おとぎ話
お店の中で繰り広げられた攻防も一段落し、ずっと扉の前にいるのも流石に不味いと思い一度お店を出て駅まで並んで歩いた。
早めに仕事を上がらせてくれたから、辺りはまだ日が落ちたばかりで薄暗いまま。

「炭治郎くん、この辺り詳しいの?」

どこか行こう、と言ってくれたもののどこへ行くかは決まっていない。どこへ行きたいか聞かれたけど思いつく場所もなく、正直なところ炭治郎くんといれたらどこでもいいというのが本音だった。
代わりに炭治郎くんに聞き返せば、炭治郎くんは困惑した素振りを見せた。

「一年以上ここにいる割に、そんなに詳しくないんだ」

バツが悪そうに頬を掻く炭治郎くん。遊びに来ているわけではないからそうであってもおかしくはないけれど。
その場所に住んでいる人ほど近場であっても行かない、とはよく聞くし炭治郎くんも例外ではないのだろう。
けれど、さっき炭治郎くんが零していたことを思い出した。あのマカロンちゃんと前に付き合っていた、と。聞いた瞬間、マカロンちゃんが一方的に炭治郎くんに拘っているのではなくて、炭治郎くんも好きだったことがあるのだとその事実に胸が軋んだ。
可愛いからな、あの子。炭治郎くんはああいう子が好きなのかな。
確かに炭治郎くんみたいな明るくて優しい人はああいった、色んな意味で、ではあるけど素直そうで愛嬌たっぷりな子が好きそうだ、なんて勝手に想像してしまった。後、制服からでもわかるほどには身体のラインもしっかりしていた。胸は大きい子がいいのかな。私ではドキドキとさせられることはできないだろうか。
余計なことまで悶々と考え始めて我に返った。

「じゃあ、前に付き合ってた子と行ったことがない場所に行きたい」

パリで恋人たちがデートに選ぶ場所なんて決まっているだろう。例えばあのジェラートを食べた大きい池のある公園とか、きっと炭治郎くんは何回も行っている気がする。近いし、整えられた庭のお花は綺麗だしイチョウ並木だって見ているだけであっという間に時間が過ぎていった。
子供染みた対抗心を燃やして、駅前の人が多くなってきたところでボヤいた。
すぐに返事が返ってこない。行ったことのない場所に行きたい、だなんて、自分が行ったことのない場所を求められているのだからすぐに思い付かないのは当たり前だ。
私は、思い出が欲しかった。恋人でもなんでもないのに、いじましい女だとわかりながらも私とだけの思い出が欲しかった。

「あ!」
「……、」

声を上げて、立ち止まった炭治郎くんに私も歩みを止める。反応を窺って曇らせていた私とは裏腹に、炭治郎くんはなにかいい場所を思いついたような表情を見せている。

「教えてもらったところがあるんだ」

そこでもいいか、と優しく微笑んで炭治郎くんは私に尋ねるので、こくりと頷いた。
地下鉄のホームへ降りて、電車で30分くらい乗った市内からは少しだけ離れた場所に降り立った。改札を出ると閑静な街並みが広がりポツポツとお店はあるものの、のどかな住宅街のようだった。

「少し歩くけど大丈夫か?」
「今日はそんなに高いヒールじゃないから大丈夫だよ」
「歩けなくなったら言ってくれ。また背負うから」
「…………」

あの時のことをぶり返すのはやめてほしい。恥ずかしさに顔から火がでそうになる。
複雑な心境でいる私に炭治郎くんは清々しいほどににこやかにしている。

「あれは忘れて」
「それは嫌だな。可愛かったし」
「は、」
「ん?」

可愛い、だなんて言われ慣れていなくて、反射的に口が薄くぽかんと開いてしまう。
炭治郎くんはあっけらかんとして私へ顔を向けたのでその瞳から視線を逸らす。

「……なんでもない」

彼は、こうしてどんどんと女の子を堕としていくのだろう。間違いなく人タラシだ。下心もまるでなさそうだから、天然の。
だから炭治郎くんの一言一言にこんなにも反応してしまうなんて無駄なことなのに、好きになってしまっては抑えようがなかった。
静かな住宅街を歩いているのに自分の胸が煩くて落ち着かなかった。
どうにか鎮ませようとしながら暫く歩いていると、森の中へ道が続いている入り口のような場所に辿り着く。駅を降りてから看板通りに進んでいるから、どこへ向かっているのかはその名称で気付いていたけど、私は聞いたことがない場所だった。
森の中の細道を抜けると広々とした緑が広がり、目の前にはその当時の時代を象徴するかのような豪華な門に迎え入れられた。

「観光客の人もあまり知らない場所らしいんだ」
「そうなんだ……」

所謂、知る人ぞ知る穴場なのだとか。どうしてこんなところを知っているのかと問えば、ボスさんから聞いたらしい。市内からも少しだけ離れているし、訪れる人も時間が時間なだけなこともあり、いかにもな観光名所より随分とまばらだった。

「ああいうの、好きだろう?」

門を潜って野原が広がる開放的な細道を歩く中、炭治郎くんは隣でまっすぐ目の前を指差した。歩いている内に徐々に姿を現してきたのは湖上に浮かぶ立派なお城だった。水面にその荘厳な佇まいが映り込み、絵に描いたような光景を目の当たりにした。

「……うん」

私がよく、行く先々で写真を撮っていたり橋の上で言い伝えられていることを口にしたりと、そういうところから判断してくれたのが伝わって嬉しく思いつつも、慣れていないので擽ったくなってしまった。
勘違いでなければ、誰かにこうして思ってもらえるなんてなかったことだから。
それが、恋愛感情なのかどうかは、よくわからないけど。
道なりに歩いていると、離れたところに見えたその城よりも博物館らしき城に入れそうだったので先に中を歩くと、何頭か馬が飼育されていた。隣の競馬場で出馬する馬らしい。

「上品な馬……」

写真は撮ってもいいらしく、呟きながらパシャりと一枚写真に収めた。白い毛で覆われた白馬を間近で見ることなんて早々ないのでじっと見つめていると、隣でも携帯のカメラの音がしてそちらを見れば、珍しく炭治郎くんも写真を撮っていた。

「好きなの?」
「ああ、友達が好きそうだなーと思って」

その友達が好きなのは猪なんだけど、と炭治郎くんは続けた。
私は自分の為だけに写真を撮っていたけど、誰かに送ったら喜びそう、と、そういう人がいるんだなって、少し羨ましくなった。

「それって伊之助くん?」
「覚えててくれてるんだな!」
「話によくでてくるから」

私があまり話さない分、炭治郎くんがよく話してくれるのは家族のことや友達のことだった。中でも善逸くん、伊之助くんのことは沢山話を聞いた。私が会ったこともないのにどういう人なのか想像できるくらいには事細かに聞かされた。
携帯をしまって、外に続く通路を歩く。外へ出るとさっき遠目で見た城はもうすぐそこで、中へ入ると美術館のように絵画が沢山並べられていた。
展示品が並べられているだけではなく、その時代にタイムスリップしたかのような螺旋階段や礼拝堂があり、写真が沢山溜まっていった。
写真を撮る時、たまに視線を感じてそちらを見ればバチっと目が合って笑いかけられるので、恥ずかしくなってその顔にカメラを向けてボタンを押した。
初めて私の写真フォルダの中に、風景や食べ物以外の写真が混ざった。少し驚いて目を丸くさせているせいで瞳の赤が綺麗に写真に映っている。かっこいいな、なんて写真を見て、前までは思っていなかったことを感じてしまっている自分がいた。
一通り城の中を堪能した後、すぐ近くの優雅な庭園を見て回っていると近くのカップルの「馬車は白馬がいいよ」「うん、そうしよう、一生に一度だから」という会話を耳にする。
さっき見た白馬はもしかしたら、結婚式の為の馬でもあったのかもしれない。

「……」
「……ん?」

カップルの会話を聞いた私は白馬のことを思い出して、じ、と炭治郎くんを見つめた。何も言わずにただ見られているだけの状態に炭治郎くんは瞬きを繰り返しながらも繕った笑顔を見せる。

「炭治郎くん、似合いそうだなーと思って」
「……?」
「白馬」
「……褒めてくれているのか?それは」

炭治郎くんを眺めながらそう口にした私に、眉間に皺を寄せた。私はかなり褒めたつもりなのだけれど、本人はそう受け取ってはいないらしい。

「褒めてるよ。白馬が似合う人なんてなかなかいないでしょ」
「俺のこと、過大評価してないか?」
「してないよ。炭治郎くんみたいな人に迎えられたら、誰だって嬉しいと思うよ」

おとぎ話のような世界観に包まれているからか、私にそういう憧れが多少なりともあるからか、白馬に乗った王子様が迎えに来てくれる、そんなイメージが頭の中に湧いてでてきてしまった。

「……それは、も?」
「……」
もそう思うのか?」

私が逐一写真を撮っていたからか、ずっと繋いでいなかった左手を炭治郎くんが包み込んだ。
何も、私は考えていなかった。ただ、素直にそう思っただけだった。
真っ直ぐに私を見つめる綺麗な赤い瞳から目が放せない。

「誰でもじゃなくて、俺、「そろそろ閉園でございまーす」…………」

炭治郎くんの言葉に被さるように、少し離れた場所から聞こえた警備員の人の声は庭園に響いた。
気付けば来る前はまだ薄暗かった空も星が輝き始めていた。
今、何を言おうとしたのか、期待してしまった私の胸はどくどくと脈打ったまま。
炭治郎くんは一度私から視線を逸らし、一つ息を吐いて私に笑いかけた。

「帰ろうか」
「……うん」

繋がれた手から、身体中に熱がじんわりと広がっていく気がした。
おとぎ話