クレープ
日の光が差し込む店内に流れるメロディーがほどよく集中力を掻き立てられた。
甘くてほんのり苦味が効いた香りを前にして、ピックを手に描く。

「イチョウ?」

白いマグカップに注がれたラテにミルクを注いで描いたのは、少し前まで艶やかに黄金色を見せていたイチョウの葉。
向日葵のような少し細かい絵はまだ上手く描けないけど、簡単な絵なら私も自分で作って出せるようになってきた。
完成させたラテアートをマリーさんが覗き込む。

「はい。前に公園で見たイチョウ並木が綺麗で」
「よかったわねえ」

ふふ、と口元に手をあて上品に笑う。よかったわね、に色々な意味が含まれていそうな、そこまで深く考える人ではないような、眉を下げて笑いながらお礼を言って読書をしているお客さんの元へそれを出しカウンターへ戻る。
比較的空いている今の時間、マリーさんはそういえば、と戻ってきた私へ携帯を出し何かを検索し始めた。

「最近ちゃんが描いたラテアートも結構SNSに載ってるのよ」
「わ、嬉しい……」

ほら、と携帯の画面を私へ見せる。お店の名前で検索をかけたらしく、正方形に表示されている写真が並んでいる。
コーヒーの他、お店ではラテを頼む人も多いけど、このラテアートはやっぱり写真映えもする。ほとんど写真は私が描いたものではないけれど、たまにこれは私が描いたものだな、とわかるものが載せられていて少しだけ嬉しくなった。もっと上手く描けるようになりたいな、なんてスクロールされる画面を眺めていると、ある写真が目についた。

「あの、すみません」
「?」

マリーさんの手からその携帯を借りて、気になった写真の投稿に指で触れた。

「……」
「あら、炭治郎くんねえ」

前に私が『Amour』と文字だけ描いたラテアートが載せられていて、これを私が描いた人は一人しかいなかった。
投稿した人のアイコンは紛れもない炭治郎くんだった。高校の時だろうか、卒業した後だろうか、わからないけど多分、一緒に映っているのは善逸くんと伊之助くんだろう。実家のパン屋らしきイートインスペースで、おそらく伊之助くんがパンを頬張りながらピースをしていた。三人の関係性がこのアイコンだけで垣間見えた気がするけど、問題はそこではなかった。
投稿されている写真の投稿文及び、貰っているコメント内容が見過ごせなかった。


「どうして載せるの、あれ」
「あれ?」

バイト終わりに時間を合わせて会う予定だった私は、待ち合わせていた公園のベンチで炭治郎くんが来るなり詰め寄った。
首を傾げる炭治郎くんに携帯を出し、インストールだけしてあるアプリを開いて炭治郎くんの投稿を見せる。

「ああ、それか!上手いなあと思って」
「いや、誰でも描けるし、コメント……」

が描いてくれた”という投稿文は、まだよかった。自分の交友関係を特に隠したりはしない人だと思うから。問題は、おそらく善逸くんであるアカウントの持ち主から“誰”“女の子だよね?”“それ告られてんじゃん”と続けざまにコメントされていたことだ。
炭治郎くんはそれに返信していなかったけど、きっと他で会話していたのだろう。告られている、というのをそのままにしているのが私としてはいただけない事実だ。そんな恥ずかしいことをしている人だと炭治郎くんの投稿を見た人たちに思われたままだ、きっと。考え過ぎかもしれないけど、気になってしまう。
口を尖らせる私を他所に、炭治郎くんはあっけらかんとしている。

「でも今となっては間違いじゃないし、気にしなくても、」
「私は気にするの」
「あ、それより髪切ったんだな!似合ってる!」
「…………帰る」

確かに、今となっては間違いではない。でもあの時私は告白しようと思ってあの言葉を描いたわけではない。それが無性に恥ずかしい。そういえば、あの時携帯を眺めて柔らかい笑みを浮かばせていたけど、善逸くんから告られているというコメントが送られたせいだったのだろうか、それは、嬉しいかもしれないけど。
冗談で炭治郎くんへ背を向ければ炭治郎くんは焦ったように私の腕を掴んで引き止める。

「冗談だ!」
「え、似合ってないってこと?」
「そっちじゃない!消すから!」
「……別に消さなくていいよ、今更」

必死な炭治郎くんが少し面白い。でもその分想われているんだなって実感できる。気にしなくてもいい、と言ったのは冗談なんかではないのはわかっている。炭治郎くんは嘘が吐けない人だから。
引き止めた炭治郎くんに私はその代わり、と後ろを指差した。

「あれ買って」

指差した方にあるのは前と同じく小屋風のレストラン。テイクアウト用のカウンターではジェラートではなくクレープを受け渡しされている。あそこを通った時、生地が焼かれるいい匂いがして食べたいなと思っていたので。
炭治郎くんは私が指差した方を追って、君は……と小さく零した。

「仕方ないな。待ってて」
「……うん」

我儘な子供のように見えただろうか。でも、炭治郎くんが私に見せた表情は多分違った。目を細めて、頬を綻ばせる優しい笑い方に胸が脈打った。
言われた通り、そしてどくどくと跳ねる胸の音を抑える為、ベンチに座り直す。今度は私が炭治郎くんに何かを奢ろう、そういえばコーヒー一杯も有耶無耶になったままだと顎に手をあて俯きながら考えていれば、隣に誰かが座った。

「今日ちょっと冷えるよね、寒くない?カフェでも入ろうか。一目惚れしちゃったよ」

炭治郎くんだったら、随分早いなと思ったけど顔を上げる前に炭治郎くんでないことは声でわかった。ちなみに顔を上げていないので、一目惚れだということも多分嘘だ。
こういうのは無視がいい。今すぐこの場を離れようと思ったけど、どこか聞き覚えのある声に、その主と目を合わせればやっぱり、クラスメイトだった。

「…………」
「あ、!」

街でナンパしまくっているらしい、とクラスメイトが話していた情報は間違いではなかったらしい。顔も見ずに誰彼構わずナンパしているということが立証された。

「一人?」

クラスメイト、チャーリーは今私に声をかけた口説き文句をなかったかのごとく普通に話し始める。自分がナンパしまくっていることは特に何も恥ずかしいことではないと思っているようだった。

「いや、」
「友達?」

改めて聞かれて、思わず瞬きを繰り返した。そういえば、と考え込む。どうなんだろう。前はさらりと、心構えをしていたのもあって友達と答えられたけど、今は、友達ではない。でも、直接そう話してはいない。

「女の子?可愛い子?日本人?紹介してよ!」
「日本人だけど、女の子じゃないよ」
「なんだ男か。じゃあ彼氏?」

彼氏と、私がそう話していいのだろうか。多分、そうなのだけれど、いや、そうなのかな。
炭治郎くんがそうであるならば、私は初めて自分のことをちゃんと見てくれるそういう人ができたわけで、だからこそ、よくわからなくなってきた。普通というものが。



顔を顰めて言い淀んでいると、頭上から影が降りてきて腕をぐい、と引っ張られベンチから立ち上がる。あまり強く引っ張られたことがなくて、折角落ち着いた胸の音がまた煩くなってしまう。トン、と背中が炭治郎くんにぶつかった。

「……の彼氏?」
「そうです、竈門炭治郎といいます」

声が降ってきた方へ顔を向ければ、前に彼氏だと嘘を吐いた時の表情はしていなかった。炭治郎くんの手元にはクレープが握られ甘い香りを漂わせている。

「へえ!俺のクラスメイト!よろしく炭治郎!」

向き直った私に炭治郎くんはクレープを差し出したのでそれを受け取った。少し怒ってそうだったけど、その空気を破るかのように座っていたチャーリーが炭治郎くんへ片手をひらりと上げ陽気に声をかけた。それに対し炭治郎くんは一瞬面を食らっていたけど、すぐによろしく、と笑顔を見せた。
じゃあ俺行くわ、とナンパ相手を誤ったことで用がなくなったチャーリーは背を向け公園の中へ歩いて行った。

「ナンパされてるのにどうして話し込んでるのかと思った」
「ああ、うん、心配かけてごめんね」

本来はナンパだったのだけれど、それは言わないでおこう。アイスがのっているクレープを手に、再びベンチに座った。スプーンが一本しかない。

「謝ってほしいところはそこじゃない」
「……」
「どうして言わないんだ?」

炭治郎くんに声をかけられる直前の会話は聞こえてしまっていたらしい。少し怒っていたのは、やっぱりそこだった。
クレープのアイスにスプーンをサク、とさして掬いながら呟いた。

「よくわからなかったし……」
「そんな男に見られてるのか?俺は……」
「そういうわけではないけど」

隣に座る炭治郎くんをちらりと横目で見る。怒ってはいるけど、悲しんでもいるようだった。

「ごめんね」
「……」
「怒ってる?」
「少し」
「……食べる?」

私が買ったわけではないけれど。一度スプーンで掬った方とは別に、クレープを炭治郎くんの前へ差し出した。
炭治郎くんはそれを見て眉間に皺を寄せる。嫌いなのかな、クレープ。

「甘いの嫌い……、ではないよね?イライラしてる時は甘いもの食べた方がいいっていうよ」
「……どの口が言うんだ」

怒らせたのはだろう、と、そう言いながら、炭治郎くんはクレープを持つ私の手とは逆、スプーンでアイスを掬った方の手を掴み、口元まで運んだ。

「うん、美味しい」

甘くて、クレープの生地のようにふわふわと心地のいい時間に、脈打つ胸の鼓動は抑えることはできなさそうだった。
クレープ