人に優しくするのが自分の為と、炭治郎くんはそう話していた。それは理解できた。そうすることで炭治郎くんの周りにも温かい人たちが集まってくるのだろうし、優しくされて嬉しくない人なんていないと思う。裏があるのかもしれないとか、そういう疑いの目を向けることがなければ、だけど。
けれどもそれを抜きにして、優しいという言動に小さく溜息を零す場合もある。
「どうかな」
「うん!いいと思う!」
「……」
「ん?」
帽子を買いに行きたい、と私の要望に快く頷いてくれた炭治郎くんとシックなブティックが立ち並ぶ通りを歩きながら帽子専門店に入った。広々としたお店にずらりと感覚を開けて並んでいる帽子に心が踊る。その中で気になったものを手にとって隣に意見を伺えば、決まってポジティブなことしか言わないのだ。
ジト目で炭治郎くんを見据えていると少しだけ首を傾げる。悪くはないのだけれど、そればかりだと段々、この人はもしかしたらなんだっていいのではないかという疑念が湧いてくる。
「どれが一番似合うと思う?」
今し方鏡の前で合わせていた帽子をラックに戻して、ずっとにこにこと私の様子を見ていた炭治郎くんへ尋ねた。答えはほぼ予想できるのだけれど、一応。
炭治郎くんはそうだな……、と一度辺りの帽子を見回す。それからまた私へ向き直って満面の笑みを浮かべた。
「全部似合うと思う!」
「……そうじゃない」
「?」
嬉しい。似合うと思ってくれているのは本当に嬉しいけど、選んでほしさも私の中ではあって。好きな人が選んでくれた帽子って、自分で選ぶよりも特別お気に入りになる気がするから。だから私は意見を求めているのだけれど、炭治郎くんは優しい故に、全てを肯定する。
「選んでほしいの」
眩しい笑顔から目を逸らして、わかりやすく口を尖らせた。多分、私としては好きな色ではないものだとしても、選んでくれたという事実だけで特別な帽子になるから。
ちら、と横目で見ると炭治郎くんは、ああ、と何かに気付いたような素振りを見せた。
「だから不満そうにしてたのか!」
「……気付いてたなら聞いてよ」
「すまない、そういうのはあまり言わない方がいいかなと思って」
言いながら、眉を下げて笑った。どうやら私が心の中で悶々と不満を垂れ流していたのは匂いで気付いていたらしい。
あまり言わないようにしている、というのは恐らく、きっと今まで匂いでわかることを包み隠さず他人に聞いていたら言わないでと言われたとか、そういうようなことがあったからだろう。人の懐に入るのが上手い人だけど、そういうのも関係しているのだろうな。
「じゃあ改めて、どれが似合うと思う?」
もう一度、目を細めながら問いかけた。不満がわかって、それの解決策もわかっているのだから私が待ち望んでいる答えがほしい。
炭治郎くんはもう一度考える素振りを見せるけど、あー……、と、くぐもった声を出して、今度は困ったように息を漏らしながら笑った。
「帽子はどれもそれぞれ素敵だし、
も可愛いから全部似合うと思うんだ」
さっきの、これぞ眩しい笑顔、という表情ではないものの、私の胸は今の方が大きな音を響かせた。我ながら簡単な女だと、思ってしまった。
可愛いって、本人が気付いているのかは知らないけど、こういう時に初めて言われた言葉だった。綺麗とは言われたことがあったけど。普段から、そう思ってくれていたのかな。
「私の負けです」
「?」
勿論、誰に言われても嬉しい言葉というわけではなくて、炭治郎くんに言われるからこそ込み上げてくるものがあった。可愛い、と言われるようなキャラでもないし。
顔に熱が走るのを気付かれないよう、無難に好きな色の帽子を手にとって私はスタッフさんへ声をかけた。
そばできっともう不満の匂いはしていないことにも気付いているだろう。
「素敵な恋人ですね」
「……、はい」
一連のやり取りを側で見ていたらしいスタッフさんはにこにこと笑顔を見せながら帽子についているタグを切った。何を話しているかは分からずとも多分、雰囲気で察したのだろう。恥ずかしながらも素直に頷いた。
折角なのでそのまま受け取った帽子をかぶってお店を出る。ウィンドウに飾られている他のお店のカラフルな帽子にまた目移りしそうになってしまうけど、次の予定があるのでなるべく目に入れないようにした。
美味しいお店を教えて貰ったんだ、とまたもや管理人さん情報で炭治郎くんに連れてこられたお店は日本食のお店だった。日本らしく暖簾がかかった建物で、店員さんは日本人。
お客さんも私たちの他に日本人がちらほらといて時たま他のテーブルから聞こえてくる会話が日本語で新鮮な空間だった。
「炭治郎くんって何が好きなの?食べ物」
「たらの芽の天ぷら」
「……」
「だから俺は元々ご飯派だから、何もおかしいことないだろう?」
意外なものを口にされたので、箸を止めて向かいに座る炭治郎くんを見れば表情で何を言いたいのか察したらしい。意外な一面をまた知ってしまった。
ご飯派と言っていたから、言われてみれば確かに何ら不思議ではないことだけど。
たらの芽の天ぷらか、作ったことはない。今度美味しくできるレシピを調べよう。きっと下ごしらえとか、色々と美味しく食べられる方法が出てくるはず、と頭に浮かばせながら焼き魚を口に運ぶ。こうした日本食を食べるのは久しぶりではなかった。
何度か炭治郎くんと一緒に朝ご飯を食べている中で、日本食が好きなのだろうということは理解した。しかも炭治郎くんはかなり料理ができる人だ。パン以外でも。
魚の焼き加減を見ようと手伝おうとすればやんわりと断られたので、きっとそれだけ腕に自信があるのだろうと察した。確かに美味しかったけど。
「変わったパン職人だね」
「はは、確かにご飯派だって言ったら最初はすごい目をされた」
「言ったの?」
「?うん。本当のことだから」
当然のことのように炭治郎くんは頷いた。パンが嫌いというわけでは決してないだろうけど、よく正直にそういうことがパン職人の前で話せるな、と感心した。でも、炭治郎くんのような人だから受け入れられるのだろう。学びたいというまっすぐな思いが伝わって。
「みんな温かい人ばかりで俺、恵まれてるんだ」
優しく微笑んだ炭治郎くんに、私もそれが移りそうだった。それは多分、炭治郎くんが温かい人だから伝染していっているのだと私は思う。
私も炭治郎くんのようになりたいと思うけど、一緒にいれば、なれるような、そんな気がした。随分と甘えてしまっていると思うけど、こうしてずっと陽の光を浴びていたかった。
「あ」
「?」
ふと、食べ進めている中で炭治郎くんが声をあげたので、そちらを見れば何かに気付いたようだった。炭治郎くんの視線の先を辿ると、お店の壁に飾られたおそらく著名人のサインたち。パッと見ではどのサインが誰かというものが全くわからないけれど、知っているのがあったのだろうか。
「あれ、知り合いの人が書いたんだ。猫のやつ」
炭治郎くんが指をさしたのは、サインの隣に個性的な猫が描かれた色紙だった。画家さんだろうか、そんなすごい人が知り合いにいたのかとまた新しい一面を知った。
「今度来るって言っていたから
にも会ってほしいな!」
「その人が良ければ……」
「うん!」
そんなすごい方と私を会わせてくれることに、少し緊張する。そして炭治郎くんの人脈の広さにまた驚かされる。私とは全然違う。一度仲良くなったと思っても、長く続くことなんて今までなかったから。
でも、私も炭治郎くんと出会って、炭治郎くんとは離れたくないって思うくらいだから、そう思う人がきっと私の他にも沢山いるのだなと、会ったことのない炭治郎くんの周りの人たちを想像した。とても、自慢の恋人だ。帽子屋のスタッフさんが一部始終を見ていただけでも素敵な恋人だと思ってくれるくらい、私には本当に、勿体ないくらいの人だ。炭治郎くんは、どうだろうか。
お店を出て、楽しそうに最近あったお客さんのことを話す炭治郎くんをじっと見ていれば瞳が交わる。にこっと笑いかけられたのであからさまに目を逸らした。
私が目を逸らすのは、きっと炭治郎くんには慣れたもので、気にせず私の手をとって包み込んだ。
帽子