれど、暗にでていけと言っているようなことには気付いていないのか、天然なのだろうか。
それじゃあ楽しんでね、と手をぶんぶんと振って背を向け人混みの中に紛れていった。
炭治郎くんも片手をひらひらと振っていた。
「俺がいなくなるの、寂しいって言ってたはずなんだけどな……」
眉を下げて笑う炭治郎くん。管理人さんの無邪気な様子にさすがの炭治郎くんも多少は気にしているようだった。
「私は、……」
「……、」
そんな炭治郎くんを見ていて、無意識に口走りそうになったことを喉奥で止めた。
私は、炭治郎くんがいなくなったら、当然のことながら寂しい。でも、炭治郎くんはどうだろうか。そんなことを言われたって時期がきたら帰るものは帰るし、帰った後、私と関係が続くかと思えばそれはないだろう。
優しいから、私から連絡をすればきっと返してくれはするだろうけど、多分、私と違って待っている人も沢山いるだろうし、環境が変われば、……。
「お腹空いちゃった!お店どっち?」
だから言葉なんて、いらないんだ。言葉があると、縛られてしまう。後から、何事もなかったことにするにはそれが一番いいから。
自分から放してしまった炭治郎くんの手をとった。
今日のお店も管理人さんが教えてくれた、と言っていた。管理人さんも地元の人ながら部屋を貸している子から聞いたお店、と話していたらしいけど。
あからさまに明るく振舞って話を流した私に炭治郎くんは深く聞くことはしなかった。聞かれたくないことは、炭治郎くんは無理に聞いてこない。
こんなに感情がダダ漏れなのだから、私の気持ちにもとっくに勘付いているのだろう。それでも何もしてくれないから、この前私に期待させるようなことを伝えようとしたのは、全くの私の見当違いなのかもしれない。
「炭治郎くんはお酒強いの?」
ピアノのメロディーが流れるお店に着いて、ドリンクのメニューを眺めながら尋ねた。前は飲まなかったけど、今日は一緒に飲んでくれるかなと、飲めば何か変わるかもしれないと思った。けれど炭治郎くんはそのつもりはないらしい。
「どうだろう。でも今日はやめとく」
「……」
「
も今日は飲まないで」
この前、やはり私は面倒臭いと思われてしまっていたのか。こうしてご飯に行くのも、ただの友達だからだろうか。いや、友達ではないと言っていた。私がこんな人間だから心配しているのか、だったらやっぱり妹のように見られているのだろうかと、張り巡らせる思考回路をお酒でどうにかしたかったけど、今日はそれは許してくれないらしい。
私だけ、恋い焦がれているようで。まだ炭治郎くんは私の傍にいるのに、寂しかった。
逃げ道